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2006-03-30

どのブログサービスを使うか

 すでに「goo」で立ち上げていたこのブログを、こちらの「ココログ」に移転した。その経緯は、これからブログを立ち上げるメンバーにとっては役に立つかも知れないので、紹介しておきたい。

 使用するブログサービスを決めるにあたって一番重視した条件は、プラウザで字を調節できることだった。おそらくWebデザインの関係から字が固定されてしまっているサイトが実に多いのだが、私には読みにくくて仕方がない。年配者の中にはこれでいやになる人も多いのではないか。やはり思想系のサイトでは、読みやすくなければしようがない。

 そういうわけで、とりあえず文字を調節でき、しかも容量無制限の「gooブログ」で立ち上げてみたのだが、そこではじめて気づいたのは、「記事」の文字は調節できるが、「コメント」欄の文字の大きさが固定であることだった。「goo」に問い合わせたところ、やはり調節は不可能との回答をいただいた。

 「コメント」の文字が調節できるサイトを探して「ココログ」に行き着いた。ところが、今度は「コメント」の投稿者名が最後にしか表示されないため、誰からのコメントなのかが、読み終わった後にしか分からない。研究会という性格上、長いコメントがありうるので、この点はやや難であると言えよう。また、「記事」そのものについても、その記事が属するカテゴリーが最後にしか表示されないため、その「記事」が何のテーマについて書かれているかが、やはり最後にならないと分からない。この点については、使用者側ではいじることが出来ないようだ。基本的には日記として使うように作られているものだから仕方ないのだろう。

 私はカテゴリーを研究発表のタイトルのようなものとして使おうとしており、同じカテゴリーの複数の記事は一続きのものであると考えているから、一つの記事がどのカテゴリーに属するかが一目で分かることが本当は望ましい。この点では「ココログ」より「goo」の方が適しているだろう。

 そんなわけで、どちらを使うかかなり迷ったのだが、結局は文字の大きさの方を取ることにした。年配者にもコメントしていただきたいと思うし、私自身も最近小さい文字が見えにくくなっているという事情がある。また、一つの「記事」に対する「コメント」は「記事」の単なる付加ではなく、むしろ「コメント」欄でのやりとりこそがブログ研究会にとって貴重であると考えるなら、多少の欠点はあってもこちらを選びたいと考えた。

 ちなみに、容量は無制限ではないが、2Gもあるので、文字主体のブログにとっては十分過ぎるくらいだろう。

 ただ、これは私の個人的な価値判断による相対的な選択にすぎず、どのブログにするかは各メンバーが判断すればよいと思う。本当にたくさんの無料ブログがあり、それぞれに特色があるので、各自が自身に合ったものを選んでいろんなブログを立ち上げれば楽しいと思う。

 ただし、多くのブログ・サービスの中には、研究会という目的にとっては致命的な欠点を持つものもある。特に重要なのは「コメント」の字数制限である。「コメント」に字数制限があり、しかもその字数があまりに少ない(たとえば400字以内)と、「記事」に対して十分な議論がかわせなくので、そういうブログは避けた方がよいと思う。「こころぐ」の場合を試してみると、相当の字数を書き込むことが出来ることができることが分かった(無制限かどうかは不明)。「goo」の場合は制限があるが、5,000字(原稿用紙約12枚)以内なので、普通に考えれば十分だと言えるし、コメントを一定の字数以内(ふつうの研究会なら一定の時間内にあたる)で行うという方針で運営するには、かえって好都合かも知れない。私は無制限に近い方を選んだが、それは、その方が「屋根裏部屋」の議論にふわさわしいからであって、別の考え方もあると思う。

 せっかくいろいろ試行錯誤したのだから、上記のもの以外のブログ・サービスについても私なりの結論を記しておく。これからブログを立ち上げるメンバーに、参考にしていただければ幸いである。

 まず「exciteブログ」だが、が、「コメント」の欄の文字調節が出来、冒頭に投稿者名が表示される。その点ではかなり理想に近いのだが、残念なことに、「コメント」できる字数がかなり少ない。これは、われわれの目的にとって致命的である。

 次に「Doblog」 は、「コメント」が400字以内だから、問題外である。容量が無制限なのは、ブログ間の関係を示す図が示されたり、画像のスライドショーが出来たりするからだろうか。他の目的にはよいかも知れない。

 最後に、「はてなダイアリー」 は、「コメント」の欄の表示が分かりにくく、やはり研究会用にはどうかと思う。もっとも大変意欲的なサービスのようで、様々な機能がついており、使い方次第でもしかすると最良のものが出来るのかも知れないが、私には使いこなせそうにない。いろいろ試みたが、結局断念した。

 なお、「無料Blog(無料ブログ)比較」というサイトが、多数のブログ・サービスを紹介しているので、そちらも参考にされたい。試していないものも多数あるので、いいのが見つかるかも知れない。

 以上、おせっかいとは思うが、これからブログをやろうというメンバーが同じ試行錯誤を繰り返すのは時間の無駄なので、私の経験を申し上げた次第である。

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2006-03-29

屋根裏のネットワーク

 ブログの「タイトル」は各自の自由。ただしサイト説明などにに、「文明と宗教の研究会」に関わるブログであることがわかるような説明があるとよい。

 わたしは自分のブログを「屋根裏部屋の思考」と名づけた。黒川健吉を思い浮かべる人もあれば、「屋根裏の散歩者」を連想する人もいるだろう。いずれにせよ、あまり関心できるネーミングではないことは認める。だが、それになりに理由はあるので、口上を述べておこう。

 「屋根裏部屋の思考」とは、ここでは表に出る前の思考を指している。誰でも、学会で発表したり、雑誌に論文を書いたりする前に、自分の中だけで思考を可能な限り展開させてみるのではないだろうか。中には、自分の立場を決める前に、あらかじめあり得るかぎりの思考の筋道をすべてたどっておくという人もいるかも知れない。「屋根裏部屋」とは、そういう思考実験の場なのだ。

 しかしもちろん、「屋根裏部屋の思考」などというと、暗くて、閉鎖的、夢想的、誇大妄想的なイメージがある。事実、そんなところに一人でいつまでも閉じこもっていれば、普通人はそのようなイメージの通りの人間になってしまうだろう。そこは彼の現実逃避の場にしかならない。そこで、屋根裏部屋の思考にも、他者との通路が必要となる。それが「屋根裏部屋のネットワーク」というわけである。

 表の言論になる前の言論にも、ネットワークがあってもよいのではないだろうか。実際、すでに掲示板やブログでとっくの昔から行われていることはそういうことだろう。ネットワーク上にある限り、一人でいい気になってはおられず、誰かから横やりを入れられる可能性がある。ただそれは、学会で研究発表して批判されるよりもずっと心理的負担が軽いはずだ。屋根裏部屋の思考の段階で、いろいろと他者の批判を受けることができるのが、このネットワークのいいところなのだ。

 屋根裏と屋根裏をむすぶ複数の糸電話……。まだ人にはおおっぴらには言えないことだけれども、他人とひそかに議論してみたいときにこれを用いる。ときどき混線などして、別の会話が聞こえてきたりして……。 

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野呂―日比野論争(1) 「有り難いことがある」 

 先日、野呂先生のかつての弟子である日比野英次さんが15年前に書かれた書評に対して、先生が反論する文章を書かれ、両方が同時に野呂先生のHPに掲載された。 HPの管理をしているのは私なので、「掲載した」と言うべきかも知れない。

 先生が、自分の立場をきわめてよく理解している書評であると書かれているように、この書評は先生の思想を深く理解した弟子ならではのものであり、だからこそ通り一遍の紹介や、賛辞ではなく、非常に深いレベルでの議論になっている。日比野さんは野呂先生の立場を、かなり辛辣に批判されているのだが、今回それに対して野呂先生がやはり根本的な反論をされている。

 日比野さんは、野呂先生の反論を読み、またさらに反論を書くと言っておられるので、最終的にはそれを読まないことには決定的なことは言えない。また、日比野さんの叙述が野呂先生を正確に理解していることは、すでに先生の言葉によって確証済みだが、反対に先生の叙述が日比野さんの思想を正確にとられているかどうかは、日比野さんの反論が出てみないと何ともいえない。ただ、今回先生がお書きになった反論の中には、野呂神学を理解する上で鍵となる事柄が浮き彫りにされているように思うので、まずはその点について確認しておきたい。  野呂先生の反論の文章の中で、ひときわ私の目を引いた言葉がある。それは「有り難い信仰」という言葉だ。引用しよう。

この(アルタイザーの)立場では、これまでのキリスト教が与えてくれていた―私たちと対面する―人格神が失われてしまっている。神の恵みが人間の生死を超えて、初めから終わりまで、人間の内外にかかわらず、一人ひとりに対して完全であるという有難い信仰が、アルタイザーにはない。アルタイザーの場合には、正(人格神)・反(人格神の死)・合(人間性の奥底に内在するに至った神)というヘーゲル哲学的思弁に陥ってしまっている。この立場では、内在の神と尽きざる対話をし、自分の力で、その既に死んでしまった神の命令を自分の生や世界の中に実践しなければならないという仕方で、律法主義が入り込んでくる。

                           ※ 括弧内、強調は引用者による

  ここで先生は、日比野さんが今も依拠されているというアルタイザーの「神の死の神学」が、結局は合理主義の哲学であると主張されている。そして、そのような「合理的立場」には、「有り難い信仰ががない」と言われているのである。

 「有り難い信仰がない」。これはむしろあたりまえのことである。「ある」ことが「困難」であるのだから、合理的に考えれば、それが「ない」のはいわば当然のことなのである。ところが、そのような「有り難い」ことが「ある」というのが、キリスト教信仰の究極的な主張なのである。(ブルトマンは、それを「真のつまづき」と呼んだ)。神学はたしかに信仰を理性的な言語で説明する営みである。だから、やみくもに合理性を無視していては神学にならない。しかし、究極のところでそれは合理性を踏み越えたところに立脚点を持っている。ところが、アルタイザーの神学には、そのような踏み越えがないと、野呂先生はおっしゃるのである。

 かつて『実存論的神学』に傾倒したことのある一人の著名な学者が、その後の野呂先生の思想の展開を見て、「野呂先生は結局、ありがたい話になっちゃうんだよなあ」と言われたことがある。だから、自分のような理性的な人間にはついていけないという意味だろう。「ありがたい」ということを、人はすぐに迷信深いということと結びつけてしまう。しかし、ありがたいということは、ありえない奇跡がたくさん起こるということではない。われわれの存在を支える最も根源的な事実が、あり得ない事態によって成り立つということではないか。

 野呂神学に深く傾倒しながら、野呂神学を最後のところで受け容れることができなかった多くの立派な思想家の方々がおられるが、彼らにとっての最大のつまづきは、この「有り難い信仰」にあくまでも立つという野呂神学の強固な姿勢にあったのではないだろうか。私は、今回この先生の文章を読んで、そのことにはたと気がついた。しかしこの言葉ほど、野呂先生の神学を神学として輝かせていく言葉はないと私は思う。ありがたくないような宗教は、もはや宗教ではない。有り難いことがあることへの驚きが、神学を根本的に支えるものでなければならない。

 ただし日比野さんの思想が、野呂先生がおっしゃるとおり「合理的立場」に立つものであるのかどうか、さらなる反論を待たねばならない。

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はじめに

 適当な名前がないから「文明と宗教研究会」と呼んでいた研究会は、数回開かれただけで消滅した。メンバーが留学したり、遠方へ赴任したりしたためだ。しかし、こういう時代だから、距離が離れることは必ずしも消滅の理由にはならないはずである。ネットを使った遠隔研究会にしてしまえばよいのだ。正式メンバーだけでなく、不特定多数の人たちにも加わってもらい、好きなときに、好きなだけ議論するような、互いに負担のかからない楽しく有意義な会になればよいと思う。

 かつてなら掲示板やメーリングリストなどがあっただろうが、私はブログを使ったらどうかと思う。ブログは誰でも無料で作れるし、手間がかからない。ほぼ10分もあれば、新しいブログを立ち上げることができる。一人のメンバーがブログを立ち上げ、自分の立てたテーマについて「記事」を書いていく。他の人々はそれに対してどんどん「コメント」をしていく。この「コメント」に答えつつも、それをふまえて、さらに記事を重ねていく。

 そこで、とりあえず私は自分のブログを立ち上げてみた。まず私は、自分の関心のあるテーマを「カテゴリー」としていくつか立ててみた。これは論文で言えば論題(タイトル)にあたる。次にこの論題に関して、これから「記事」を書いていくつもりである。これは論文の各章や節にあたる。(他のやり方もあると思うが、とりあえず、この方法でやってみよう)。

  私は、日記(あるいは連載)風に各「カテゴリー」(テーマ)に関する「記事」を書き進めていくので、他のメンバーは各「記事」にそのつど「コメント」を入れていってほしい。ごく気楽な感じの感想でもよいし、本腰を入れて批評してもらってもよい。質問なども歓迎である。研究会の質疑応答のようなものだ。

 本当は一つのブログで、誰もが「記事」を書ければよいのだが、IDとパスワードを他人に教えて記事を投稿させることはだいたい禁止されているようである。だとすれば、記事を投稿出来るのは残念ながら、登録した本人のみのようである。この点が、掲示板との違いだ。

 しかしながら、他のメンバーが自説を展開したければ、この研究会用に無料ブログを持ち、自分で「カテゴリー」を立てればよい。「ブックマーク」に、他のメンバーのブログを優先的に入れることにすれば、研究会としての同一性も維持できるだろう。さしあたり、私が作ってみたが、他の方々もこれに続かれることを期待する。  各ブログは、出来るだけ研究会用に特化したものを作ってもらいたいが、「カテゴリー」は自由に立てていただいてよいと思う。研究会のあいまのおしゃべりのようなものとして、日記や趣味について立ててもらってもよいと思う。コメントがないことで消滅していく「カテゴリー」(テーマ)もあれば、めげずに続いていくものもあるだろう。

 といったふうなことを考えているのだけれどもいかがだろうか。とにかくやってみるから、コメントをよろしく。

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