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2006-03-29

屋根裏のネットワーク

 ブログの「タイトル」は各自の自由。ただしサイト説明などにに、「文明と宗教の研究会」に関わるブログであることがわかるような説明があるとよい。

 わたしは自分のブログを「屋根裏部屋の思考」と名づけた。黒川健吉を思い浮かべる人もあれば、「屋根裏の散歩者」を連想する人もいるだろう。いずれにせよ、あまり関心できるネーミングではないことは認める。だが、それになりに理由はあるので、口上を述べておこう。

 「屋根裏部屋の思考」とは、ここでは表に出る前の思考を指している。誰でも、学会で発表したり、雑誌に論文を書いたりする前に、自分の中だけで思考を可能な限り展開させてみるのではないだろうか。中には、自分の立場を決める前に、あらかじめあり得るかぎりの思考の筋道をすべてたどっておくという人もいるかも知れない。「屋根裏部屋」とは、そういう思考実験の場なのだ。

 しかしもちろん、「屋根裏部屋の思考」などというと、暗くて、閉鎖的、夢想的、誇大妄想的なイメージがある。事実、そんなところに一人でいつまでも閉じこもっていれば、普通人はそのようなイメージの通りの人間になってしまうだろう。そこは彼の現実逃避の場にしかならない。そこで、屋根裏部屋の思考にも、他者との通路が必要となる。それが「屋根裏部屋のネットワーク」というわけである。

 表の言論になる前の言論にも、ネットワークがあってもよいのではないだろうか。実際、すでに掲示板やブログでとっくの昔から行われていることはそういうことだろう。ネットワーク上にある限り、一人でいい気になってはおられず、誰かから横やりを入れられる可能性がある。ただそれは、学会で研究発表して批判されるよりもずっと心理的負担が軽いはずだ。屋根裏部屋の思考の段階で、いろいろと他者の批判を受けることができるのが、このネットワークのいいところなのだ。

 屋根裏と屋根裏をむすぶ複数の糸電話……。まだ人にはおおっぴらには言えないことだけれども、他人とひそかに議論してみたいときにこれを用いる。ときどき混線などして、別の会話が聞こえてきたりして……。 

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コメント

特定の研究分野で知られている・あるいは知られつつある人(「ベルクソン研究者」、とか、「現代日本のカルト宗教研究者」とか、そういった認知をされている人)にも、当然、思いもかけない屋根裏部屋的な思考があるはず。
がちがちのヘーゲル研究者だったのが、にわかに生命倫理の分野ですごい議論を出していったりとか。

僕のまわりにも、そういう人がいます。
飲むたびに、ジム・モリソンとウィトゲンシュタインと道元をつなぐ壮大な議論をぶつ人とか・・・

公の討論の場に打って出る前に、それぞれの屋根裏部屋的考察をあたため、密かに開陳するような場所があってもいい、とは常々思っていました。喫茶店や飲み屋や研究室で、その場かぎりの話しをして終わらせるだけでなく、文章として綴って人に読んでもらう、ということができる場所がほしいな、と思っていました。

授業ノートを公開していく、ということも考えています。
エントリーされているカテゴリを見ると、桶川さんも、ご自身の授業内容と多少ともリンクするような議論を準備されているようですね。
ネット経由のあやしげな情報が授業内容に混入するといった不注意さえ避けておけば、授業のために準備したことを討論の場に出すことで、より充実したノートを作ることもできると思います。
参加者の多くが、大学や専門学校等で授業を担当していると思われるので、互いの授業内容を検討・批判しあいながら、教室に還元して行く場という方向も出てくるはずです。
受講する学生たちに公開するかどうか、といったことは、各担当者が責任をもって判断しなければならないことですが、そのあたりのことは、今後の様子を見ながら話し合っていければよいことですね。

屋根裏を散歩する、ということで思い出すのは、映画化されて話題になっているナルニア国物語の中の、『魔術師のおい』です。屋根裏の冒険から、思いがけず新しい世界に入っていく(新しい世界の創造に立ち会う)。
わくわくします。

投稿: 白頭庵 | 2006-03-30 00:30

 大学教員って、研究のことはしゃべるけど、授業のことにはお互いあまり触れないというところがありますよね。授業評価もいいけれど、もっとお互いの授業に関心をもって、切磋琢磨しあうことの方が、本質的な気がします。

 私は倫理学の問題について素人なので、倫理学の授業を持つに当たって、いろんな方々の意見を聴いてみたいと思っています。

 ちなみに、ナルニヤは大学生の頃すすめられて『ライオンと魔女』を読みましたが、正統的なキリスト教の寓意が強すぎて次の巻へ進むことはありませんでした。しかし、今回、子どもが映画を見に行くというので、寝る前の読み聴かせ本に採用しました。ところが、これがかなり面白い。なんで前は気づかなかったんだろう?

 たしかに正統的キリスト教ではあるのですが、決して退屈な寓意ではなく、その意味を生き生きとした素材を通して再考させてくれている気がします。読み聴かせがこのまま続き、『魔術師のおい』までたどりつければいいのですが。

投稿: 桶川利夫 | 2006-03-30 00:53

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