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2006-08-19

薬のはたらき

 夏風邪である。ここ数年、風邪と言えばパターンは同じで、扁桃腺の腫れとそれにともなう熱である。咳、くしゃみ、鼻水といった風邪らしい症状はほとんどない。こんなのは「風邪」ではなく、要するに疲労に過ぎないのではないかとも思うのだが、病院へ行けばやはり「風邪」と診断される。「風邪」って一体何なのだろう?

 ところで私は昔は風邪をひいても病院に行かなかった。熱でだるくて死にそうな時に、病院に行って待っているのが馬鹿らしかったからだ。家でひたすら寝ているのが一番の治療法だった。しかし、ある時を境に、風邪をひいたなと思ったら病院へ行くようになった。それは病院でくれる薬があまりによく効くことが分かったからだ。それにくられべれば市販の薬なんて無に等しい。薬というものがこんなに効くものだと知らなかった。 ロキソニン。これさえあれば、どんな高熱も怖くない。人によるのだそうだが、私の場合、39度の熱が1時間後には平熱にまでさがる。(逆に怖いか?)。

 しかし、今ちょうどお盆の時期で、いつもの医院がちょうど1週間の休みだった。悪いときに風邪になったものだ。まあ今回は37度台の微熱ということもあり、何とかなるだろうと思った。その自信はどこから来るかと言えば、前回のロキソニンが手元に残っていたからである。しかし、それは1日で尽きてしまった。そこで妻の手持ちのロキソニンや、ロキソニンとほぼ同じ成分の何とかという薬などを、様々な手を使って(犯罪は犯してません)かき集め、今日まで何とかやってきた。しかし、それもついに尽きてしまった。

 仕方ないので、いつもロキソニンと一緒にもらっている PL錠を今夜は飲んでいる。ところが、これが実に眠くなる薬で、先ほどもついついウトウトしてしまった。ロキソニンと比べる と効きががやや遅いようである。それにしても、これらは症状を抑えるだけの薬である。重要なのは病原菌を根本から絶つということなのだが、そのために必要なメイアクト錠が、今回は決定的に不足していた。最初の一日で尽きてしまって、その後の補充も出来なかったのである。そういうわけなので、もう5目になるのに夏風邪はまだ治らない。

 最後に一つ付け加えておけば、これらの優良な薬たちは、胃にはかなりの負担を与えるようである。薬は飲みたい、でもお腹が痛くなるのはイヤ、という方が多いのではないか。そんな方のためにはこれ。ゼルベックス細粒!胃の粘膜を修復する薬である。

 お約束の研究発表が出来ないかわりに、今回はたいへん不健康な記事になってしまった。ここは、ドラッグ系のブログではないので、あしからず。(こんな記事を書くと、次回はきっと薬の宣伝がつくのでしょうね。楽しみ!)

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コメント

風邪って一体何なのだろう?という桶川さんの問いですが、私にはこんな経験がありました。

高校生のときのことです。風邪を引いたと思い、病院に行って診察の際、医者は「どうしましたか?」と聞きますね。それで私は「どうやら風邪を引いたらしくて…」と切り出したら、「この世に風邪なんていう病気はないんだよっ!」とかなり高圧的に言われてしまいました。要するに、医者としては異常な症状を診断し、それらを緩和させることが仕事であって、症状以上の「病気」(たとえば「肺炎」とか)でなければ病名をつけられないというだけの話なのだと思いますが、ただでさえ気分が悪くて病院に行っているのに、ドッと疲れた覚えがあります。未だにこういうタイプの医者、結構いますね。以前よりは随分と減りましたけど。一方で「この人はすごいお医者さまだなぁ」と思える人もいて、このような医者たちとの関わりは、有難いと感じています。

まあ、その後もいろいろと、病院ではいい思いよりも嫌な思いをすることの方が多くて(桶川さんにこのようなことを言うと申し訳ない気もしますが、これが正直なところです。)なるべく病院に行かずに済む方法を、自分なりに模索しています。その模索の中で出会った、アンドルー・ワイル氏の考え方にはとても啓発されました。氏の『癒す心、治す力』などは、ある時期にはベストセラーだったようですが、今でも人気があるのかな?

投稿: トロウ | 2006-08-22 00:40

 お察しします。そういう言い方をする人はどこにでもいるものですが、医者のような職業についている人には特に多いのでしょう。基本的に馬鹿なんだと思います。私は医者にかかった件数が圧倒的に少ないので、何とも言えませんが、話に聞くところでは、ひどい人も多いようです。

 ただ、人々の文句が絶えない職業という点では、教師、牧師なども医者に負けていないのではないでしょうか。これらの職業に共通するのは、それぞれ生徒、信徒、患者といった対になる人があってはじめて成り立つ仕事であり、それらの人々にとって教師、牧師、医師は自分の深刻な問題と関わり、或る場合には自分の運命を握る存在であるということでしょう。

 同じように評判の悪い職業として、政治家や学者などもいますが、これらの職業、いっぺんに多くの人を相手にする点で、かなり違う気がします。文句の性格も違うのでしょう。

投稿: 桶川利夫 | 2006-08-22 23:57

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