コピー屋の人生哲学
前回、熱を出したことを書いてそのままにしていたら、いろんな人から大丈夫かと聞かれた。熱を出しているときは暇なのでついつい更新してしまうが、治ると忙しくなってついつい後回しにしてしまう。もう一週間以上更新してないのか……。気づかなかった。
おかげさまで熱は治ったのだが、それと同時に新学期に突入してしまった。これからまた講義にあけくれる毎日がはじまる。べつにあけくれる必要はなく、適度に講義をし適度に自分の勉強をし適度に休めばいいのだが、私の場合、器用な人間ではないので、講義がはじまるとそちらにのめりこんでしまって別のことができなくなってしまう。今年はそういうわけには行かないぞ、と思ってはいる。しかし、それは毎年思っていることでもある。
ところで、学校の脇の路地にあったコピー屋が無くなってしまった。先日、新学期前に学校に行ったときに寄ってみると、コピー機はすべて取り払われ、連絡先の電話番号が記された小さな紙だけが貼ってあった。とうとうこの時が来たか、という思いで私はそれを見つめていた。
いつからその店があったのかは分からないが、少なくとも私が大学に入った時にはすでにあったと思うから、20年以上お世話になってきたことになる。最初は1枚7円くらいだったのが少し値上がりして1枚8円となり、それからはずっとそのままである。1枚10円が当たり前の時代にあってかなり安い。とくに大量コピーする場合には、この2円の違いは大変なものである。
狭いスペースに10台くらいのコピー機が置いてあり、地味な、しかしやたらと元気のいいおねえさんが一人できりもりしていた。この方が実に素晴らしい仕事をしていた。大量のコピーをしなければならないときには、このおねえさんに頼むと代わりに作業をやっておいてくれる。それを嫌な顔一つせず、むしろすすんで引きうけてくれるので本当にに助かったものだ。われわれが使う本には絶版になって入手困難な本が多い。そういう本を5,6冊図書館で借りてきて、そのままこの女性に渡すと、元気よく「いつまで? いまちょっと他のやってるから、夕方まで出来ないけど……」などとおっしゃる。こちらは、一週間くらはかかるだろうと思っていたのである。数時間で5、6冊の本をコピーすることがいかに大変であるかは、2、3冊くらいならやったことがある私には想像できる。とにかく黙々とやるしかない仕事なのである。
このおねえさんは、私が気づいた時にはすでにその店にいたから、失礼だけれども、もうおねえさんと呼ばれるような年ではないだろう。彼女は、なぜかくも長い間、こんな地味で大変な仕事を続けることが出来たのだろう。こういうコピー屋にとって、コピー作業は本来ならやらなくてもよい仕事ではないだろうか。コピーしたければ各自でやればいいのである。少なくとも彼女が断っても問題はないような気がする。まあ会社の方から、やるようにと言われていたのかも知れないが、それにしても彼女の引きうけ方は、決して会社から言われたから仕方なくやってますというような消極的なものではなかった。いつ行っても即座に「いつまで?」と元気に聴く。そして、読みかけの文庫本を伏せて立ち上がり、すぐに空いているコピー機に向かうのである。そういう態度を20年間、首尾一貫してとることができた背後には、何らかの人生哲学なり、生きていく上での方針があったに違いない。
彼女がとってくれたおびただしいコピーの束が、250枚まで綴じられる私の自慢のホッチキスによって製本されて、今でも本棚のかなりの部分を占めている。しかし、彼女がいなくなってしまった以上、もうそういう形でコピーを利用することは難しくなるだろう。何か非常に今大きな喪失感を私は味わっている。これからあのコピー屋なしでやっていかなければならないと思うとなんだが心細くなる。しかし、そのことよりも今は、長い間私のささやかな勉強を支えてくれたこのコピー屋とそのおねえさんに、心からありがとうを言いたい。









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