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2007-05-04

なぜ人を殺してはいけないか(4)――B 現実主義的回答

 ここに分類した回答は、人間が尊い存在であるとう理想や願望はあえ持ち出さず、より現実的な観点から理由を導き出そうとするものである。ヒューマニスティックな回答が、人権とか命の尊さといった価値は本当に存在するのかという疑問に対して答えられず、したがって問いに答えたことにはなっていないという難点を持つのに対して、この現実主義的回答は、少なくとも理屈によって納得できるだけの答えを与えている。ただし、その答えが、本当に「人を殺してはいけない」という絶対的な命令の理由になっているかには疑問が残る。

④自分が殺されたくないから――相互性 (34)

  この回答には、二つのタイプがある。自分がいやなことは他人もいやだろうという「思いやりタイプ」と、他人に殺されないためには自分も殺さないといういう「取引タイプ」である。

(a)「思いやりタイプ」


・自分にされたくないことは他人にはしちゃいけない。
・自分自身が他人に殺されたくないのだから、人を殺してはいけないと思うし殺さないのだと思う。
・自分がされていやなことは、人にもすべきではないから。イヤではないというなら、他人ではなく自分を殺してみるべきだ。
・自分が殺されたら嫌だから、自分も人を殺さない。
・自分がイヤなことは他人にしてはいけない。
・自分がそうされるのがいやだから、他人に対してもしない。みとめることは、自分が殺されても仕方ないと認めることだと思う。
・じゃああなたは殺されてもいいの?ってきく。「いや」なら、自分のいやなことを人にはしちゃいけない。「いい」なら、「殺されなさい」と言う。
・人にころされたくないと思ったら、当然の如く人を殺めてはいけない。「死んでほしい」という気持ちだけでは他人をころしてもいいという理由にならない。
・「あなたは誰かに殺されて、理由もなしに命を奪われてももいい?いやでしょう?だから人を殺しちゃいけないんだ」って答える。
・自分も殺されたらいやだから。
・相手の立場に立って考えると、自分も人に殺されたくないと思うから。
・自分の生活を邪魔されたくないのと同じように、他人の生活を邪魔してはいけないから
・自分も殺されたら嫌でしょ?と答える。
・自分が生きていたい、死にたくないと思うように、人間はみなそうおもっているから。自分がされていやなことは、他人にもしてはいけない。
・子どもに自分の大切な人間が殺された事を想定させ、誰もが皆同じだと説く。(ただし)中学生ぐらいだともう効かないかも知れない。

「思いやりタイプ」中には、本来は「ヒューマニズム的な回答」に分類すべき観点も入っている。他人も自分と同じような尊厳をもっているということを理解させる手段として、まず自分が殺されたらいやだということを想起させ、そこからの類推で他人もいやなんだということを理解させるというのはごく基本的な教育手段であろう。ただ、最後の回答にもあるように、これは幼稚園くらいまでに身につけさせるべき教育であって、中高生に質問されて答える答えとしてはどうだろう。

(b)「取引タイプ」


・もし人を殺すことを許してしまえば、自分が殺されることも許してしまうから。
・人を殺してよいということは、当然自分が殺されても良いということと同義だ。
・自分が殺されたらどうかを考えなさい。人を殺すことが当たり前となれば、自分がいつ殺されるかわからない不安・恐怖に追われるんだよ・私は私がころされたくないから人をころさないと思っています。
・自分が殺されたくないと考えていて、生きる権利を主張するなら、相手の権利も認めなくてはならないため。
・なぜ人を殺してはいけないかと聴かれたら、自分が殺されたくないから、人も殺さないと答えます。
・自分から殺されたくないから殺さない。
・人の命を奪ってよいと主張することは、それと同時に自分の命は奪われてよいと主張することと同義であろう。
・他人を傷つけるもしくは殺すことは、自分が他人から傷つけられ殺されることを容認するもおであるから。
・自分が殺されたくないから、みんなで禁止するしかないとしか言うことができない。
・自分が殺されるのは御免だから。
・自分が死にたくないし、ころされたくないのは当然で、それは他の人にやっていいはずが無いからです。
・自分もしにたくないから。
・殺されたくないから。
・人は殺してもいいと思う。後で自分が殺されるのが怖くなければ。
・人は、自分が殺されないことを保証され、そのかわりに自分も殺さないという契約をむすんでいるから。
・自分を自分で守るため、「人を殺してはいけない」という自明性を生んだ。それは他人のためではなく、自分を守るための個人としての切なる願いだと思う。
・人を殺してもいいとなると、自分も人に殺されてしまうかもしれない。そこでお互い身の安全をえるため法律というものを作り禁止した。
・殺人をした後の利益がない。むしろ自分にとって不利益。

 「取引タイプ」の回答は、人間に普遍的にそなわった価値とか人権のようなものを信じないか、あるいは信じていてもそんなことを前提としないで回答しようとするものである。

 人間に価値があろうとなかろうと、大部分の人は自分は死にたくないと思っている。このことはかなり確かなことである。だとすれば、お互いが死なずにすむためには、お互いが殺さないようにするしかない。こういう観点から見れば、人権だとか、命の尊さだとかいうのは表向きのことに過ぎない。その証拠に、戦争では人が死ぬし、人を殺すような殺人者は、死刑にされる。本当のところは、お互い自分が殺されたくないから殺さないのであって、そのことをうまくオブラートに包んで上品に説明したのが、「人権」とか「命の尊さ」といった言葉なのだ、と。

 こうした説明は下に紹介するような社会契約論的な回答とも関わり合う有力な意見ではあるが、心に冷たい風が吹く感じがする。第一、このような回答は、言い方をかえれば、自分が殺されてもいいなら殺してもよいと言っていることにもなって、「(絶対に)人を殺してはいけない」ことの理由にはなっていない。

⑤社会秩序 (21) 
 「取引タイプ」と基本的には同じだが、個人同士の「相互性」よりももっと広く社会全体の秩序という観点から答えようとするものである。

・社会秩序が乱れるから。人を殺しても良いことになれば、いつ殺されるか不安感にいつも怯えなければならない。(罰がなければ、殺人は増える。)
・殺していいなら、世の中は成立しない。
・殺人を犯してもよい社会ならば、自分も殺される可能性があるから。一種の勢力均衡制のようなもの?
・そういうルールの上に社会は成り立っているからです。ルールを破った相手への、正当防衛や死刑は、ルールを保つために必要だと思います。
・人を殺すことを禁じられていた社会の中に生きるから。
・理性ある人間として、(殺さないことは)社会を守ることにつながるから。
・それを認めてしまうと、「社会」というものの基盤、つまり一人で生きてゆけない人間が助け合って生きていくという本来の意味を失ってしまう。
・社会全体において、その程度の殺意をもっている人間が殺人に踏み切る可能性が高くなるということで、ひいては自分が殺される可能性も高くなるので。
・いけないとすることで、人間社会を平和に保つため。
・信頼によって作られた社会の中で、人を殺さないのは、その信頼を裏切らず、また裏切られたくないから。
・社会秩序を守るための集団的自衛本能として当然であろう。
・人が殺されることは、社会という機械の部品がなくなること、そうすると機械は壊れてしまう。つまり社会の秩序が乱れるのだ。だから人を殺してはいけない。
・社会には暗黙の了解としてのルールがあり、それが崩れれば秩序がなくなり、社会が成り立たなくなる。
法律があるから
・法律があるから人は人を殺せないのだと思う。法律(理性)がなければ、人は戦うという本能をむきだしにすると思う。)
・社会のルールだから。社会を営む上で都合がよいから。(右折禁止やUターン禁止などと同じ)
・犯罪だからとしか言えない。イヤな目にあったり、両親を殺されたりしたら、自分んも人を殺してしまいたいと思うだろう。
・人間として生きる上でのルールとして、大人はもちろん、十代の少年たちの多くは理性で理解していると思う。だが感情がそれを上回れば殺人は起こる。
・人を殺せば、法律を犯してつかまるから、人を殺せない。しかし、そういう法律がない場合でも殺せない。なぜなら社会の拘束力があるから
・集団で生きる必要のある人間にとってルールは必要である。そのの最低限のルールの一つ。
・法律でその様に定められているから。善悪の判断は様々。大衆のための理論である法律に根拠を委ねるのが当然と思う。
・倫理に反することだからやってはいけない。しかし、そう教え込まれてきたからそう思うのかもしれない。

 これらの回答は、私やあなたが死ぬ死なないよりも、秩序全体のことを考えた意見で、まるで社会統治者の参謀のようなクールな意見である。互いに互いを殺さないという契約の上に社会は成り立っている。だから、殺人を許せば社会の秩序は保てない。この考えに立つと、たとえば法律というものは、お互い殺されたくないという利害を調整するために結ぶばれた契約であって、「人間は生まれつき生きる権利をもっている」という憲法の人権宣言のようなものは、そういう契約をもっともらしく見せるための後から作り上げたイデオロギーに過ぎない、ということになるだろう。

 私には、こういう現実主義的な回答が、事柄のすべてを言い尽くしているとは思えない。はたしてそれだけの理由でわれわれは人を殺さないのだろうか? 本当にそんな寒々とした風景の中で、私たちは暮らしているのだろうか? 少年に尋ねられて、そうこのように答えることですめばクールであり、楽でもあるかも知れないが、それで本当にいいのだろうか?

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