« なぜ人を殺してはいけないか(2)――アンケート | トップページ | なぜ人を殺してはいけないか(4)――B 現実主義的回答 »

2007-05-03

なぜ人を殺してはいけないか(3)――A ヒューマニスティックな回答

 ここに属する回答は、「人間」や「人間が生きているとういこと」を高く評価し、そこから答えを導き出そうとするタイプである。人間には、「人権」、「尊厳」、「命」、「かけがえのなさ」、「歴史性」、「アイデンティティー」といった肯定的な価値が備わっていることを主張する。

①人権・命の尊さ(41)       

  まず、もっとも標準的・教科書的な答えから。「人間は生まれながらにして、生きる権利をもっている」あるいは、「命は尊いものである」、だから人を殺してはいけないという回答である。中には、神がそう定めたからというものもあったが、一応このタイプに分類している。

・ 人の命は他に代えられない、価値の付けようのないものであり、それを人為的に奪うことはいけない。そんな権利は誰にもない。
・「人にはみな平等に生きる権利があって、その権利を個人が奪うことはできない」からだと思います。
・「人にはそれぞれ生きる権利があって、だれもその権利を犯すことはできなから」といつか誰かに教わりました。死刑は?と思うが、答えられない。
・人間誰にも、自分以外の人間の人権を自分勝手意に奪う権利は全くない。
・自分と同じ人間を殺すことは、自分を殺すのと同じ。生きるという権利をつぶしてしまうのはひどい。
・殺された人の生きる権利を奪っているから。
・被害者の自由を奪うから。
・人が生きてゆくことを故意に邪魔をしてはいけないと思う。邪魔を人は人の手によって人生を断たれるべきだと思う。
・生きるということは、人間にとっての最も基本的な権利であって、最低の条件。
・この世に生まれた以上、皆生きる権利を持っていて、それを犯すことはできない。
・一人一人は等しく作られてあり、尊き存在であるからです。
・他人の権利を奪ってはならないから。他人の自己決定権を奪うことだけはあってはいけない。
・生きる権利を奪われてはいけないから。
・その人の生きる権利の侵害になるから。
・一人一人生きる権利があって、その権利を他人が奪うということはあってはならないから。
・人が同じ人間の生きる権利を奪うことはできないからだと思います。
・自分も他人も同じ「人」なので、殺す権利というものはないと思います。
・人は皆生きる権利があるから。
・命は大切、尊いものだから。
・命は尊いものであり、自分自身だけのものではない。それはまたあかの他人によって閉ざされるものではないと思います。
・人は生きるためにうまれてきたのです。だから一生懸命生きている人の命を奪ってしまった、その人の生きてきた道を台無しにしてしまいます。
・人を殺すと言うことは、命という人の財産をうばうこと。
・そう聞かれたら、人の命の大切さとか、どんな人でもその存在がとても尊いということを伝えたい。
・万人の命は平等で尊ばれるべきであり、それが「殺人」という形で奪われるのは悲しい。
・命は無限の可能性をもつ最も尊いものであり、他者の手によって侵すことはゆるされない。
・神様が与えてくれたものをうばっちゃだめだから
・これまで考えたことがなかったが、漠然と、人間には他人の命を奪う権利はないと思う。
・人の命の大切さやすばらしさを知っているから、人は人を殺してはいけない。
・人の命ほど権利が強いものはないと思う。
・あたりまえです。人のいのちほど尊いものはありません。
・人の生死は、誰にも決定されてはいけない。自分だけの生、じぶんだけの死であるから。(自殺はいいということになる。)
・他人の生きるという行為をとめさせる資格はない。
・人の命、人生、その人の家族の幸せを勝手に奪う権利はないから
・ある人が精一杯生きて、生を全うしようとしているのに、それをうばう権利は他人にはないから。
・人の命を奪う権利は誰にもないと思うから。
・人間は生きる義務があるのではないだろうか。
・人は何か使命をもって生まれてきている。だから誰も人を殺してはいい権利はもっていない。
・私はクリスチャンで神を信じる。神の前で人は平等で、人の命もそうだ。聖書の中に殺してはいけないという神の教えがある。だから人を殺してはいけない。
・私はクリスチャンであるから、「黄金律」(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ)を適応するしかない。
・神によって創られた人間なので、その肉体を傷つけること、まして殺すことは許されていない。死刑など、人が人を裁く権利さえないのでは?
・人を愛するということを知っていれば、また思いやる気持ちを知っていれば、人を殺そうなんて思わないはずである。
・殺される人がかわいそうだから。

 これらの回答の中で、おそらく「権利」ということばのうちに込められているものは大きいと思う。しかし、どうもそのことばのせいで、文部省の公式見解みたいに感じられてしまうことも確かだ。そもそも「なんで人を殺してはいけないの」と問うような子どもに、こういう答えで納得がいくはずはないだろう。こういう回答でいいのなら、もともと「なぜ……」などと問われることはないのである。

 また、これらの回答では、「人権」とか「命の尊さ」というものがれっきとして存在するかのように言われているわけだが、そんなものが本当にあるのだろうか?とういう疑問に対してどう答えるのかという問題が出てくるだろう。「人権が生まれつきそなわっている」と教えられると、あたかも自分の手足を持っているのと同じようなイメージで人間がはじめから「人権」を持っていると思ってしまうが、実際は人間が人権をもつということは、人間が手足を持っているということとは異なったことではないか。

 「命をもっているから」という答えもここに入っているが、この答えにも保留がつく。「命」を言うなら、他の動植物だって「命」は持っている。「どうして魚の命は奪ってもいいのに、人間の命は奪ってはいけないの?」という素朴な疑問が出てくるだろう。牛も豚も鶏も魚も、あるいは場合によっては米や麦や豆や野菜も、すべて命をもっている。一方で他の動物を殺して食っている人間が、はたして「命の尊さ」を無条件に言うことができるのだろうか? こうした問いかけに対して、ここに分類される回答だけでは十分に答えることは出来ない。

②かけがえのなさ――人生(過去・未来)を奪うことだから(44)

 人間は人生はとりかえがきかない。一回きりの人生を奪うことはできない、という答え。数としては一番多かった意見であり、私自身素直に共感できる意見でもある。

・人間に換わりは存在せず、貴いものだから。
・人の存在そのものが、何よりも大切なものだから。モノのように同じものを再びつくることはできない。
・人が人をつくれるわけではないから。
・自分というアイデンティティがあって、自分は生きていたいいんだと思うのと同じように、他者にもそれがあるから。
・与えられた命を精一杯生きているはずなのに、「生」を他人(自分)の手によって止めてはいけない。
・人の命は、意図度なくなってしまうととりかえしのつかないものである。その時に勝手な判断でそれをうばってしまって良いはずはない。
・一つの命というかげがえのないものを終わらせてしまったら、その命は取り返すことができないことだから。
・「世の中にまったく同じ人がいないから、代わりになる人がいないからだよ」と答えると思う。
・「天上天下 唯我独尊 (すべての世の中で、自分はただ一人のかけがえのない存在である。――岩田注)」是非わたしのような「真実を知る者」になっていただきたい。
・生まれてきて、生きる権利を奪ってよいなどというごうまんなことは許されないから
・命がいくつもの偶然の上に成り立つ貴重なものであること。人を殺すことで周囲の人に悲しみを与えることなどを説明する。(納得されるか自信はない。)
・私は自分の手で一つの人格、人生を消失させるということが怖い。だから人を殺さない。
・一人ひとりがとっても素敵だから。
・やり直しのきかない人生をその人から奪う権利は、誰にもない。ただ、死刑に関しては反対しない。
・絶対に後戻りできないことだから。
・人の命は自分がどうやってあがいても創り出せないもの。つぐなおうとしてもとりかえしのつかないもの。だから殺してはいけない。
・人を殺すことは、その人の人生を奪うことだ。その人にしか出来ない事、その人にしか感じられない事に対し、他人が責任をとることは事実上不可能だと思う。
・人を殺すということは、その人の全てを奪うことだから。
・人には他人のこれからの人生を終わらせる権利はないから
・その人の今後の未来の可能性を消してしまうことになるから。
・人は夢をもっている。あなたの夢を他の人がうばえないように、他人の夢をあなたも取ってはいけないのよ。
・人は基本的に死にたくないと思っているから、その希望を壊してしまう殺人あh悪として捉えられているのだと思う。
・私に人の人生を奪う権利はないし、私は人に自分の人生を奪う権利はないと思っているので。
・誰にも他人の人生を奪う権利はない。
・相手の許可なく、その人のこれからの人生や周りの環境を奪うことは絶対にしてはいけない。
・自分以外の他者の連続した人生を打ちきってしまうから。
・人を殺して、その人の人生を終わらせていい権利など持っていないから。
・人の命を奪うということは、その人の全てを抹消するに等しい行為であり、最も許されざる行為であるといえる。
・人の命を消すことは、その人がこれから経験することもいっしょに消してしまうことだから。
・これからも続くはずの他人の人生を奪う権利は誰にもないから。
・生きていればけいけんするだろう様々な事や、可能性を奪ってしまうなんてあってはならない。
・殺された人は、本当はやらなければいけないことや、やりたいことが叶わなくなってしまう。
・明日を当然と思うのは万人共通のはず。そういう問いを抱く人は、もう一度自分の身から振り返ると答えが見えるのでは。肉親を亡くしたのでこう感じる。
・その人の人生があるから。将来、夢、人格を否定することになるから。
・勝手にその人の人生を終わらせたてはいけないから
・人が人として生活ができるのはすべて生きて活動できるからだ。その全ての権利を奪うことはしてはらならい。
・人の人生を奪い、台無しにするから。
・その人の人生のストーリーを妨害するのであって、その権利はないから。
・その人の未来を奪う行為だから。ただし、殺人を犯した人間は、自分の未来をもつ権利はなくなると思う。
・他人の将来や人生、幸せを、自分の個人的理由やわがままで奪う権利などないから。理性で本能をおさえることで社会は成立する。
・人の存在を消してしまう。人がこれから造り出せる未来を消すということになる。
・他人の人生を終わらせる権利はない。
・自分の大切さが分からない人は、他の人の価値も大切なことも分からない。自分も他人も大切にできる人には、そういう疑問はでてこないと思う。


 これらの回答が、今紹介した「人権」とか「命の尊さ」という回答との違うのは、「人権」とか「命」というような型どおりの表現を使わずに、その人が生きているということの価値を表現しようとしているところである。おそらく「人権」とか「命の尊さ」という答えで言われていることも、実は「一人の人の歴史は取り替えがきかない」ということに近いのだろうと思うが、それを「人権」とか「命の尊さ」というような教えられたとおりの言葉ではなく、何とか別のしかたで表現してみようとすると、ここに挙げられたような回答になるのかも知れない。

 もちろん、このような回答も、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という子どもの問いに対して、完璧に納得を与える答えとは言えないだろう。「取り替えがきかない、かけがえがない」ということと、「だから殺してはいけない」ということの間には論理的には飛躍がある。むしろ、私は「取り替えがきかない、かけがえがない」ということを認識したとたん、「人を殺すことができなくなる」というのが正確ではないかと思う。殺人というものは、すべてその人の人生の「かけがえのなさ」を一瞬忘れる時に起こることではないか?

 最後の回答は、ここに分類された回答全般に関する一個の註釈のような回答であり、とても重要なことを言っていると思う。実際に殺人が起こる場合を見てみると、最近の無動機殺人のような類は、自分自身をもはや大切には思えなくなるといういわば異常な心理状態で行われる場合があるように思う。そういう常態にある人に対して、他者の命のかげがえのなさをいくら説得しても無駄であろう。むしろ、その人が自分自身をかけがえのない存在であると心底感じられるように導くことが先である。

③家族等の悲しみ (33)

  さて、意外に多かったのが、「家族や周りの人が悲しむから」とういものである。その人自身が死ぬこと以上に、その人が死ぬことによって多くの人がどれだけ深い悲しみを味わうかという点に注目した答えである。

・自分の家族や大切な人が殺されたら悲しいのと同じように、誰かを殺せばその家族や周りの人たちが悲しい思いをするから。
・悲しむ人がいるから。
・家族や大切な人が誰かに殺されることを考えれば答えは簡単にでるはず。
・その人には未来があり家族があったりするため、その人がいなくなると悲しむ人がいるから。
・被害者の家族が悲しむから。
・残された家族、友人が悲しむから。
・殺したい人間を殺しても、残された人間とは関係ありません。その人たちを悲しませる権利はないのでは。
・悲しむ人がいるからだと思う。
・殺された人やその家族の身になって考えれば、そのような問いが生じる事態が信じられない。事故で母をなくした者として。
・悲しむ人がいるから人は殺してはいけないのだと考えています。
・あえて言えば、殺された人の家族がかなしむからだということだが、これでは納得してもらえないだろう。
・誰からも必要とされていない人はいない。たとえ悪人でも、死ねば悲しむ人がいるから、人を殺してはいけない。
・自分や自分と親しい人が死んでしまったら悲しいし、自分がそんなことをされたらイヤだから。
・誰かを殺すとその人の死によって悲しむ人間がいるから。死ぬのと殺されるのとでは、周囲の人の心に与える影響はちがう。人の心は大切。
・もし自分の関係者がころされたら私はきっと悲しいから、そういう思いを人にさせてはいけないと思う。
・自分の好きな人を殺されれば、人は悲しむだろう。
・悲しむ人が生まれるから。
・人は一人で生きるわけではなく、その人がいなくなることで悲しむ人が大勢いる。
・人間には大切に思う人がいる。その人を失った時の衝撃や絶望感や悲しみがあるからこそ、人を殺すことは絶対にいけないことだと思う。
・もし身近な人が殺されたらとても悲しい。殺す相手にもその人の死を悲しむ人々がいるだろうと思う。それを考えると、してはいけないことだと思う。
・その人が死んでしまうことによって、悲しみ苦しむ人が絶対にいるから。
・もし人を殺せば、殺された人の周りの人がもう二度とおその人と言葉を交わしたり、同じ時空を共有できなくなってしまう。・殺人は全ての状況を変えてしまう。
・相手の家族や友人を悲しませることになるから。
・その人が死ぬことで悲しむ人が絶対にいるから。
・誰かしら悲しむ人がいるから。「その人が殺されたら悲しいでしょう。だったら他の人にもそういう気持ちを味合わせたくないよね」
・自分の親しい人を殺されたりすると、とてつもない悲しみが襲ってくるだろう事を考えれば、殺してはいけないと思う。
・自分の親や大好きな友達が殺されたとしたら、その人の家族や周りの人たちが悲しむから。
・「誰かを悲しませることはしてはいけない」と言うかも。
・私の大切な人を失うことはとても怖いし嫌なので、他の人にとって大切な人でもあるだろうその人を殺したくない、というようなことを答えたい。
・残された人(関係者でなくても)悲しむ人がいるから。
・自分にとっても身近な人が殺されたらとても悲しいし、他人の場合でも自分のかぞく、友人、恋人などが殺されたら悲しいと思う。それを奪う権利はない。
・母は「その人の周りがとても悲しむからよ」と教えてくれた。僕は十分理解した。私は愛されていたからでしょう。
・十分にとって、殺したい人はいやな存在であっても、その人が死んだら悲しむ人もいる。まわりの人の気持ちにまで影響を及ぼす権利はない。

 殺された人自身ではなく、その人の家族や友人の悲しみに注目する回答がこれだけ多いのは予想していなかったが、誰も自分の死を経験することは出来ず、経験されるのは常に他人の死であるという事実を考えれば、当然な答えかも知れない。

 しかも、よく考えてみると、子どもに対する説得力という点では、この答えは現実的に有効な答えであるとも言える。多くの子どもは、いつも親や周りの近しい人々に支えられて生きている。何よりもこの支えとの関係で、自分が生きるということをとらえている。そのような子どもたちにとって、自分の家族や友人が殺されることは、全てが奪い取られる途方もなく痛ましい経験として想像されるにちがいない。この想像力に訴える回答が一定の有効性を持つのは当然である。

 この回答も、視点が家族や友人の思いに移っているとは言え、言っていることは「一人の人間のかけがえのなさ」と別のことではない。社会全体から見れば、無数の殺人事件の一つに過ぎなくても、殺された人の家族にとっては「たった一人きりの取りかえがたい」存在なのである。マスコミであまり紹介されることがないが、家族を殺された人はその後その悲しみから癒えるというようなことがあるのだろうか? 殺人によってわが子を失った親は、死ぬまでそのことを引きずったまま生きていくのではないだろうか。このような事実は、それだけで殺してはいけないことの十分な理由となっている。

 もちろん、先の回答と同じことがこれらの回答にも言える。すなわち、「家族が悲しむから」という答えは、親からの愛情を感じられないような環境で育った人には決して「説得力」のある答えではない、ということである。だれからも愛されていない、大事にされていないことを痛切に感じている人に対しては、かえって腹の立つ答えかもしれない。

|

« なぜ人を殺してはいけないか(2)――アンケート | トップページ | なぜ人を殺してはいけないか(4)――B 現実主義的回答 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« なぜ人を殺してはいけないか(2)――アンケート | トップページ | なぜ人を殺してはいけないか(4)――B 現実主義的回答 »