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2007-06-16

なぜ人を殺してはいけないか(9)――山の手緑

 次に「人間には人権があるから」という答えに分類できるものを紹介する。「人権」という言葉を安易に使えば当然紋切り調の答えになってしまいがちだが、この答えはかえってわれわれに「人権」の意味を再考させてくれる。

 「なぜ人は人を殺してはいけないのか」と問う少年がもし本当にいるのなら、私たちはまずその問いをさえぎって怒ろう(喜びながら)。そして、そのような問いに怒り、あたまごなしに禁止する態度が、民主主義なのだと明言しよう。

「知恵遅れの少年を殺してはいけない理由」などというものは、絶対にあってはならないし、その生を価値づけることで殺人を禁止するような条理(の説法)は、周到に排除されるべきだ。

人の生を等しく価値化することで「人権」や「平等」を観念するのが国家主義(天皇主義)だとして、私たちは、人の生を等しく没価値化し、価値も理由もない生をあからさまに肯定する態度を民主主義と呼ぼう。(……中略……)だから、少年の問いに対したとき、回答は二つある。「私たちはみな陛下の(神の、民族の、地球の)子どもなのだから、殺し合ってはいけないのだ」と教えることもできるし(整合的)、逆に「俺はただのデラシネだよ、でもだめなものはだめなんだよ」と言うこともできる(無理矢理)。

 重要なのは、論理的な整合性ではなく、また(階級の)しみったれた現実感でもなく、私たち各々がどのような政治的態度を示すのかである。少年が問うているのはそれ以外ではない。

(山の手緑 『文芸』1998年夏号、河出書房新社、29頁

大江氏がなぜ人を殺してはいけないのかという問いを「問うべきではない」と言うのに対して、山の手氏はこの問いに「答えてはいけない」と言う。

 普通「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに答えようとすると、人間には何か価値があるから生きる権利があるというように説明したくなってしまう。その人には「尊い命」があるから、「心配してくれる人がいる」から、そして「人権」があるから……など。しかし、あなたはこうこうこういう価値を持っているから生きる権利があると考えることは、そういう価値のないものは生きる権利がないという考えをひそかにはらんでいる、と氏は考える。それは、「世の中に役に立たない人は死んでもいい」とか「心配してくれる人など誰もいない人は死んでもいい」という考えにつながっていく、と。(たしか、『罪と罰』でラスコリニコフが金貸しの老婆を殺す理由は、そのようなものだった)。

  面白いのは最後の一文である。この問いにどう答えるかは、その人がどういう政治的な立場をとるかの問題だというのだ。「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して理由を挙げて説明するのが「国家主義」である。天皇制は、人の命が尊いのはその人が「陛下の子」だからだと答える。ナチズムは、人類の未来のためには劣ったユダヤ人は死ななければならないと考える。ちなみに、こうした「優生思想」は現代でも、遺伝子治療などをめぐる問題の中で生きている。

 それに対して、「なぜ人を殺してはいけないのか」とうい問いに理由などないと言うことこそが「民主主義」だという。「民主主義」はすべての人が生きる権利を持っていると主張するが、それは、その人がこういう人であるから、こういう価値をもっているから人権を認めようということではない。どんなに「デラシネ」であろうと、社会にとって役立たずだろうと、その価値を認めるということである。

 「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われたとき、そこでわれわれがすべきことは、どこかに答えを探すことではなく、「国家主義」を選ぶのか「民主主義」を選ぶのか決めることだというのである。そして、「民主主義」を選ぶなら、この問いには答えてはいけないのである。

 民主主義とか人権思想の本質を、文部省的な紋切り調にならずに答えている点で、また答がないことをマイナスではなくむしろプラスに転じてしまう点で、大変ユニークな答えだと思う。また、一つの問題も投げかけている。「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して、たとえば「その人を愛している家族や友達がいるから」と答えることはごく自然に思えるが、しかし今見た視点からすれば根深い問題をはらんでいるかも知れないということである。もしそれが「国家主義」が持っている問題とどこかで繋がっているのだとすれば、「国家主義」を支える考え方の基本はわれわれの日常的な意識の中に潜んでいることにもなる。

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