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2007-06-15

なぜ人を殺してはいけないか(8)――田口ランディ

 某大学での倫理学の授業では、この問いを導入に使うはずが、議論が大いに沸騰したために、ついに今日(第8回)まで引っ張ってしまった。「先生、シラバスでは最初の1回だけということになってますよ」と学生に言われた。しかし、こうなったのは、いかにみんながよくしゃべったかということである。ここの学生は、講義をすると寝るが(お疲れなんです)、議論をさせると大いに盛り上がる。聴いているうちに私も引き込まれ、思わぬ思考の冒険をすることになる。自分一人でしゃべっている授業と違って、議論がどこへ行くかはまったく予想がつかないため、ホントにまとまるのかという不安と同時に、いったいどうなるのだろうという期待もあいまって、実にスリリングな時間だった。議論をもりあげてくれた学生のみなさん、どうもありがとう。このブログでは、このゼミでの議論を振り返りながら、私自身の頭をもう一度整理していくことにする。

 さて、番組での高校生の発言をきっかけに、「なぜ人を殺してはいけないか」という問いをめぐる新聞や雑誌の記事、TV番組の特集などが相次いだ。それらの企画の中には、「有識者」「知識人」たちにこの問いをアンケートし、答えを提出してもらおうというものがいくつかあった。当時私はそれらに眼を通して、めぼしい回答を抜き出すという作業をした。そのときのメモが今も残っているので、それを以下に紹介しながら、この問いにどのような答えがありうるのかを検討してみたい。

 様々な回答があったが、便宜上先に使用した分類をここでも使って、全体を「ヒューマニスティックな回答」と「現実主義的な回答」に分けることにする。「ヒューマニスティックな回答」の一番手として、まず紹介したいのは、かつて「インターネットの女王」と呼ばれたメルマガエッセイの名手で、『コンセント』をはじめとする小説作品もある田口ランディー氏の回答である。ただしこれは雑誌のアンケートに答えたものではなく、自分のエッセイの中で氏が自発的に取り上げたものである。字数制限がないという利点もあってか、大変生き生きとした記述になっており、学生たちに紹介してもダントツで共感を得た回答である。かなり長くなるが、ニュアンスを伝えるために文書の流れをあまり省略せずに引用する。(なお、これはメルマガで配信されたエッセイの一部で、当時ネットで読むことが出来たが、現在はリンクが切れている。おそらくその後出版されたエッセイ集などの書籍に収録されているかも知れない)。

……テレビを観ていた私たちは、けっかって「ばっかもーん」と怒鳴ったのである。「なんでどいつもこいつも、このバカ少年の頭をぶんなぐってやんないんだろうね。私が親だったらこいつの頭をドついて、家にひきずって帰るけどね」と、彼女は息まいた。「まあまあ、だってテレビだからさ。みんなそういう大人の権力を振りかざしてはいけないと思ってるんだよ」

「違う」彼女は断言した。「この番組に出てる奴らは、みんな男か、もしくは子供を産んだことのないガリガリ女みたいな奴らだからわかってないんだよ」私は思わずのけぞった。そりゃ、あなたあんまりな言い分ではないですか。「こういう番組にはね、こういい気持ちで酔っぱらっていた。そして、「なぜ人を殺してはいけないんですか? 」という質問が出た時に、彼女はテレビに向いや、こういう番組こそね、そこらのフツーのお母さんが出てこなくちゃダメなんだよ。なんでこんな頭でっかちの男と女ばかり登場させるのかな」確かに言われてみるとなるほどと思う。たぶん、このような討論番組で物事を論理的に語るのに、主婦や母親は適切ではないと判断されているのだろう。少なくとも、活字にしてもまかり通るくらいの言葉でしゃべらないといけないわけだから。しかし、生命について考えるとき、母親である女性、という存在はもっとクローズアップされていいのかもしれない。「でもさあ、フツーのお母さんが出てきたら、感情論みたいなんで終わってしまうんじゃないの? 」

「感情論のどこが悪いんや。なんで人を殺してはアカンか、なんちゅう問題に感情以外のどんな回答があるっちゅーんや。だいたいなあ、人なんか戦争でいっぱい殺してきた男がだよ、人を殺してはいけません、ってルール作って子供に押しつけて、子供がハイそうですか、って信じますかいな」ついに彼女は生れ故郷の大阪弁をしゃべり出した。「じゃあさあ、あんたは、人を殺してはいけない理由が言えるの? 」「それは、子供を産めばわかる」「そんなんじゃ男は一生わからないじゃん」「だから男は戦争するんだよ、バカで人を殺してはいけない理由がわかんないから」「子供を産むと本当にわかるの? 」「わかんないバカ女もたまにいるけどね、だいたいはわかる」彼女が言うには、子供というのは、自分から生れてくるそうなのである。自分の判断で自分が出てきたい時に自分でうんこらしょと出てくるそうなのである。生れる時は自分で決める。そして、体内に宿った瞬間から生きようと始める。「そりゃあそうだよなあ、死のうとする胎児なんて聞いたことないもんな」「そやろ、赤ちゃんってのは、そらあもう必死で生きようとしてる。なぜだかわからん。とにかく生きようとする。本能っていうんかなあ。その生きようとする生命力はすごいんや。生れて来て、ぎゃあぎゃあ泣いてミルクほしがって、うぱうぱ飲んで、寝て、うんこして、一生懸命お母さんの顔を覚えてなあ。だって、赤ちゃんはお母さんが命綱やから、顔覚えんかったら死んでしまう。だからもうお母さんのことは真っ先に覚えるんや」「ふうん、そういうものなのか」「そうや。誰でもそうやって大きくなった。自分が生れたくて出てきて、必死で生きようとしてた。そしてな、これが大事なんやけど、生れたばかりの赤ちゃんはほっておいたらどうなる? 」「そりゃあ、死ぬでしょう」「そやろ、人間は3、4歳くらいになるまで、ほっておかれたらすぐ死ぬ存在なんや。2才くらいまでは誰かがつきっきりで、ご飯食べさせたり、おしめとりかえたり、とにかく四六時中誰かの世話が必要なんや。ようは24時間介護が必要な人間ってわけだ。つまりな、こうして自分が生きているってことはよ、誰かがそれをやってくれたっていう証やねん」すべての生きとして生ける人は、2歳までの間に誰かがつきっきりで寝食を削って自分の世話をしてくれたはずだ。彼女はそう断言する。そうでなければ、赤ちゃんは死ぬのだそうだ。世話をしてくれたのが母親であれ、父親であれ、施設の人であれ、この24時間つきっきりの世話というのを誰かがしてくれたからこそ、今生きているすべての人は存在している。「それを考えたら、人間が生きているってすごいなあ、って思わへんか? こんなたくさんの人がだよ、生れてすぐに死なずに、誰かの世話になってこうして生きているわけや。うちなあ、母親になって思ったんよ。よくもまあ、みんな子供を殺さずにやってるなあって。だって、あんた本当に24時間介護でっせ。それでもさあ、殺される子供なんてめったにいないわけよ。なんだかんだ言いながら、大人になる。すごいことだよね。奇跡だよ奇跡」「うーん、そんな風に考えたことは無かったけど、確かに、当たり前すぎるけどすごいかも」「なんで、赤ちゃんは殺されずに生き延びると思う? 」

「わかんない」「赤ちゃんのもっている生きようとする力が大人を感動させんねん」「生きようとする力? 」「そや。そりゃあもう、生れてきたってだけですごいんやけど、その後も、成長して生きようとする力に大人はぼう然とさせられる。目から鱗やね、もう、赤ちゃんのパワーは。それを見せつけられるから、大人はもう赤ちゃんの奴隷になって育てるんよ。赤ちゃんは、大人を圧倒して、屈服させるくらいの力を持ってるんだと思う」「そういやあ、赤ちゃんて、なんか存在がきらきらしてるよね」「誰でもそうやったんや。そのことを知っているのは母親だけや。腹の中で暴れたことまで記憶してるのは母親だけや。だから、あたしはね、なんで人殺したらあかんのか、とか言うボケガキには、お前がどうやって生れて来てどんなに必死で生きようとしていたか、ってことを話してやらなあかんと思う。どれくらい、生きたがって泣いて叫んでもがいたか。手の平に乗る大きさのくせに、自分で産道をこじあけて出てきたこと、生れてから2年間、ただ生きるためだけに懸命だったこと、そしてそれがどんなに世界を明るくしたかってこと、全部話してやる。そんで、この世の中の誰もがそうやって生れて来たんだってこと、わからせたる」……

(田口ランディ 「母親のお仕事」1999.02.20 配信メールマガジンhttp://pcweb.mycom.co.jp/column/dream/dream036.html リンク切れ)

この文章は関西弁のイントネーションが鍵になるが、ゼミに関西弁の得意な(というかネイティブの)学生がいたため、彼女に読んでもらったら臨場感溢れるすばらしい朗読となった。ちなみに、この文章はこの後、「母親の仕事」がいかに重要であるかというテーマに移っていくが、その部分は省略してある。

 さて、「なぜ人を……」への答えとしては、「命の尊さ」に類型化されることになるだろうが、命の尊さの実感を、酔っぱらいのおばさんの大阪弁を通して生き生きと描いているところがさすが「女王」である。

 酔っぱらいがくだまいているのを要約するというのもどうかとは思うが、とりあえず主張されていることのポイントを列挙してみよう。

①答えはそこいらのふつうのお母さんが知っている。
②感情論意外の答えはないし、それでよい。(直感的なもの)
③答えは子どもを生めばわかる
④生まれた赤ちゃんは生きようとする
⑤赤ちゃんが生きるためには他者の力がいる → 今生きているすべての人は他者のおかげで生きている
⑥大人になるまで生きていることは奇跡である。
⑦赤ちゃんが殺されないのは、赤ちゃんの生きようとする姿が人を感動させるからである。
⑧「なぜ人を殺してはいけないか」と聞かれたら、あなたがどうやって生れて来てどんなに必死で生きようとしていたかを話す。

論説ではないから、つっこめば論理的に破綻をおこしそうな暴論もないわけではないが、全体として言わんとするところはきちんと伝わってくる。

 ①ふつうのお母さんが答えを知っているとか、②子供を産めば答えは分かるというのは、なにも父親は分からないということではないだろう。通常母親が代表している考えられるような感覚、つまり子供を産み育てるような人の感覚のうちにこそ、殺してはいけないことの根拠があるということだ。そして、それは②理屈ではなく直感的なものだ。

 ただ、彼女は何とかその直観に説明を与えようととして、二つのことをつけ加える。一つは、④赤ちゃんは必死で生きようとするという事実である。これは、確かに赤ちゃんを育ててみれば誰でも容易に分かることである。生まれてきた者は自然に生きようとする。それを殺すことは自然の流れに逆らった行為である。もう一つは、⑧そのような生きようとする姿が、他者に感動を与え、ごく自然の流れとして赤ちゃんが生きる手助けをするという行為を導くということである。生きようとすることも自然であれば、それを助けようとすることも自然な営みなのだ。「人を殺してはいけない」という原則は、こういう人間のもっとも自然な営みから出てきているはずのものだ。

 「なぜ人を殺してはいけないか」への答えは、結局は論理で説明するといった手続きによるのではなく、母親が実感として感じとっているものを同じように感じとってもらうように伝える以外にないということだろう。大江氏が言っていた「直観」を、女性の立場から実感をもって解説してくれている答えと言える。「なぜ人を殺してはいけないか」という問いに対して知的な満足感を与える答えとは言えないが、ここから先どんな説得力のある理屈が登場しようと、彼女が言っている実感を越えることはないだろうということだけは予想できる。理屈はおそらくこの実感に後から説明を加えることに過ぎないのであって、そのような実感を持つことの出来る者だけが、その説明に同意することができることになるのかも知れない。

 しかし、以下では、あえてそのような説明をした人々の回答をさらに見ていきたいと思う。

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