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2007-07-22

夏――みたび岩崎勝平

 息子を連れてまた美術館に行った。なにせ近いのでいくらでも行ける。夕方で閉館20分前だったがかまわず入場(拝観料200円)、閉館まで「夏」の前にいた。「夏」は実は2枚一組で、先日紹介した絵の他に、やはり浴衣を着た女性二人が夕暮れの草原で絡み合っている絵がある。どちらの絵も空に複雑に雲が出ているため、光の具合が複雑で、その光と影の交錯が、しかしマネやルノアールなどの印象派の画家たちとは全く違った、他ではあまり見ることのない不思議な雰囲気を作り出している。

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 岩崎は1930年代に大作をいくつか描いているが、おそらくマチスの「ダンス」や「音楽」に影響を受け、大画面に複数の人物を配置する構図に取りつかれていたようである。しかし、他の作品が比較的動きの少ない人物たちを静物画のように描いているのに対して、「夏」の二作は二人の人物の運動を描いている。大画面の中で複数の人物を配置するというモチーフは同じだが、二人の人物の均衡が激しい運動を貫きながら実現しているところが「夏」の特徴である。こうして見ると、「夏」という二つの作品だけが、岩崎が生涯描いた絵の中で突出しているように思える。

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 しかし、それにしても何故わたしはこの作品にこれほどひきつけられるのだろう? ここに描かれているのは、人物ではなく人物の動きであり、この動きの中に現れているものだ。それは光とか風とか空気のようなものに近いが、そうではなく、こうした動きの中を瞬間通り過ぎていく何かだ。スピリット? しかし、それは個人が受ける霊感のようなものではなく、複数の人物のうちに意図せずして起こる出来事のようなものだ。結局、円陣を組む女達に現れたのと同じようなものを、私はこの絵に見ているのかも知れない。

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コメント

そうですね、やっぱり躍動感がこの絵の魅力に思えます。
そして、浴衣?でクサッパラを手をつないで走り、
くるくると回る、なんてことは、楽しいことですけれど
人生において一瞬しか訪れないキラキラした瞬間だと
思うんですよ。
第一、一緒に回ってくれるヒトがいない。
お天気じゃないとできないし。
さまざまな偶然が重ならないとできない。
それで絵が一層輝いて見えるんじゃないかと思います。

それにしても、桶川君は絵がうまいね。
美大に行きたいとかそういう誘惑はなかったの?

投稿: カリメロ | 2007-07-23 09:55

美術の専門家にコメントしていただけて恐縮です。

ちなみに「マネとかルノアールなどの印象派」と書くべきところを、「マネとかレンブラントなどの印象派」と書いてしまいました。すぐに訂正します。まあ、別にレンブラントでもいいんですが。

美大というより、昔から漫画家になりたかったんですね。というか今もなりたいです。「大きくなったら漫画家になりたい」と思っています。娘と将来なりたいものが同じという父親……。

投稿: 桶川利夫 | 2007-07-25 00:19

前の桶川氏のコメントの最後、素晴らしいですね。
「大きくなったら漫画家になりたい」・・・・・・!

そういう父親、いいじゃないですか。

僕も、大きくなったら絵本作家になりたいです。

この頃バクハツ的に売れている大人向けの絵本じゃなくて、純粋に子どものために描かれた絵本を作りたいと思っています。

いつの日か、漫画と絵本の原画展のコラボレーションをしましょう。

投稿: 白頭庵 | 2007-07-25 22:44

いいですね。僕は絵本も好きです。僕が描きたい漫画というのも、今の若い子たちの漫画と比べると、絵本に近いかもしれません。子どもがこれ一冊で百度楽しめるという理想の漫画(絵本)というものを描いてみたいです。それは子供の頃イメージとしては頭の中にあったはずのもので、よもやそれを書かないで死ぬことはないだろうというようなものです。しかし、40余年が過ぎてまだ書けていないのです。

投稿: 桶川利夫 | 2007-07-26 01:04

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