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2007-08-10

なぜ人を殺してはいけないか(12)――合田正人ほか

 人を殺すという行為が、殺される側のみならず殺す側にも決定的に破壊的な作用をもたらすことを示す答えには、先に述べた取引タイプよりももっと本質的な回答がありうる。それは、「人を殺してしまうと、結局人間のすべての営みが無意味になってしまう」というものである。

それはね、現実に人を殺すと、もう他には何もすることがなくなってしまうからだよ。それほどにも「死」というのは根本的なことなんだ。本当に殺した人、たとえば永山則夫は、「無知の涙」のノートの冒頭で、四人の人を殺したことを自分は一生涯忘れることはできないが、このノートでは「なるべくそれに触れたくない」、なぜなら「それを思い出すと、このノートは不要になるから」だと書いている。つまり、人間は結局死を可能にするために生きているのだから、殺人という形で死を「実現」してしまったら、もう何もすることがなくなってしまう、ということなんだよ。(若森栄樹 『文芸』河出書房新社、1998年夏号、24頁)

詩や小説を書くといった行為は、自分が人を殺したことを思い出すと出来なくなってしまう。詩だけではなく、たとえば恋愛だとか、家族を持つことだとか、あるい人と話したり、商売をしたり……、おおよそ人と関わるということすべてが不可能になってしまうのではないだろうか。

 このタイプの答えは、知識人の回答の中には少なくなかった。

人を殺してしまった人間は、もう人との関係を持つことが出来ないからだ。
(橋本治『文芸』河出書房新社、1998年夏号、31頁)

  人を殺せば自分の中のなにかが死ぬ。
(吉田文憲 『文芸』河出書房新社、1998年夏号、53頁

 (人を殺せば)「自分は生きていてよい」という根本感情を、私のなかで、根本的に成り立たなくさせます。
(瀬尾育生『文芸』河出書房新社、1998年夏号、31頁)

  殺すという一線を越えて得られる自由というのは、実は殺された人が得た自由と同じです。文字通りなにもないという自由。
(市田良彦 『文芸』河出書房新社、1998年夏号、32頁)

 この回答をもっとつきつめるなら、それは「倫理」の成立に関わる事態にふれる次のような回答になるだろう。

  重要なのは、人を殺してはいけない理由を知っているかどうかではない。誰かがそこにいるという単純な事実が、自分がここにいあるということに対してなしている「支え」をどこまで感知しているかだ。
(山城むつみ『文芸』河出書房新社、1998年夏号、58頁)   

 「殺してはいけない」、確かに。しかし、それは悪だからというよりは、むしろ殺害が、善/悪の規準が前提にしている<私>と他者との関係そのものを破壊するからだ。あらゆる社会関係は他者の存在を前提にしており、殺人は社会関係の可能性を奪う。
(港道隆 『文芸』河出書房新社、1998年夏号、36頁)

「人を殺すこと」は私たちが生きていて、「なぜ人を殺してはいけなか」とか議論するそのこと自体を不可能なもの、無意味なものにしてしまう行為だというのである。この答えは、「なぜ人を殺してはいけないか」という問いが論理的に破綻した問いであることを明らかにしていると言える。次のような答えはその論理的破綻を論理的に表現しようとしている。

(※岩田注 誰もが同意する二つの命題を公理として置き、そこから「人を殺してもよい」という命題が無意味であることを証明するという方法。公理1「人を殺したがっている人はどこにでも必ずいる」 公理2「良い、悪い、許される……といったことは、複数の人間から成る社会制度の中でのみ意味を持つ。」)
「人を殺すことは許される」(R)と仮定する。すると公理Ⅰにより、必ず社会は崩壊する。……人間は全員死ぬかもしれん。人間が消滅すると、公理2により、「許される」って概念は意味を失う。
(三浦俊彦 小説家・精神分析家『文芸』河出書房新社、1998年夏号、39頁)

この回答は、一見社会契約説にも見えるが、最後のところが異なっている。つまり、人を殺すことが許される場合、「許される」という概念が意味を失うがゆえに、この議論が成り立たない点にポイントが置かれているのである。単に「自分が殺されるから殺さない」とか、「社会が成り立たないから殺人はいけない」という答えなら、「自分が殺されても良い」とか「社会なんか成立しなくてもよい」という場合にはどうするのかという問いが出てきてきりがない。しかし、この回答が言っているのは、「なぜ人を殺してはいけないか」という問いが成立しないということである。

 「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは、事の善し悪しを問いかけるものである。しかし、互いが殺し合い、人間が存在しなくなってしまえば、そのような事の善し悪しを議論すること自体が意味を失ってしまう。したがって、「なぜ人を殺してはけいないか」という問いはパラドクスなのである。次の回答はこの問いのパラドクスを明らかにすることで問いそのものを崩壊させてしまう。

君は誰だ、この傷だらけの仮面は。微かに悪意と性が匂う。クレタ島の嘘つきの逆説のパロディか、これは。……君が何かを尋ねるのは、自分の言葉が通じると君が思っているからだ。僕に殺されるかもしれず、僕を殺すこともできるのに、なぜ僕に問いかける。……
(合田正人『文芸』河出書房新社、1998年夏号、38頁)

ご存知のように、「クレタ島の嘘つきの逆説」というのは、「すべてのクレタ島人は嘘つきだ、と一人のクレタ島人は言った」という有名な話のことである。もし、このクレタ島人が言うように「すべてのクレタ島人は嘘つきだ」ということになると、当然このクレタ島人も嘘つきだということになるため、「すべてのクレタ島人は嘘つきだ」という彼の発言自体が嘘だということになる。ところが、それが嘘だということになると、今度は「すべてのクレタ島人は嘘つきだ」ということは本当かも知れないことになる……。「なぜ人を殺してはいけないの」という問いも同じようなパラドクスを持っているというわけである。

 誰か他人に向かって問いかけるという行為は、相手が自分を殺さないことを前提にしている。ところが「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いは、他人に向かって問いかけつつ、その問いかけが成り立つ前提条件を疑っていることになる。人を殺すということは、人に対して何かを問いかけたり答えたりする可能性を否定することである。ところがこの問いは、そのことの是非を、あろうことか人に向かって問うているのである。「なぜ人を殺してはいけないの?」と挑発的に尋ねてくるような少年には、「君がそんなことを尋ねることが出来るのは、私が君を殺さないからだ」と答えればいいわけである。

 この合田正人氏をはじめとする意見は、「倫理」という問題についてわれわれに大変重要なことを語っている。「倫理」を「人と人との関わりの理(ことわり)」のことだとすると、「人を殺す」ということはこの関わり自体を不可能にするものである。そのときには、もはや何が正しいか何が不正であるかを考える事自体が意味を持たなくなるのだ。

 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、ちょうど自分のことを「好きだ」と言ってくれない女に、無理矢理言わせようとして殴りつづけ、とうとう殺してしまう男のようなものである。この何も言わなくなった死体にむかって、男は「おれのことを好きだと言ってくれ」と叫び続ける。「なぜ人を殺してはいけないの」と問いかけることは、そういう悲劇とも喜劇ともとれるような場面に似ているのではないか。このタイプの回答は、そのことを問いかけてくるように思う。

 「なぜ殺してはいけないか」とい問うた時点で、問うた方の負けなのである。それはすでに言葉によるコミュニケーションを志向している。そして言葉によるコミュニケーションは、暴力や殺人の否定を前提にしている。では、それは「殺すなら端的に殺せ」と、いうことなのだろうか。しかし、人間は端的に殺すことができない。かならず理由を探し求める。言い訳をしだす。イデオロギーを作り出す。そのことによって結局は言葉の領域に入ってくるのだ。とすれば、やはり人は人を殺してはならないということは必然なのである。

 ちなみにこれらの回答には感情論はほとんど関係なく、ひたすら論理的である。「人権」とか「命の尊さ」といった議論の余地のある言葉を使うこともない。にもかかわらず取引タイプのような何か冷たく虚無的な回答とも違って、われわれが人と関わりつつ生きている存在であることを肯定的にとらえている。さらに、現実にわれわれが人を殺さずにいるのはなぜかを考えた場合には、もっとも説得力のある答えを与えているようにも思える。もし理屈で「なぜ」と問うてくる場合には、どこまでも理屈で答えるこの回答は有効ではないかと思える。私の好みとしては、少年に「なぜ」と聴かれたら、さしあたりはこのタイプの答え方で答えたい。

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2007-08-04

トタンで巡る古都の旅

 S国からの帰りにK都に立ち寄った。K都には修学旅行以来ことあるごとに行っているが、いつも何かの用事があって、観光らしいことはほとんどしていないに等しい。今回ははじめからポイントを決めて、宿もその付近に取り、ゆったりと散歩することにした。

 夕方宿に荷物をおくと、平安神宮あたりから、銀閣寺へ向けて「哲学の道」を歩く。パンフレットには昔西田幾多郎が歩いたのがその名の由来だと書いてある。しかし想像していたのとはかなり違って、西田哲学の雰囲気はすでになく、むしろ彼女とのデートに最適に思える。つまり、なんかカワイイ感じ。私は妻と二人で気持ちよく歩くことが出来た。ただし銀閣寺に着いた時にはすでに門は閉まっており、中を見ることはできなかった。法隆寺の時もそうだったが、すでに門が閉まった後の寺院周辺の不思議な雰囲気が私は好きなので、それはそれで中を見るめんどうがはぶけてよかった。

 それから西へしばらく歩くと左手に黒々とした木々の茂る小山が出現。どうやら吉田神社のようだ。主要道路から一本脇に入って神社の森にそって進んでいると、道端にたたずむ妖婆に声をかけられる。もう歩く時間ではないから、早く帰れと言っている。顔はにこやかだが、ここはおまえたちの来る場所ではないと言っているように思える。私は小学生になったような気分で、「すいません」と謝り足をはやめる。神社がとぎれる間もなくK大の高い塀に突き当たると、裏戸から構内へすべり込む。吉田神社に接しているせいか、K大も含め、このあたりは何か異様な空気がただよっている。わがK越で言えばK高の裏あたたりの雰囲気だ。ああ、こういう環境(どういう環境?)で学生生活を送るK大生がうらやましい。そう思いながら正門から大学を出て、さらに鴨川までひたすら歩く。

 すでに日はとっぷりと暮れて、深い藍色に変化した水面に街の灯が一つ、二つと映っている。食事の出来る店を求めて川の向かい側に渡ったところに垢抜けた教会が一つある。K都バプティスト教会、なんと白頭庵氏の行っているところではないか! O先生のお名前が書いてあるので間違いはない。白頭庵氏は今頃はN古屋だから、ここにはいないだろうが、氏のブログには鴨川を散歩するシーンが出てくる。氏が教会からふらっと川ぞいに出ていく情景を想像する。疲れ切ったわれわれは、教会の前の店で遅い夕食をとることにする。静かでとてもよい店だった。

 全部で5キロほど歩いただろか。おかげでK都の町並みを私なりに堪能できた。いろんな点でK越に似ているが、やはり規模の点で圧倒的であることと、山が近いことが決定的に違っている。歩きながらふと覗き込む横道がいちいち魅力的な表情をたたえていて、こんな横丁がK都中にいくつあるのかと考えると、やはりさすがとしかいいようがない。いつか友人がパリに行ったとき、写真を撮る気がしなくなったと言っていたが、K都も同じだ。撮ろうと思えば、見た物すべてを撮らなくてはならなくなる。

 しかし私にはテーマがあった。トタンだ。トタンという主題があれば、撮影対象を絞ることができる。K都のような街にはたしてトタンがあるだろうかと思っていたが、この点についてもK都はなかなかのものであった。古い町並みにとけ込んでいくつかのすばらしいトタンに出会うことができた。以下、それらを一挙大公開だ。なお、この中には白頭庵氏の教会の近所の物件も含まれている。

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青い空、緑の稲、赤いトタン

 旅をするといつも感じるのは、行く先々の風景の実に色彩豊かなことである。とくに夏は稲の緑、空の青、雲の白…。浮世絵のはっきりくっきり鮮やかな色合いは、こうした風景のごく素直な表現なのかも知れない。ただし、学生のころ、蓮實重彦先生に「空虚な形容詞」を使うことを厳しく戒められた私は、決してそれを「美しい国」などとは表現しないけれども。

 S国へ帰郷したおり、見事としか言いようのないトタンに出くわした。KM島のうどん屋の裏手に建つこの建物が目にはいり、食事を終えた家族を車に残して、私は激写に走った。海から絶えず吹き付ける潮風に長年さらされるからか、KM島付近のトタンには、こちらではあまり見られないこうした橙色に染まったものが多い。稲の緑と空の青がこの橙をいっそうひきたてている。

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