« なぜ人を殺してはいけないか(13)――永井均 | トップページ | なぜ人を殺してはいけないか(15)――権利と贈与 »

2007-12-24

なぜ人を殺してはいけないか(14)――ニヒリズムの問題

 これまでに紹介してきた答えを数年前にまとめて読んだ時、実はどれもこれも説得力がないと感じたものだ。何度か繰り返し読むうちに、ようやくそれらの答えが倫理の成立の条件についての重要な観点を語っていると思い至るようになった。

 今ふり返ってみると、繰り返し読んで説得させられたのは、私が倫理の授業を教えるという前提の中においてであった。私が生活者として生きているとき、あるいは倫理学ではなく社会学の授業をしている立場のときには、むしろこれらの答えをなっていないものと感じ、「なぜ人を…」の問いには結局答えがないのだと感じた。これは意味深いことである。

 つまり、倫理学を確立しようという強い意志のあるところでは、これらの理屈はそういう意志を後押ししてくれるのに役立つが、そのような意志のないところではこれらの理屈は通用しないということである。「なぜ人を殺してはいけないか」という問いには、「人を殺してはいけない。それはなぜか」という意味と、「本当に人を殺してはいけないのか。むしろ殺してもかまわないのではないか」という意味とがある。これまでの答えはすべて前者への答えにはなりえても、後者に対すると答えにはなりえていない。しかし、アダムに対する蛇の問いのように、神の命令への疑惑が投げかけられるような場合こそが本当の問題なのではないか。

 たとえば「殺されたくないなら殺すな」という理屈に納得するのは、殺されたくない人だけである。自分の命を大切に思っている人だけが、他人の命の大切さに思い至る。したがって、自分の命を大切に思わない人には、これらの理屈は通用しない。ということは、「人を殺してはいけない」ということを説得するためには、その前に「自分を殺してはいけない」ということを説得しなければならないということだ。

 「なぜ人を殺してはいけないか」から「なぜ自殺をしてはいけないか」へと問いを転換するとき、その問いはカミユがこの世で唯一の真の問いと呼んだものになる。そして、それは言い方を変えれば「ニヒリズム」の問題ということになるだろう。われわれはこの生を根本的に肯定することが出来るのか? 「なぜ人を殺してはいけないか」といいう問いの全てがそこにかかってくることになる。

|

« なぜ人を殺してはいけないか(13)――永井均 | トップページ | なぜ人を殺してはいけないか(15)――権利と贈与 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« なぜ人を殺してはいけないか(13)――永井均 | トップページ | なぜ人を殺してはいけないか(15)――権利と贈与 »