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2008-04-29

駒落ちどころか、とうとう負けてしまって、これからが面白い息子との将棋

 息子との将棋のために考案したハンディキャップの話を書いたのは1年前のことだが、最近は駒落ちなどしていてはとうてい勝てなくなっていた。そしてとうとう今日はハンディなしで真剣に負けてしまった。私の美濃囲いに対して息子が穴熊に囲うという膠着した展開になったが、穴熊は崩しても崩しても再生してしまって、ついにこちらが力つきてしまった。息子に負けるのは、嬉しいような哀しいような………。

 これまで息子の興味に合わせて趣味を変えてきた。トーマス→電車→ウルトラマン→昆虫→野球と来て、現在は将棋に熱中している。そこで急に思い出したのが、つのだじろう氏の『5五の龍』というマンガだ。これは私が子どもの頃、『少年キング』に連載されているのを毎週楽しみに読んでいた(立ち読み)作品だ。『ヒカルの碁』の先駆けのような作品で、プロの棋士をめざす少年・少女たちの生活が実際に即して描かれている。

 ネットの古本でかき集めて3巻まで読んだが、やっぱり今でも面白い。細かい棋譜が出ているので、私のような初心者には大変勉強になる。主人公たちの人間ドラマもなかなか凄まじいものがあって、2巻で主人公が、3巻でライバルの穴熊くんが自殺を試み、穴熊君は本当に死んでしまう。文庫版のあとがきによると羽生善治氏も読んでいたようだ。私などは当時、棋譜はめんどくさいのでとばして読んでいたが、そこが羽生さんと私の分かれ道になったようだ。(いや、それ以前の問題か……(^ ^; )。

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2008-04-18

14番目のダライラマ

 突然だけれども、Pensiero さんや豆大福さんにならって、中国のチベットに対する暴力的な対応に抗議の意をあらわしておきたい。もちろん、これまでの長い間のチベットへの圧制に対してもである。

 ただ、欧米諸国や日本が中国を一方的に非難するのにも違和感を覚える。これらの国々はかつて同じ事を中国に対して行ってきたのだから。非常勤講師仲間の先生が最近訳されたダライラマに関する本の解説に次のように書かれている。

本書を通して、チベットがイギリスをはじめとするヨーロッパ列強のアジア侵略と支配の中で、どのように翻弄され、さらにはこの犠牲者とも言える中国によって、チベットがどのようにして侵略され、ついには最大の犠牲者となるかが明らかとなろう。
(グレン・H・ムリン『14人のダライラマ――その生涯と思想(下)』田崎國彦、渡邉郁子、クンチョッック・シタル訳、下、春秋社、1996年、562頁)

チベット問題はこの二重の抑圧という構図の中で見なければならないと思う。もちろんこの本でも書かれているように、中国がこれまでチベットに対してしてきたこと、そして現在行っていることは強く非難されるべきである。ただ、中国国内では欧米諸国で起こる聖火妨害に対して強い反発が生まれているとも伝えられている。その根源には、中華思想やナショナリズムもあるだろうが、欧米や日本ががかつて行ってきた中国への侵略に対する怒りがあるのではないかと思う。お前らには言われたくないということである。

 中国以外の国も無垢であるわけではないのだ。たとえば日本人が中国のチベット政策を批判するなら、中国に対する戦争責任の問題をもっとはっきりさせなければならない。それをしないで中国を責めることはできない。欧米のどこかの国の首脳のように、北京オリンピックへのボイコットをほのめかして中国への敵対心を煽るような態度は、私にはどうしても欺瞞的に思えてしまう。ましてや田中宇氏のメールマガジンによれば、そもそもラサ暴動自体が、中国を窮地に陥れるために英米の諜報機関が意図的に誘発したものではないかという疑いさえあるという。何が真実かは分からないが、いずれにしても権力国家同士のパワーゲームに乗せられたくないものだ。

 こんな絶望感ただよう事態の中で、ダライ・ラマ14世があくまでも非暴力を訴え、北京オリンピックの開催を望む声明を出し続けていることに感銘を受ける。暴力に対して別の暴力で答えることが常態となっている世界にあって、このようなメッセージを発し続けていることに敬服の念を禁じ得ない。このようなメッセージに対して応答すべきなのは、なにもチベット人だけではないだろう。

 『14人のダライラマ』はとても長大な本で、まだ最後の14世の章しか読んでいないのだけれども、これまで必ずしも紹介されてこなかった歴代のダライラマをめぐる裏舞台が詳しく描かれており、訳者によって詳細な注が付加されているので、チベット史を学ぶには大変貴重な本になるではないかと思う。この本にいくつか紹介されているダライラマの言葉の一つを最後に引用しておきたい。亡命生活40年の後に発せられた重い言葉である。

この仕事を平和的な手段を通してやり遂げようとすれば、何十年、恐らくはさらに何世代もかかり得るでしょう。私たちは、断固たる態度で、しかし辛抱強くあらねばなりません。もし私たちがこの仕事に成功すれば、私たちは、本当に世界の文化に貢献できるのです。つまり、もし力のないチベットが〝非暴力の手段だけ〟で、圧倒的な力を誇る共産主義中国に勝利し得たならば、人々は、非暴力の威力を知ることができるのですから。それは他の国にとってモデルとしての役目を果たし、さらには他の国々を勇気づけて、彼らにも〝非暴力の手段〟を採用させることができるのです。仮に私たちが暴力を用いて勝利したとしても、私たちの手に入るすべては、ただの一片の土地にすぎないのです。そんなことをしては、私たちが欣求しあこがれるチベットは、永遠に失われてしまうでしょう。(同上、下、428頁)

あのマルティン・ルーサー・キングの言葉を彷彿させる。今、このような言葉にだけ希望を託すことが出来る。

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