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2008-04-18

14番目のダライラマ

 突然だけれども、Pensiero さんや豆大福さんにならって、中国のチベットに対する暴力的な対応に抗議の意をあらわしておきたい。もちろん、これまでの長い間のチベットへの圧制に対してもである。

 ただ、欧米諸国や日本が中国を一方的に非難するのにも違和感を覚える。これらの国々はかつて同じ事を中国に対して行ってきたのだから。非常勤講師仲間の先生が最近訳されたダライラマに関する本の解説に次のように書かれている。

本書を通して、チベットがイギリスをはじめとするヨーロッパ列強のアジア侵略と支配の中で、どのように翻弄され、さらにはこの犠牲者とも言える中国によって、チベットがどのようにして侵略され、ついには最大の犠牲者となるかが明らかとなろう。
(グレン・H・ムリン『14人のダライラマ――その生涯と思想(下)』田崎國彦、渡邉郁子、クンチョッック・シタル訳、下、春秋社、1996年、562頁)

チベット問題はこの二重の抑圧という構図の中で見なければならないと思う。もちろんこの本でも書かれているように、中国がこれまでチベットに対してしてきたこと、そして現在行っていることは強く非難されるべきである。ただ、中国国内では欧米諸国で起こる聖火妨害に対して強い反発が生まれているとも伝えられている。その根源には、中華思想やナショナリズムもあるだろうが、欧米や日本ががかつて行ってきた中国への侵略に対する怒りがあるのではないかと思う。お前らには言われたくないということである。

 中国以外の国も無垢であるわけではないのだ。たとえば日本人が中国のチベット政策を批判するなら、中国に対する戦争責任の問題をもっとはっきりさせなければならない。それをしないで中国を責めることはできない。欧米のどこかの国の首脳のように、北京オリンピックへのボイコットをほのめかして中国への敵対心を煽るような態度は、私にはどうしても欺瞞的に思えてしまう。ましてや田中宇氏のメールマガジンによれば、そもそもラサ暴動自体が、中国を窮地に陥れるために英米の諜報機関が意図的に誘発したものではないかという疑いさえあるという。何が真実かは分からないが、いずれにしても権力国家同士のパワーゲームに乗せられたくないものだ。

 こんな絶望感ただよう事態の中で、ダライ・ラマ14世があくまでも非暴力を訴え、北京オリンピックの開催を望む声明を出し続けていることに感銘を受ける。暴力に対して別の暴力で答えることが常態となっている世界にあって、このようなメッセージを発し続けていることに敬服の念を禁じ得ない。このようなメッセージに対して応答すべきなのは、なにもチベット人だけではないだろう。

 『14人のダライラマ』はとても長大な本で、まだ最後の14世の章しか読んでいないのだけれども、これまで必ずしも紹介されてこなかった歴代のダライラマをめぐる裏舞台が詳しく描かれており、訳者によって詳細な注が付加されているので、チベット史を学ぶには大変貴重な本になるではないかと思う。この本にいくつか紹介されているダライラマの言葉の一つを最後に引用しておきたい。亡命生活40年の後に発せられた重い言葉である。

この仕事を平和的な手段を通してやり遂げようとすれば、何十年、恐らくはさらに何世代もかかり得るでしょう。私たちは、断固たる態度で、しかし辛抱強くあらねばなりません。もし私たちがこの仕事に成功すれば、私たちは、本当に世界の文化に貢献できるのです。つまり、もし力のないチベットが〝非暴力の手段だけ〟で、圧倒的な力を誇る共産主義中国に勝利し得たならば、人々は、非暴力の威力を知ることができるのですから。それは他の国にとってモデルとしての役目を果たし、さらには他の国々を勇気づけて、彼らにも〝非暴力の手段〟を採用させることができるのです。仮に私たちが暴力を用いて勝利したとしても、私たちの手に入るすべては、ただの一片の土地にすぎないのです。そんなことをしては、私たちが欣求しあこがれるチベットは、永遠に失われてしまうでしょう。(同上、下、428頁)

あのマルティン・ルーサー・キングの言葉を彷彿させる。今、このような言葉にだけ希望を託すことが出来る。

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コメント

■北京オリンピックで加速する中国分裂-中国分裂後の世界の大繁栄?
こんにちは。中国の壊れ具合ますます酷くなってきました。
ナチスドイツやソビエト連邦など、全体主義的な国家がオリンピックを開催すると10年後には国が崩壊するという法則は、北京オリンピックにもあてはまると思います。2018年には、テレビで中国の崩壊が、放映され、チベットは独立するか、少なくとも自治権を持つことはできると思います。ダライ・ラマはそこまで見通しているとおもいます。私のブログでは、中国分裂の筋書を10回にわったって掲載しました。是非ご覧になってください。

投稿: yutakarlson | 2008-04-18 11:41

『14人のダライラマ』をご紹介くださり、ありがとうございます。私も機会があったら是非拝読したい書物になりそうです。私の場合どうしても、チベット仏教とキリスト教との関係で考えてしまうので、とても参考になりそうですね。

今回のチベット騒動は、さまざまな欲望、思惑、希望、隠蔽、陰謀、無知などが交差して成り立っているように思えてなりませんが、桶川さんのおっしゃるとおり、ダライラマの一貫した非暴力の訴えと彼独特の明るさに救われる思いがします。

聖火が長野にやってくるまであと1週間だそうですが、それにしても、テレビ等で伝えられる長野市民の反応には、個人的には失望の念を禁じえません。善光寺がスタート地点の辞退を申し出たことは当然だったと思いますが、私が見聞きした範囲での市民の反応は、「無事に終って欲しい」「騒動は御免だ」的なものが多いです。もう少し、チベットの人々に対する配慮なり、桶川さんのおっしゃるような歴史認識への言及なり、そのような反応があってもいいのに、自分のところが無事に事済めばそれでよし、という感じです。長野の人たちは冷たいのね、と皮肉のひとつも言いたくなります。

しかしこれとて、私がマスコミというフィルターを通して知る彼らの反応にすぎないわけですから、これだけで彼らのことを断じるのもどうかとは思いますが。それに、これは恐らく長野市民特有の反応というわけではないのでしょうし。

投稿: 豆大福 | 2008-04-19 19:48

 そうですか。私はここのところあまりテレビを見ていないので長野市民の様子はわからないのですが、youtubeで某有名寺院の住職がインタビューを受けているのを見て唖然としました。ダライラマの態度をどう思うか聞かれて、平和な日本に住んでいる自分には何とも言えない、それぞれお国の事情があるので分からない、といった発言に終始していました。外国人がインタヴューしているんですが、どう思ったでしょう。

 もちろん、pensie_log さんが紹介されていたような立派なお坊さんたちもいらっしゃるわけで、同じ聖職者と言っても人様々なのでしょう。どういう心構えで信仰を持っているのかはふだんは分からなくても、こういうときの態度に表れてくるもんなんですね。私は聖職者ではないけれど、一人の信仰者としていざというときにどういう態度がとれるのか……我が身をふり返って考えさせられます。

投稿: 桶川利夫 | 2008-04-19 23:24

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