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2008-05-04

実状に合わない憲法は廃止すべきか?

 憲法について道路交通法との類比で考えてみたい。

 以前、自転車が横暴だという話をトロウさんが書かれていた。たしかにそういう自転車が最近は大変目に付く。昨日もひかれかけた。ただ自転車には専用の道路がなく、車道に出れば大変な危険にさらされるし、歩道に入れば邪魔者扱いされる。気の毒な面もある。むしろ一番横暴なのはなんと言っても自動車だと私は思う。

 たとえば徒歩で横断歩道を渡ろうと思って道ばたに立つ。前を自動車が通り過ぎる。次々に通り過ぎる。私は自動車がすべて通り過ぎるまで待たなくてはならない。これは今日ごく当たり前の風景であり、歩行者は誰も文句も言わず車が途絶えるのを待っている。文句を言っているのは私のような一部の偏屈者のおやじくらいのものだろう。

 横断歩道を渡ろうとしている歩行者がある場合、自動車はすみやかに停止して道を譲らなければならない……。そう自動車教習所で習った記憶がある。この教えを守っているドライバーがはたして一人でもいるのだろうか? 私の経験では、そんな車は100台に1台あるかないかだ。ほぼ全ての車は横断歩道を渡ろうとしている人の鼻先を平然と通り過ぎて行く。私は腹が立つから、ときどき自分の体を張って車の前に飛び出すことがある。(困ったおやじだ)。車は驚いたように止まって私を見る。驚くなよ。自動車学校で習っただろうが、と私は思う。

 もちろん私もドライバーの側になることがあるので、停車しない車の言い分も分かる。ある程度スピードを出していると、歩行者に気づいても急には停止でない。後から車がきている場合には、急ブレーキはかえって危ない。正直なところ私も止まれないことが多い。では、横断歩道で止まらない車が多いのは仕方がないことなのだろうか。前々から気になっていたので、調べてみた。 「道路交通法」に次のようにある。

第三十八条  車両等は、横断歩道又は自転車横断帯に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。(下線引用者)

つまり、「急には止まれない」という言い訳はできないのだ。止まれないような速度で走っている時点ですでに規則に反しているのだから。車は横断歩道が近づいたらスピードを時速10キロくらいに落として、注意しながらそろーりと横断歩道に近づく。そして、人がいれば停止線の手前で余裕を持って止まる。これがあるべき道路交通の姿なのだ!

 まあそいうことなんだけど、そんなことを守っている人は多分一人もいない。そんな走りかたをしていたら、たちまち後ろからクラクションをならされてしまうだろう。つまり、車社会の到来によって実状が変わってしまったのだ。実状に合わせて人々の意識も変わり、誰も本来自動車が横断歩道の前ではスピードを緩めるべきだという常識を失ってしまったのだ。

 ではそんな実状にあわない道路交通法は改正すべきか? ここが重要なのだが、決してそうではないと私は思う。たとえ実状にあっていなくても、こういう絵に描いた餅のようなすばらしい法律は残さなければならない。あくまで実状の方が間違っているのだということを忘れないためにだ。

 横断歩道を渡ろうとしている人がいるのに、そこを通り過ぎる車はやはり悪いのだ。ごめんなさいという思いで通り過ぎるのと、当然だという思いで通り過ぎるのとでは全然違う。ごめんなさいという思いがあえば、こんな現状を変えなければならないという問題意識が受け継がれていき、いつか現状を変えることが出来る日が来るかも知れない。現状にあわせて法律を変えてしまえば、その時点でそのようなチャンスは永遠に無くなってしまう。

 ある種の法は上の道路交通法のような機能をはたしているのではないだろうか。憲法とはその種の法である。憲法とまさにそういう機能を果たすことにこそその本来のつとめがあるはずである。平和憲法が実状にあっていないのは事実だが、だから憲法を「改正」すべきだというのは本末転倒だ。あくまで現実を改正することを考えるべきだ。もちろん現実は複雑であって、そう簡単に変えられない。しかし、そのことと現実のままでよいということは全く別の話である。

 憲法が有名無実化しているというのも間違いだ。たとえば、この道路交通法38条は実状にあってはいないかも知れないが、事故が生じた場合には実際的な効力を発揮する。横断歩道を通過しようとしている人が、そこを通過する車にひかれた場合、100%車の方が悪いことになるそうだ。憲法だって同じだろう。自衛隊の海外派遣や首相の靖国参拝に対して少なくとも批判することが出来るのは憲法が実際に存在するからである。憲法がなければそした批判は間違いなく弾圧される。「国旗・国歌法」をなんとくなく成立させてしまった失敗を二度と繰り返してはならない。現憲法を死守すべきだ。

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コメント

憲法記念日をはさんで、いろいろなところで憲法の話を耳にしましたが、危機感のつのる世相を実感するような話ばかりでした。そんな中で、桶川さんの記事は面白く読ませていただきました。

つのる危機感の最大の要因のひとつは、自衛隊のイラク派兵が憲法九条違反だとした名古屋高裁の画期的な判決の確定後に、「そんなのカンケーねえ」とのたまった航空自衛隊幕僚長のつい先日の発言でした。
当然のようにあちこちで問題になっていますね。
幕僚長の心情は、もしかしたら、横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいたら停車せよという道交法など「カンケーねえ」と思っているドライバーたちと同じレベルかもしれません。

建築基準を満たさない不良建築物をバンバン建てていた業者でも同じことで、たとえば大震災がきて町ごと全部倒壊してしまったら、基準を満たしていようが満たしてなかろうが、そんなの関係なくなっちゃう。壊れたら一緒、震災後に倒壊家屋が建築基準違反だったかどうかなんて誰も調べないんだから、建てまくった方が得だ、っていう発想。

挙句の果てに、厳しい建築基準は現状に合っていないから改正すべきだ、なんて議論が出てきたとすれば、もう何でもアリの世界、修羅の世界になってしまうでしょう。

いのちも愛も平和も、そんなのみんなただの言葉、現状に合わない理想に過ぎない、眼前の利害に比べれば、そんなの関係ねー、という発想。

こういう発想の蔓延は、文明社会じゃないです。平和を実現しようとする社会じゃない。

現状で、世界ぜんたいの平和を実現できそうにないのは明らかかもしれない。けれど、平和憲法は、普通の法律じゃありません。成文化することのできない大海のような自然法のなかから、人間が、悲惨で愚かな歴史と真剣な希求を通じて汲み上げてきた、文明社会の実現すべき基本的な理念のひとつの定式化です。
自分たちに、平和なんて実現できるはずがない、と改憲論者たちが思っているとすれば、その現状認識は、ある意味で正しいと思います。僕らに、平和を実現することはできないかもしれない。しかし、だからこそ、僕らには、平和を実現することをこの社会の最大の使命だとする憲法が必要なのです。

政教分離は、桶川さんのテーマのひとつだったと記憶しています。そんなの関係ない、という発想に抗する議論を期待しています。

投稿: 白頭庵 | 2008-05-05 13:22

白頭庵さんコメントありがとうございます。最近テレビを見ていないので、世間からずれたことを言っているかも知れません。幕僚長のその発言も知りませんでした。

憲法というものがあり、憲法判断というものがありながら、それが実効力をもたず、閣僚がそれを公然と無視するといったことが起こると、憲法に何の意味があるのかと思ってしまいます。しかし、憲法は誰に無視されようと、やはりそこに存在することには大変大きな意味があるのだと思います。

憲法の存在は、われわれの社会に崇高な理念の領域があるということを死守しているのではないでしょうか。白頭庵氏が言われるように、これは平和を実現することが出来るか出来ないかという現実の能力や可能性の問題ではないのでしょう。人間は何であるかよりも、何でありたいかによって生きるとすれば、社会もまたどのような社会でありたいと願うかによってこそ人間の社会たりうるに違いありません。

投稿: 桶川利夫 | 2008-05-06 00:39

白頭庵さんのおっしゃる

>平和憲法は、普通の法律じゃありません。成文化することのできない大海のような自然法のなかから、人間が、悲惨で愚かな歴史と真剣な希求を通じて汲み上げてきた、文明社会の実現すべき基本的な理念のひとつの定式化です。

とのところ、これは憲法第97条―「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」―の精神を言い表していますね。もっとも97条は基本的人権について述べていますが、白頭庵さんのおっしゃる平和主義に関しても類推解釈が許されるところではないでしょうか。

この条文は、特に自民党の憲法調査会などは「メイド・イン・USA」の典型だといって、かなり不評な条文のようですが、個人的にはこの条文、憲法103条の中でもっとも好きな条文のひとつだったりします。

ところで、政教分離の問題が、桶川さんの研究テーマのひとつだと初めて知りました。私も、桶川さんの今後の論考を期待しています。

投稿: トロウ | 2008-05-06 12:35

研究テーマというのは大げさですが、一人のキリスト教徒の日本人として深い関心をもっているので、ブログでも話題にしていきたいと思っています。

投稿: 桶川利夫 | 2008-05-07 23:43

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