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2008-05-23

ひさしぶりの更新

 このブログもそうなのですが、ここでは大福先生のホームページのことです。約一年ぶりということになります。豆大福さん作成によるティリッヒ『芸術と建築について』の書評を先日アップしました。履歴を見ると、昨年の四月から一年以上更新していなかったことになります。また、先生のテクストとしては一昨年の六月にアップした「神学と世界観を媒介するもの」以来なので二年ぶりです。

 更新を怠っているうちにアクセス数も減ってきていて、2万件の手前でやや足踏み状態です。しかしながら、過去に書かれた論文の再録が多いとは言え、キリスト教神学に関する本格的な内容を提示しているという点で言えば国内随一と自負しています。神学関係の言葉を検索するとしばしばこのページに行き着くことがあって、たとえば「聖霊論」、「救済史」、「贖罪論」、「聖餐論」などの用語や、「神の死」、「テリッヒ」、「ブルトマン」などの人名をGoogleで検索すると10位以内にわれらがサイトが出てきます。神学生が即席レポートに大福先生の論文を盗用して神学教師の苦笑をさそうといった現象もあるいは起こっているかも知れません。なお、「サリンジャー」でも第6番目に出てくるので、アメリカ文学をやる学生には先生の名が意外と知られてるかも。(笑)

 これまで先生の過去の雑誌論文を中心にたくさんのテクストをアップしてくることが出来たのは、雑誌のコピーをもとにボランティアで大量の打ち込み作業をして下さった方々のおかげです。特にヒラピャンさんとクロロさんはネットでの募集にメールで応じてくださり、その後かなり長い期間にわたって作業を続け、大量のテクストをタイプしてくださいました。その後も未だ直接お会いしたことはありませんが、この場で改めて感謝を申し上げます。他にもカリメロさん、pensie_logさん、それに今回の豆大福さんにもお世話になりました。ありがとうございます。

 今はまったく私の個人的な都合により休止状態のようになってはいますが、もう少し余裕が出来たらまた再開するつもりです。今回のテクストは豆大福氏が新しく「発見」されたものですが、サイトのbibliographyからもれている文章もまだまだあるのではないかと思います。みなさんの「こんなところでみつけたぞ」といった情報をお待ちしています。そのほか、大福先生に関連する論文やエッセイなども今後は載せていきたいと思っています。むしろ大福研究が本当の目的のつもりなので、是非みなさんのご協力をお願いいたします。

 なお、このブログで私は桶川利夫というペンネームを使っており、それに合わせて私を含めた知人の名前を原則的にニックネームないしは仮名で呼んでいます。ただしそれは匿名ということでは必ずしもありません。大福先生が誰なのかは上のリンクからすぐに分かってしまうし、その管理者である私が誰かもすぐに分かるはずです。ただ、ブログの記事は少しくだけた話も描きたいので、一応本名で書く文章とは区別しておきたい、ワンクッション置きたいだけです。たとえば私の本名で検索をかけた時、このブログの記事が大量に出てきてしまうのはちょっとイヤだなと思うわけです。ですから一応はペンネームで書くことをお許し下さい。もし本名が知りたければ、上のような仕方でお知り下さい。匿名は卑怯だと考える人もいるでしょうし、それにはある意味では共感するところなので、念のために断っておきました。あしからず。

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コメント

いや、本当に久しぶりの更新だったようですねsmile
ネットでの公開の場合、書店で売る書籍とは違って「○ヶ月で返品」なんてことがないので、その分、気は楽ですね。「は、早く読者に買ってもらわなければ…」などという心配をしないで済みますので。なので、のんびりいきましょう。

>そのほか、大福先生に関連する論文やエッセイなども今後は載せていきたいと思っています。

私も是非、いつか参加させてくださいhappy01
私も諸々の都合があって、今なかなか論文などを書く時間が取れないのが悩みですが、書きたいテーマは結構あるんですよ(正直のところ、それらが「ネタ帳」(?)にたまる一方だったりする)。

とくに、世で野呂神学における実存論的神学について言及されるとき、誤解されているなあと思うことも多いですし、さらには、これは理解が追いついていないままでの批判ではないか、と思われることも非常に多いと感じています。

ついでにいえば、「組織神学」という分野に対する認識自体、神学者でさえバラバラで、それがどのようなことを対象にする学問であるのかが明瞭にされていないと思われますが、これはいかがなものかとも感じています。ちょっと大きなことを言ってしまいましたが、これが私の思いの正直なところ、であると同時に、それに立ち向かっていくという力が足りない、自分の不甲斐なさが歯がゆかったりしますweep

投稿: 豆大福 | 2008-05-24 19:05

久しぶりの更新とのこと、嬉しい知らせですね!

数年前、改めて野呂神学の奥深さを知った者としては、このサイトの充実は、喜ばしいことです。今後もぜひ、頑張ってください。

ところで、匿名性のことですが、僕は、ある時期から、ネット上でほぼ完全に匿名にしました。それでも、本人を特定できるいくつもの手段を意図的に用意しているのですが・・・

トロウさんも、以前、匿名化について記事を書いておられました。桶川さん、トロウさんのそれぞれの意見には共感します。けれども、匿名化については僕にもいくつかの理由があり、そのうち自分のブログでこのことについて書こうと思っています。

投稿: 白頭庵 | 2008-05-25 10:25

豆大福さんはお忙しいようですが、是非近いうちに大福論を書いていただきたいですね。いつか大福先生から教義学ではなく組織神学であることの意味を考えるべきだと言われました。これについても豆大福さんのご意見を伺えればと思います。

また、白頭庵氏の匿名についての考え方も是非教えてきただきたいと思います。私自身正直なところどう考えるべきかはっきりとした考えを持つには至っていません。これまで、ネットという新しいメディアをめぐっては、私もずいぶんと手痛い失敗を繰り返してきた気がしております。匿名の問題についてもそういう過ちを繰り返したくないと思っています。

投稿: 桶川利夫 | 2008-05-29 23:56

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