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2009-10-15

人生の二重化?

 白頭庵氏がブログで書かれているのを見て、私も数年前まで幼稚園の運動会で疑問に感じていたことを思い出した。それは運動会というより撮影会であった。

 うちは子どもたちも妻も妻の母もビデオ映像に興味はなく、興味があるのは実は私だけである。だから誰からもビデオを撮ってとは頼まれないのだが、白頭庵氏のように白熱の応援をするタイプではなく、どちらかと言えば運動会は手持ちぶさたで困ることもあって、まあビデオでも撮るかという感じて撮っていたのだ。

 しかし、しだいに周りの父兄たちが撮っている姿があまりに異常なのに気づき、だんだん気持ちが萎えていってしまった。たとえば、50メートル走では、撮影する親たちがやおらコースを取り囲み、競技者の家族以外の人たちは彼らの背中しか見えなくなってしまう。これでは、たとえば通園バスが一緒のアヒル組の○○ちゃんを応援しようと思っても、自分の子以外の競技はまったく見ることが出来ない。つまり50メートル走というのは、自分の子どもが走るのを親が撮る撮影会になってしまっているのだ。親はひたすら自分の子しか見ていない。子どもの方も、自分の親だけの視線に見つめられて競技をする。

 もう一つ異様なのは、ダンスなどの出し物を二回やるという光景だ。一回目は本番で、二回目は撮影用。これは、ダンスが始まると親が撮影のために自分の子どもに殺到して演技が成り立たない、という事態を打開するために園側が考えた苦肉の策なのだ。とにかく自分の息子、娘がアップで写っているビデオさえ作れれば、運動会そのものがどうなろうと知ったことではないという、親のエゴ丸出しの有様に、さすがの私もビデオ撮影という行為に対して一気に冷めてしまった。今はビデオがこわれてしまって撮せないのを機に、現物の方ををちゃんと見るように方針転換している。もう5年くらい前の話だが、きっと今も変わってはいないだろう。

 運動会での親のビデオ熱というのは、もしかすると今味わうべきことをわざわざ記録に残して後で味わおうということだったり、もっと極端な場合にはいったんビデオにしてブラウン管(ちょっと古いか?)を通さないとリアルに感じられないということだったりするのかも知れない。そう考えると、 私自身フェティッシュな傾向のある人間なのでよく分かるのだが、それは一つの大きな倒錯なんじゃないだろうか。

 あと、ほんとにずっーとカメラを回している人がいるけど、その場合撮っている時間と同じだけの映像が残っているわけで、それを見るには運動会と同じだけの時間が必要ということになる。要するに人生を二度生きるという無駄をしていることになるのではないか。記録を残すことは人類の昔からの課題であり欲望でもあるが、記録技術が高度になりすぎて、人は人生を生きながら、同時にそれとほぼ全く同じものを記録しつづけるということが可能になりつつある。そなると、いったいそうやって人生を二重化することになんのメリットがあるんだろうという話になろう。

 人生を一つの贈与とすれば、それを再所有しようという要求は、この贈与としての性質を消去しさりたいという欲望なのかも知れない。

 ついでに言えば、写真撮影はみなある意味で盗撮かも知れないということも最近ちょっと思う。とくにデジカメで風景などを撮って、いそいそとその場を立ち去る人の姿を見るとそう思える。昔と違ってもうファインダーを覗くという姿勢は見られない。その分だけ、何か知らぬふりをして何かをかすめとっている印象が強い。かすめとったものを持ち帰って、自分のブログにでも載せようというのだろうが、どうもさもしい感じがしてしまう。もちろん、それはまさに自分自身の姿でもあるのだ。(「盗撮」などという言葉を使うと、変な広告がつきそうでコワイな)。

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コメント

先日、絵本の読み聞かせ会を開きました。
熱心に聞き入っている子どもたち。
子どもと同じくらい熱心なお母さんたち。
その後ろに、少々手持無沙汰な様子のお父さんたち。
駐車場の車の中で、会が終わるまでずーっと待っているお父さんも。
来てくれるだけ、ましになったのですが。

投稿: 白頭庵 | 2009-12-08 11:47

ご自宅でですか?
まあ、お父さんというのはそういうとき自分の役割がわからなくて困るんですね。わたしも同じようなものかも知れません。

でも読みきかせは死ぬほどやりましたよ。リンドクレーンもやりました。やかまし村のこどもたち。ほかにもヘンリー君シリーズとか、エルマーのぼうけんとか。やはり子どものころ自分が読んだものがいいですね。毎夜毎夜えんえんと読みました。

今では主に歌い聴かせの方が多いです。小田さんの歌を1、2曲歌い、BUNP OF CHICKENの「花の名」を歌い、最後にかりゆし58の「さよなら」を歌うと、息子は必ず眠りにつくので不思議です。

ふつうのお父さんはなかなかそんなひまないでしょうね。

投稿: 桶川利夫 | 2009-12-12 23:11

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