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2009-11-25

死霊

 Sが亡くなってから6年が経った。彼のいない世界をもう6年も生きてしまった。6年前の11月25日の朝に奥さんが起こしにいくと、寝床の中で冷たくなっていたという。突然の死だった。

 彼とは高校時代からのつきあいだったが、一番よく会っていたのは、互いが大学生の頃だった。私の下宿していた I 袋本町の安アパートには電話はなく、しかも全住人共有の玄関には鍵をかけることになっていたので、友人が外から訪ねてきても本人には分からない。友人はいったん隣の大家さんに声をかけ、大家さんが庭ごしに「桶川くーん、友達よ」と呼んでくれるわけである。Sはそんな不便な私のアパートを、あきもせずたびたび訪れてくれた。本人がいるかいないかは訪問してみるまで分からない。おそらく、わたしが不在のため空しく帰っていったことも何度もあったに違いない。だが、それは私がSのアパートを訪ねる場合も同じことだった。

 そんなわけで、彼はわたしの都合などとは全く無関係に突然やってきて、わたしの部屋で数時間をすごし、そして帰っていった。一升瓶を抱えてやってきて一晩でそれをあけ、翌朝気づくと姿が見えず、「確か昨日Sが来たっけな……」といったことも何度かあった。彼のつまみはきまってポテトチップスで、それだけで十分というような様子だった。

 彼は重そうなバッグをかかえてやってくると、いつも床にあぐらをかいて座る。その座り方は武士のように背筋をピンとのばし、顎を引き、やや上目づかいにじっとこちらを見つめるといった形で、他に現代人でそのような座り方をする人を見たことがないようなものだった。

 彼と私のあいだにかわされた会話の雰囲気を一言で言えば、それは沈黙……だったと思う。もちろん、彼は決して無口な人間ではなく、時には饒舌とも言えるくらいよくしゃべることもあった。何か関心のある出来事があった場合には、興奮して一人でしゃべっていることもあった。しかし、にもかかわらず、会話を支配する全体的な雰囲気はやはり沈黙だったと思う。

 どんなにぎやかな会話にも、はなしの途切れる瞬間がある。通常の日常会話では、こうした一瞬の途切れは機転の利いた誰かによる次の一言ですぐに新しい会話の流れへと導かれていく。だが、Sと私の場合には、両者に会話の途切れをどうにかしようといった配慮が一切欠けており、途切れてしまえばしまったで、そのまま放っておいてもいっこうにかまわないというような共通了解があった。ある時など、彼がやってきた時にちょうど寝起きだった私が何もしゃべらず、彼もまた特に話題を持ってきたわけではないので何もしゃべらず、そうして30分くらい互いに黙っていて、その後彼が「じゃ」と言って帰っていったというようなこともあった。このような他人との関係は、それまでに他には決してなかったものだったし、これからもまずありえないものだろうと思う。

 たしか上京して2年目の大晦日、Sにとっては上京して3年目の大晦日ということになるが、わたしは下宿で一人年の暮れを迎えようとしていた。が、突然思い立って、自転車で北へと向かう小旅行に出ることにした。旅先で年を越そうというわけである。夜中中走って高崎まで行って新年を迎え、それからそのまま帰ってくるという大雑把な計画を立てると、すぐに自転車にまたがった。

 北へ向かう道の最初の数キロにちょうどSの下宿がある。彼は新聞配達をしていたので、元旦には新聞を配らなければならない。私の気まぐれ旅行につきあうわけにはいかないのは分かっていた。しかし、出発前になぜか彼に会っておきたくなって彼のところに寄った。

 彼の部屋もまたうす暗く雑然としており、そこかしこに書物が平積みになっていて、その合間をぬって一升瓶やビールの空き瓶が置かれていた。わたしのくだらない計画を話すと、彼は微笑み、ではきみは自転車の上で年を越すことになるのだから年越しそばも食えないだろう、ここで食べて行き給え。と言って、カップうどんをご馳走してくれた。その時、彼は冷蔵庫から取り出した鶏肉のかけらと長ネギをカップ麺の中に入れ、そこに熱湯を注いだものを出してくれた。それまでそんな食べ方をしたことがなかったので、そんな湯をかけただけの生の肉を食って大丈夫かとちょっと心配したが、食べてみるとすっかりゆだっていて意外にも美味く、底冷えのする夕方には大変暖かい食事となった。これから寒く心細い旅をはじめようという私にとっては、思わぬ温みのある見送りだった。帰りにもまた彼のところに寄って、旅の報告をしたものだ。黙ってネギとカシワを入れる時の彼の妙な手つきが今も瞼の奥から去ろうとしない。

 彼はいろいろ独特の趣味を持っていて、たとえば自転車は彼の影響で始めたものだし、彼の影響で聞き始めた音楽もいくつかある。山崎ハコなどは彼が教えてくれなかったら聴くチャンスはなかっただろう。しかし、彼が教えてくれたものの中で今も不動の魅力をたたえているのが埴谷雄高の『死霊』だった。彼がこの難解きわまりない本を一体どう理解していたのかは不明だが、ともかくもこの『死霊』の主人公たちの雰囲気は、まさに一対一で向かい合っているときの彼の雰囲気だった。この本は私にとって未だに難しくて理解が難しい本なのだが、しかしその魅力をうち消すことが決して出来ない本でもある。他ならぬSから紹介されたということが、この本の魅力を特別のものにしているかも知れない。

 葬儀の折り、彼の息子さんの姿を遠くからはじめて見た。Sを華奢にして美しくしたようなその姿を見て、彼のような一種独特の孤独な男の命が、このかわいい男の子に着実に手渡されていることを感じて、非常に不思議に思った。その姿は悲愴でもあったが、また救いでもあった。彼が死後どこへ行ったかは、彼がどのような信仰を持っていたか分からないので何とも言えない。しかし、私としては彼が『死霊』に出てくる人物たちのように、nowhere, nobodyの場所で、どこでもないがどこででもあるような場所で、不思議なその雰囲気のまま永遠にとどまっていてくれればと願う。

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コメント

同じような体験をしていたんですね。彼は、僕のところにも、おもむろにやってきて、宿泊して帰っていったものです。

奥さんはどうしているんだろな。葬式のときに、Sのことを忘れないで下さいと言っていたよね。

投稿: くんくん | 2009-12-05 16:59

意外と人恋しくなるタイプだったんでしょう。

二人の息子さんももうだいぶ大きくなっているはずだから、今は子育てで大変でしょうね。

投稿: 桶川利夫 | 2009-12-06 23:40

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