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2009-12-18

中学生に哲学を!

 「学級崩壊」とか「学校崩壊」が言われたのは十年前のことだ。今そういう言葉が使われないのは、ただそれが常態化しているだけかも知れない。私は小中学校の現場を見ているわけではないので分からないが、子どもの話を聞いているとそんな気がする。

 学校が崩壊していくのは当然だ。社会は多様化していくのに学校はいつまでも画一的な教育をしているからだ。では、今のやりかたと違ったどんな学校のプランがありうるのかと言えば、あまりいい案もなく、とりあえず今のままやるしかないんじゃんというところだろう。

 ただ一つ言えることがあるとしたら、今の学校に必要なのは哲学だということだ。パソコンのけいことか英会話なんか必要ない。やりたい奴は金をはらってやるだろう。そんな暇があったら哲学を勉強させろ。それは哲学史を勉強させろということではない。哲学的な問いについて考える場をもうけろということだ。

 たとえばクラスで話し合いがもたれたとする。一部の男子がうるさくて話し合いにならない。先生が「なぜうるさくするのか」と注意すると、「人間の本能でうるさくするのだ」と口答えする。男子が言いそうなつまらない口答えだ。ところがある女の子が立ち上がって、「本能のまま行動するのは動物のすることで、かわいそうな奴だ」と言ったら、その場はシーンとしてしまった。

 この女の子は私の娘なのだが、私がカントの話をしていたのを覚えて使ったのだ。男子の言ったことは「本能」という言葉の使用を間違っている。娘はそこをついたわけだ。

 娘はうるさい男子に授業を妨害されて、いつも怒っているが、かつてうるさかった男子である私はあまりその男子を責めることもできない。ただ、自分の経験もふまえていえば、中学生の男子に必要なのは哲学だ。彼らは自分の中から出てくる制御不能なエネルギーにとまどっている。そして、わけもわからないで様々な行動をしている。どちらかと言えば何かにまきこまれている感じにちがいない。彼らは彼らなりにそれらのわけのわからないものを何とか理解したいと考えているはずだ。しかし、それに対して中学校であてがわれている言葉は、あいもかわらぬきれいごとの羅列だ。もはやそんな言葉は教師自身さえ信じていない。大人の社会では紋切り型も必要な場合があるが、中学生にとっては百害あって一利なしだ。教師も生徒もだれも信じていない言葉が宙にういたままさまよっている。

 そこで必要とされているのは、事態をありのまま見てじかに言葉にすることだ。つまり哲学の言葉が必要とされている。余計な配慮なしにいろんな疑問をあけすけに議論してみることが必要だ。今自分はどういう心と身体の状態にあり、学校で何をしようとしているのか。社会とはどのようなもので、どんな理不尽さをかかえこみながら成立しているものなのか。戦争はなぜ起こり、そこでどんな悲惨が生まれているのか。悲惨であると誰もが思いながらも、決して戦争がなくならないのはなぜか。誰もがいじめは悪いと分かっているのに、どうして誰もがいじめに加担してしまうのだろう。本当にやるべきことは何で、世間でいわれている何が本当なのか。

 それに大人がうまい答えを与えるということではない。実は大人も分かっていないそのような問いを中学生といっしょに考えてみたらどうかと思うのだ。

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