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2010-02-25

ナショナリズムよ、さようなら

 女子フィギュアのSPで、浅田真央の完璧な演技のあとキム・ヨナがそれを上回る演技をするのを見ていると、この二人は本当にすごいと思い、どっちが金でもいいんじゃないか、互いに讃え合えばよいではないかという気持ちになってくる。

 しかし、そうはいかない。日本人は真央ちゃんの、韓国人は「国民の妹」の金でなければ納得しない。いつもふと空しくなるのは、真央ちゃんが金をとっても喜ぶのは日本人だけで、韓国人はただひたすら残念に思い、不満にさえ感じるだろうということだ。各国のとった「金」は、結局その国の人たちだけを満足させる。

 オリンピックをここまで熱くさせている原動力はナショナリズムという感情に違いないのだが、それをよくよく反省してみると、これほど空しい感情はない。それは結局はエゴイズムの感情に行きつく。それは、自分は何とすばらしいんだと満足して喜んでいるのは自分だけでであるという根源的にさみしい感情だ。

 ナショナリズムなどではなく、二人のパフォーマンスが到達しているものにこそ賞賛を送るべきなのだが、いつのまにかそのような賞賛が暗い欲望に変質していってしまうのは残念だ。どちらが金をとっても、とれなかった方は怨恨をたくわえることになる。

 それを避けるにはどんな結果がよいかを考えてみた。まずキム・ヨナが最高の演技をし、次に真央ちゃんがそれを越える演技をして総合得点でそれに並び、みんなが「二つの金メダル」と思ったのもつかの間、次のジョアニー・ロシェットが世界最高得点をたたき出し、カナダの人たちは感涙にくれる。最後は、キム・ヨナと真生ちゃんがロシェットを両方から祝福し、みんなで世界平和を誓う‥‥というのはどうだろう。どうも小学生が考えたシナリオのようだ。

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