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2012-03-29

キリスト教とは何か

  先日、トロウさんから野呂先生の遺稿の一部をコピーさせていただいた。その頃の先生は片方の目が全く見えず、もう片方は眼鏡をかけても視力が0.3だったから、本を読むには拡大鏡が必要だった。字を書かれる場合にも、手元を拡大鏡で映しモニターを見ながらの作業となる。そうして書かれた貴重な原稿を今回読むことができた。快くコピーさせて下さったトロウさんには本当に「ありがとう!」と言いたい。

 さて、三種類の原稿のどれも興味深かったのだが、特にキリスト教の四つの類型についての原稿は、きわめて衝撃的な内容だった。ここでそれを紹介してしまうと、後に出るだろう遺稿集のネタバレになってしまうので、むしろ遺稿集の宣伝となる程度にとどめたいと思うが、どうしてもこの遺稿について考えたことを書き留めておきたい。

 この遺稿の中で先生は、原始キリスト教から現代に至るキリスト教の多様性のうちに四つの類型を見出すことができると言われる。①はトルストイ型で、山上のキリストの愛の教えを実践するものである。②はピューリタン型で、十字架による赦しを信じて天国への道を歩む生き方。③は星の王子様型で、人間の本質は霊魂にあり、肉体が死んでも別の世界へ復活するという信仰。そして④はカタリ派型で、神と悪の二元論と輪廻転生の思想を中心とする。論文の醍醐味は、この四つの型のそれぞれについて文学作品などを例にとりながら詳しく解説していくところにあるが、それは遺稿集が出たときに楽しんでいただくことにしよう。

 ここで述べたいのは、最後に先生が、このような類型の中から一つを選ぶように読者に対して促され、そして自らもここから一つを選んでおられるということについてである。野呂師は2008年頃これを書かれたものと思われるが、少し前までの自分なら①トルストイ型を選んだが、今では③星の王子様型を選ぶとされている。これは私には大変驚きであった。なぜなら私の知っている野呂先生は、明らかに④カタリ派型に傾倒されていたからである。

 ④はキリスト教の歴史の中では異端とされてきたものであり、それに傾倒する時点ですでに正統的キリスト教から大きく外れているとふつうは見なされるだろう。しかし、野呂先生は戦争体験を通じて悪の問題を考え抜いた末、この立場に立たれたと私は理解していた。日本を代表するキリスト教神学者がそのような立場に立たれるということ自体が、私にとっては相当に驚くべきことだったが、その背後にある痛切な体験と深い思索を理解するよう努めてきた。

 ところが、その後、しばらくお会いしなかった先生が、トルストイの『戦争と平和』やユーゴーの『レ・ミゼラブル』を夢中で再読されているという話を聞いたことがあった。それが意味するところをその頃私は測りかねたのであるが、今これを読んだ上で思い返すと、亡くなられる2、3年前の先生はトルストイの思想に強く惹かれておられたわけなのであった。①はある意味単純素朴でわかりやすい立場であって、野呂師が少年の頃最初に魅了されたキリスト教はこの型であった。ただこのようなキリスト教の理解は、キリスト教を単なるヒューマニズムにしてしまうのではないかという危惧につきまとわれる。しかし、先生は長い神学的思索の末に、最後は自分の元点に回帰された。これ自体が実に含蓄のある事実である。

 ところが、さらに驚くべきことにこの文章で最後に先生が選ばれたのは、上のどちらの類型でもなく③の類型、つまりは霊魂および死と再生の信仰であるというのだ。これは決して異端というわけではなく、カトリックにもプロテスタントにも見られる立場だが、インテリの神学者たちよりはむしろ民衆の一般信徒たちの間で信じられてきたものである。しかもキリスト教が伝播していった先の土俗的な宗教性やアニミズム的な心性と容易に結びつき、現代のインテリのキリスト教学者たちなら「迷信」としかねないような少々おどろおどろしい面を持っている。しかし、子どもの頃東京の下町で信仰されていた庶民の素朴な宗教への郷愁を感じておられた先生は、1970年代の終わり頃からは日本の民衆仏教に関心を持たれるようになり、晩年にはアイルランドの宗教や、エジプトの宗教にも関心を持っておられたという。そして、亡くられる前数年に書かれたこの論文では、まさにそのような宗教性をご自分の立場として選択されたわけである。

 実はこの原稿は一旦①の立場で結論が書かれたのち、③の立場へ変更されている。それは、原稿用紙に別の原稿が継ぎ足されていることからわかる。①の立場で書かれた原稿もそのまま残されていて、どちらが本当の結論なのか厳密には決定不能と言えなくもない。常識的に見て③が結論であると思われるが、この態度の変更はかなり短い時間の間に起こったことが伺われる。こうして、③の立場は先生の神学研究の本当に最後の最後に起こった転回によって選び取られたものなのである。

 さて、このように四つの類型のうちどれを選ぶかについて、先生の立場がこうもう大きく変転するのに直面するとき、われわれはこのことをどう受け止めるべきだろうか。私は④の型を取るところに野呂神学の真骨頂があると考えてきたのだが、必ずしもそのように捉える必要はなかったのだ。二元論や輪廻転生を神学的に検討することは『神と希望』の主要な主題の一つだったし、後期野呂神学を特徴づけるものだったことは間違いないが、それは決して先生の思想がそのような形を必然的にとらねばならないということを意味してはいなかったのである。

 ただし、先生自身が選ぶ型を次々に変えてこられたということは、先生の神学思想が変わったということを意味しているのではない。むしろ、思想的な根本の立場は最初から一貫している。おそらくそれは神のアガペーの愛ということだろう。そして、神のアガペーが人間の様々な問題と関わり合うとき、どのような形で表されるのかについては多様性があってよいのである。先のキリスト教の四つの型は、そのような表現の多様性の四つの流れであって、それぞれに多様な生を生きる人々は、それぞれの多様な事情の中で自然にこれらの四つのうちのどれかを選ぶのである。

 この論文の10年ほどまえに『キリスト教の本質』という小さな本を先生は書かれているが、そこには多様なキリスト教の中で、その核になるものは「イエスによって示された愛の神への信仰」であるとされている。これはおそらく先生がキリスト教に入信してから変わらない、先生の信仰のまさに核であろう。だが、「神の愛」こそがキリスト教の核であるということは神学的に決して自明ではない。神学的にそれを言うためには、その根拠を示すという手続きを必要とする。それについてもその本の中で明確に書かれている。

   この核の捉え方は、どういう手続きによってなされるのだろうか。この手続きは自然科学における理論形成の手続きのように、同じ原因から同じ結果がいつも出てくることを前提として実験を重ね、そこからある事がらの解決のたの理論作りを行うものではない。……結局、その中心なり核なりをわれわれが決めるのは、それらの世界についての深い理解に基づいた直感的洞察によるのである。(『キリスト教の本質』松鶴亭、21-2頁)

ここで「直感的洞察」と簡単に書かれていることの含蓄は深い。はっきりしていることは、それは自然科学の実験や理論による証明のように、誰の目にも反論不可能な形で示すことの出来るものではないということである。それは、神学者自身が自分の実存的な体験の中でつかむものであり、それをキリスト教の他の様々な表現と関わらせ、比較・検討を重ねる中で徐々に確信していくしかないものなのである。そして、野呂先生がキリスト教の核をどのようにつかみ取られたかを知るには、われわれは野呂神学全体をじっくりと学ぶしかないのである。

 このようにかつての著書で書かれていたことを思い起こしながらもう一度この最晩年の論文について考えると、この論文の主旨は四つのうちどの型を選ぶかべきかを示すことではなく、むしろ四つの型があることを示すことだったことは明白である。四つの類型を説明し終わって先生は、各自の立場をこれから一つ選ぶようにと読者にすすめられるのだが、これはキリスト教と一口に言っても少なくとも四つの類型があることを自覚せよということをまずは意味するであろう。その上で自分がどの類型のキリスト教を信じるのかを決めよというのだが、これは、決めることによって他と対立せよということではないし、決めることによって自分をその立場に縛りつけよということでもない。この選択の行為を、野呂先生はとても自由なものとして捉えておられた。この自由さは、『神と希望』(1980年)以来、先生の思索の中に現れてきたものである。その「あとがき」にはこのような文章が見られる。

   かつては私もこの多様さを心のどこかで恐れていた。しかし、今はそうではない。我々は自分たちの信仰のあり方によって救われる訳ではなく、ひたすらに神の恵みによってのみ救われるのだからである。自分の側に救いの根拠があるのではなく、神の側にあるのだから、我々はのびのびと個性的に思索して、互いの思索を切磋琢磨することに楽しみを見出すべきなのである。互いの思索はことごとく相対的なものであり、誰の思索も絶対的なものではないのだし、我々は皆どうせ神の愛に救われて行くのであるから、互いの思索から学びとりつつ、自分の思索をできる限り愛に満ちた美しいものに創作すべきなのである。(『神と希望』日本基督教団出版局、477-8頁)

この自由さは、キリスト教が多様であることを認め、多様さを無理に一つにまとめようとしないという神学的態度を意味するだろうし、それは他の考えや他の教派への、ひいては他の宗教への寛容の姿勢につながるものだろう。さらに言えば、キリスト教が今後変容していくことを認めようとする態度を生み出す。『キリスト教の本質』ではこう書かれている。

    ……変化することが常態であった教会史の真相を知ってしまえば、キリスト教がこれからも変わることを恐れる必要は全くないことが分かってくる。イエスにおいて真の神の愛が啓示されたことさえしっかりと信じていれば、この喜びの使信たるキリスト教の本質を、今のわれわれが、どのような仕方で現代文化に受肉させようとも、それは全くわれわれの自由なのである。(『キリスト教の本質』23頁。

このような軽やかな姿勢を軽薄と感じる人もあるかも知れない。そんないい加減なことでいいのかということである。しかし、この発言がいい加減な態度でないことは、野呂先生の厳密この上ない著作を細部にいたるまで読んでみれば理解されるだろう。そのような精密な作業を経た上で、それらすべてを相対化するように自由が語られている。そして、この自由を支えているのは神の愛への全面的な信頼なのである。この愛が信じられない時、人は救いの確かさを求めて自分の理論を絶対化しようと躍起になる。後期野呂神学を特徴づける雰囲気は、そのような強迫観念からの解放であろう。

 さて、野呂先生によると四つの型の中から一つの型を選んでも、それと他の型が絶対に共存できないというわけではない。自分の選んだ型と矛盾しない程度に他の型を受け入れることが可能なのである。ただし、③の復活・奇蹟の信仰は②の贖罪論的な信仰とは相容れないし、またそ③の神による罪の赦しや死者の死後生存や自然の中に神の働きを見ようとする立場は④の二元論と相容れないと先生は書かれている。つまり、先生は③を選ぶことによって、あれほど共感を寄せたカタリ派的二元論を捨てられたということになる。そして、死生観をめぐっては、輪廻転生よりも死と復活の信仰を、先生は死のまぎわに取られたということであろう。先生が亡くなられてどこへ行かれたのだろうと考えていた私にとって、このことは大変大きなヒントになる。

 ところで、野呂先生は日本の民衆宗教のうちにキリスト教を接ぎ木したいと考えておられたから、「キリスト教の本質」とは何かという問題についても、キリスト教のどの部分が日本の民衆宗教にうまく接ぎ木出来るかという視点から取り組まれたに違いない。そう考えると、四つの類型のうち、最終的には第④よりも第③のものが選ばれたということは興味深い。つまり、輪廻転生よりも死後の命という信仰の方が、日本人には馴染みやすいということも関わっているのではないだろうか。しかし、この問題についてはもっと後で取り組むことにしよう。

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2012-03-19

邂逅

 「実存論的神学の確立(7)」を書こうと思って、いろいろ読んでいるが、なかなかこの探求は終わりそうになく、続きは当分書けそうにない。そこで今日は最近入手できた本を自慢、いや紹介しよう。

 椎名麒三の小説の中で、「邂逅」は一番手に入りにくい作品であった。「永遠なる序章」は新潮社に入っているし、その他の「美しい女」とか「神の道化師」とか「自由の彼方へ」などの代表的な作品は、日本文学全集の類にたいてい入っていた。ところが、「邂逅」を入れている全集は講談社の『日本現代文学全集』だけで、これがなかなか出回っていない。出回っていたとしても高価で手が出なかった。しかし、このあいだふとアマゾンで検索したら、安い物件が出ていたので注文した。するとすぐにきちんとした美本が届いた。

 これをどうしても手に入れたかったのは、その最後の場面を忘れることが出来なかったからだ。引用してみよう。

明大前の驛がすぐ近くに見えた。安志は、みんなの後れているのに気がついて立止まつた。確次、實子、けい子、岩男の四人は、往来の人々にいりまじりながら、めいめい遠くはなればなれになって、おたがいにひとりでいるように歩いていた。安志は、強い愛の衝撃を感じながらひとりひとりの顔を見た。みんなそれぞれ妙な顔をしていた。そして妙な一行だった。安志は、眞劍な眞面目な気持ちで、笑いながら大きな聲でよびかけた。
「どうしたんだ。みんな神妙な顔をしているじゃないか。……さあ、愉快に、一緒にたたかおうぜ。愉快にさ!」
 誰も、その安志の聲に答えなかった。安志は、その四人の仲間を見ながら、このおれと彼等との溝は、絶對的なものではないと思った。それは、かえることが出来るのだ。彼は、微笑しながら、だまって近付いて来る四人を待っていた……。
 雨が、ぼつりぽつりと落ちてきた。

 (椎名麒三「邂逅」日本現代文学全集98『椎名麒三・梅崎春生集』講談社、1965年、126頁)

 このような連帯のあり方が好きだと思ったし、今も思っている。ただし、これを連帯として感じているのは安志だけかも知れない。つまり、こんな連帯のありかたは、誰かの独りよがりな夢想に終わる危険が高い。

 しかし、どうもここ十数年、具体的にはオウム事件と阪神大震災を経験した1995年あたりから、日本の社会でも人と人とのこのような関わりのありかたを夢想する人が増えただけでなく、実際にそのような関係が一時的にであれ生まれることが起こるようになっているように思う。この度の震災の後の助け合いの中でも、そのような人間関係が大きな役割を果たしたと思うし、これからもはたしていくことを願う。

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