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2015-07-04

民衆宗教へ

 野呂芳男『実存論的神学』(増補改訂版)の解説を書き終えた。

 この本は現在、出版をめざしてユーカリスティア協会の林さんが奔走しているもので、今回というネットで資金をつのるready forというシステムを使って、不特定多数の方々にご協力をお願いするという方法をとっている。長くほったらかしにしているこのブログが誰かに見られているとも思わないが、もし何かの偶然でこの記事を見られた方は、今回のプロジェクトの頁をのぞいてみていただければ幸いです。

 ところで今回、解説を書いてみて、後期野呂神学の特徴は「民衆宗教へ」ということに尽きると感じた。前期とは異なった点が後期野呂にはあって(いわゆる「後期野呂問題」)、それが前期野呂に影響を受けた多く人たちにとってのつまづきとなっているのだが、後期野呂の全ての主張は民衆の信仰を神学に取り戻そうという意図に貫かれていることを知るとき、少なくともその主張の真意が理解されるのではないだろうか。

 私は林さんのご好意で、野呂先生の昭島の書庫(現在は撤去)を見せてもらったり、晩年の先生が毎週続けておられた講義の録音を聴かせていただくという特権にあずかったが、おかげで「晩期野呂神学」ともいうべきものにも触れることが出来た。亡くられる前の10年間のこの思索は、今回の増補改訂版以後の神学的発展ということになり、原稿という形ではほとんど残っていないものだ。それでもいくつかの手書きの草稿が「遺稿」という形で存在し、林さんの構想では、今回出版されるはずの書物の次に来る書物にまとめられる予定である。そして、それはそれで極めて魅力あふれる代物である。

 ただし、それらは十分に遂行されまとめられたものではないし、晩年の先生が考えておられたことを網羅しているわけでもない。晩期の野呂神学は、むしろ日々なされた講義の録音の中にこそある。私はそのデータをSDカードに入れてカーステレオに差し込んだままにしているので、車のエンジンを入れるたびに野呂先生の声が聞こえてくることになる。この1年そのようにして講義を聴き続けている。

 私はその講義を、時に共感し、時に驚嘆し、時に疑念や反発を覚えながら、深い感慨をもって繰り返し聴いて来た。神学とは一体何なのか、キリスト教とは何なのか、信仰とは何なのか。既成の教会から全く自由になったこの一人の高名な神学者は、一体どのような意味でなおキリスト教神学者であり、キリスト者であると言えるのか。今日の教会は、この人とその思想をどう受け止めるのか。私は、車を運転する度に、深く考え込んでしまうのである。

 このような研究生活のはじまりの一歩で、このような規格外の神学者と出会ってしまい、さらにその晩年の教えに接し遺稿の整理や出版にも関わることになった者の責務として、私なりに上のような問いを問うてい来たいと考えている。

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