2014-02-01

1990年度野呂芳男講義「民衆文化の世界」

 ユーカリスティアの方に投稿しようと思ったら、長いことやっていなかったので、入り方が分からなくなり、仕方がないのでこちらにアップします。ちょうどアッキーニャになってしまって困っていたのでちょうどよいかも知れません。次回までに、入り方を学んでおきます。

 さて、野呂先生の遺品の中にあった講義テープを一通り聴き終わりました。立教大学での最後の年(1990年)に通年で行われたもので、文学部の共通科目「民衆文化の世界」であろうと思われます。聴講者は10人くらいで、マイクは使わず、肉声で語られたものを、講壇の上にテープレコーダーを置いて録音したもののようです。当時大学4年の林さんが毎回お世話をされたようです。ただし、先生が録音ボタンを押し忘れたりされて、何回か録音されていなかったこともあり、全26回分全てがそろってはいません。(特に最終回のB面が空白だったのは残念)。しかし、1年を通しての先生の講義が、これだけ見事に残されていたことは大変な驚きであり、このような貴重なものをお貸し下さった林さんには大変感謝しています。

 この講義のテーマは、ずばり「民衆宗教」で、観音信仰、薬師信仰、稲荷信仰、弘法大師信仰などの日本の民衆仏教をはじめ、シャーマニズム、陰陽五行思想、占い、神霊信仰、丸石信仰などの日本の庶民の信仰、それにヨーロッパの民衆宗教としてカタリ派、スピリチュアリズムなどが紹介され、最後はヤコプ・ベーメで締めくくられています。実に多様な内容で、先生の関心の幅広さに圧倒されます。また、一つ一つの素材を扱うその手つきが見事で、講義とはこんなに楽しいものかと改めて思いました。と同時に、どんな際どいあるいは、とんでもないとされるような素材を扱う場合にも、学者としての慎重さや誠実さを失わなれない態度には、私も見習うところが大いにありました。

 それにしても、24年の月日が経っているにもかかわらず、聴いているとつい昨日にも録音されたかのように鮮明に録音されていて、この間に流れた時間を思わず忘れて聞き入ってしまいました。当時の先生の思索がその息づかいとともに甦ってくるようです。

 この講義を聴くことができる環境にあったはずの若き私が聴講者のうちに入っていないことから分かるように、その頃の私は民衆宗教への先生の傾倒ぶりを全く理解できていませんでした。その後、私も多少なりとも仏教や日本の宗教について学ぶ中で、一般的な仏教史の中で触れられる主要な宗派の教えや宗祖たちの思想と、実際にわれわれが生活のそこかしこで触れる仏教との間にいかんともしがたい距離を感じていましたが、そうした日本の宗教をめぐる疑問に、この講義は見事に一つの答えを与えてくれています。私は、そのような距離は、仏教が日本の宗教性の中で変質していった結果であると漠然と考えていましたが、それは事態の一面でしかないのだと知ることができました。

 日本で民衆の間に本当に根を下ろしたのが、空海の密教や稲荷信仰であり、観音信仰や地蔵信仰であったということは、民衆が本当に求めていたものをそれらが与えることが出来たことを意味しています。空海の思想や弘法大師信仰は驚くほどキリスト教と似ていると先生は言われます。先生は、キリスト教が対話の相手とすべきは民衆仏教だとお考えでしたが、そのことの意味が今ではよく理解できます。民衆仏教と対話することで、キリスト教自身が自分の中にあったあるものに気づくということがありうるかも知れない、とこの講義を聴きつつ感じました。

 講義の概要を以下にまとめました。全体は4章に分かれるはずでしたが、時間が足りずに最後の章は語られませんでした。各テーマごとに紹介されていた主な参考文献も掲げておきます。(※<参>は、講義で紹介された主な参考文献。)

第1章 日本の民衆宗教
第0回  1990-04-17 (録音なし)  オリエンテーション
第1回 1990-04-24  観音経 <参>大久保良順『観音経入門』大蔵出版
第2回 1990-05-01  観音経(続)/般若心経 <参>小原弘万『般若心経いろはかるた』朱鷺書房
第3回 1990-05-08  般若心経(続)
第4回 1990-05-15  般若心経(続)
第5回  1990-05-22  薬師如来 <参>五来重(編)『薬師信仰』民衆宗教史叢書、雄山閣
第6回 1990-05-29  神霊信仰とそれについての私見  <参>前田博(編)『神霊―神霊を語る16人』ワールドナック (笹本論文、大橋論文)
第7回 1990-06-05  シャーマニズム <参>桜井徳太郎『シャーマニズムの世界』春秋社                 
第8回 1990-06-12  (録音なし)   神仏集合
第9回 1990-06-19  神仏習合

第2章  仏教と日本の民衆宗教 仏教の誕生と展開 稲荷信仰 大師信仰
第10回 1990-06-26 釈迦の思想   <参>ひろさちや『インド仏教思想史』上・下、 大法輪閣
第11回 録音なし   大乗仏教の成立 仏塔崇拝 
第12回 1990-07-10 大乗仏教の展開 仏塔崇拝とは別の傾倒
第13回 1990-09-25   弘法大師空海 
第14回 1990-10-02  (録音なし)    弘法大師信仰
第15回 1990-10-09  稲荷信仰の現状  <参>直江広治(編)『稲荷信仰』雄山閣
第16回 1990-10-16   稲荷信仰の内容 荼枳尼天信仰と空海
第17回 1990-10-23   石の信仰 丸石信仰  <参>『丸石神:庶民のなかに生きる神のかたち』木耳社、1990年
第18回 1990-10-30   陰陽五行思想 占い

第3章 ヨーロッパの民衆宗教   カタリ派  スピリチュアリズム
第19回 1990-11-13   カタリ派     <参>フェルナン・ニール『異端カタリ派』渡邊昌美訳、文庫クセジュ、白水社
第20回 1990-11-20   カタリ派     <参>       アーサー・ガーダム The Great ・・・最初の2章
第21回 1990-11-27   カタリ派と今日の宗教運動 がーダムの続き  
第22回 1990-12-04 (録音なし)   カタリ派とスピリチュアリズム 
第23回 1990-12-18   スピリチュアリズム  <参>ジョン・レナード『スピリチュアリズムの神髄』近藤千雄訳、国書刊行会、1985年
第24回 1990-010-08  (最終回)ヤコプ・ベーメ B面録音なし  <参>南原実『ヤコブ・ベーメ:開けゆく次元』牧神社、1976年 /ヤコプ・ベーメ『黎明(アウロラ)』牧神社、1976年

 今回テープに録音されてたものを、MP3ファイルに変換することが出来ました。ずいぶん簡単にこのような変換が出来るようになったものです。その他にも、もっと後年のユーカリスティア教会で行われていた講座のテープが、電子データとして大量に残っているようです。これらはもちろん、今後なんらかの形で公開できるようにしたいと思っています。

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2013-12-26

講義の品格

 前回、クリスマスまでにアップできればと書いた野呂先生の論文だが、かなりの量に上る未発表の論文や遺稿などとともに別の形で公表することになった。しばらくお待ちいただきたい。

 今回新たに見つかったものの中には1990年度、つまり立教大学での野呂先生の最後の講義の録音テープがある。これは通年の講義を全22回にわたって記録したもので、大変貴重なものだ。毎回几帳面に録音したトロウさんだが、このテープの存在は忘れていたという。彼女にとってはものすごく懐かしい内容だと思うのだが、申し訳ないことに彼女よりも先に私が聞かせていただいている。

 それにしても、驚いたのは野呂先生の講義の格調の高さというか品の良さだ。あまりに丁寧な言葉使いなので、ひょっとしてこれは朝日カルチャーセンターで年配のご婦人に向けて語られた講義だったのではと疑ったぐらいである。しかし、トロウさんに確認してみると、そうではない。R大学の講義であるとのこと。改めて内容と過去の講義のデータを照らし合わせてみると、これはどうも文学部共通科目「民衆文化の世界」であろうという結論に達した。つまり、聞いているのは学部の学生たちに違いないのだ。

 そこで先生は、聴講者に対して敬語を使われている。たとえば「先週は、・・・ということを申し上げたわけですが・・・」とか、「もし興味をお持ちになった方がおられたら、・・・お読みになることをおすすめします」とかいう具合で、その先にいるのは先生の孫くらいの若者たちなのが想像できないくらいである。また、このテープの第1回は、その前に行われた初回のオリエンテーションの授業(この回のみ記録なし)で間違えて板書してしまった文字の訂正から始まるのだが、「もしみなさんの中に万が一ノートをとっておられる方があると悪いので・・・」と言って、訂正箇所を板書されているのだ。

 テーマは日本の民衆宗教についてで、私が4回まで聴いたところでは、「観音経」や「般若心経」が取り上げられている。実に平易な語り方ではあるが、内容的にはきわめて高度でオリジナリティーの高いものである。当時の私は、まだ日本の民衆宗教にまではとても関心が持てず、この授業も受けていなかったようである。しかし、様々な宗教を学ぶようになって見れば、この講義内容の独創性が非常によく分かる。他の場所では決して聴くことも読むことも出来ない内容が語られていたのだ。そこにいた学生のどれくらいがそのことに気づいていただろうか。

 内容的にももちろんだが、大学での講義のあり方やスタイルなどについても、今の私に大変多くのことをこのテープは教えてくれている。これも貴重な記録として何らかの形で公開できるようにしたいと思う。

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2013-11-15

キリストになる?

 野呂師はご自分が公にされた文章は必ず取っておかれたとのことだが、実際に書庫からは論文の抜き刷りやコピーなどが多数出てきた。それらの中には、ホームページに掲載している書誌には入っていない、言わば未知の文章が実に45点もあった。その中には、青山学院時代の教会の青年会の会報といった類の手書きの文集に載せられたエッセイのようなものもあるが、なぜこれが書誌から漏れていたのだろうというような内容の濃い論文も含まれている。

 それらはいずれホームページで紹介出来ると思うが、少し時間がかかりそうだ。せめてタイトルなどの情報だけでも早めに書誌に反映したいのだが、今のところそれさえできないでいる。ところで、私が特に貴重だと思ったのが、1959年に『青山学院高等部新聞』のクリスマス号に載せられた「特別寄稿 意義ある降誕祭を!」という文章である。ここには若き野呂師のキリスト論についての考えが、高校生にも解るように平易に説かれているからだ。

 そこには、「われわれ一人一人がキリストにならなければならない」という衝撃的な一文が述べられている。こうした表現は『実存論的神学』は勿論のこと、これまで私が読んできた師の文章の中にはついぞ目にすることの無かったものである。もしかすると、この文章のみに一度だけ現れた表現なのかも知れない。

 今、くわしくこの一文について検討する余裕を私は持たない。しかし、二つの可能性があると思う。一つは、この表現は野呂師のキリスト論そのものである可能性である。つまり、最終的に『実存論的神学』第六章で高度に学問的なレベルで議論されている野呂師の立場は、平たく言えばこのような一文として表現できるのかもしれない。

 もう一つは、これは1959年の時点での師の考えであって、その後、『実神』(1964)ではそれとは異なった立場が取られるようになったという可能性である。たしかに『実神』第六章のもとになった論文「実存論的なキリスト論への一試み」は、この文章が書かれたのと同じ1959年に発表されている。ならば、この文章で言われていることは『実神』の立場と同一と考えてもよさそうに思える。しかし、この『実神』第六章の原型の論文には、『実神』第六章の中で極めて重要な、カルケドン信条について独自の解釈を述べた部分が無い。それは後から付加されて『実神』の第六章となったわけである。とすれば、高校生に向けられた文章で語られた「われわれが一人一人がキリストにならなければならない」という考え方は、その過程で修正された可能性も簡単には退けられない。

 いずれにしても、私はこれまで『実神』を繰り返し読んで、そこからこのように表現されるようなものが出てくるとは考えたことがなかった。当の文章を公表しないでこれ以上論じても仕方がないので、このへんでやめにするが、『実神』の神学思想から、このように表現される考え方が導かれるものかどうか、これからよく考えて見たいと思う。文章の方も「降誕祭」までにはHPに載せられればいいのだが。

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2012-04-27

二周忌

  野呂先生が亡くなられて2年が経った。

 今年は先生を偲ぶ思いとともに、先生の神学を徹底的に学び直そうという思いから、講義で野呂神学をとりあげた。250人の人が集まった。ただし、ほとんどの人は野呂先生を知らないし、キリスト教についてもはじめてという人も多いと思う。

 そういう人たちに、野呂先生の神学を紹介するのは簡単ではない。しかし、自分が分かっているつもりになっていることも、いざ前提知識ゼロの人々に説明するとなると、再度点検してみなければんらない。野呂先生の神学を一から学び直すにはとてもいい機会になりそうである。学生のみなさんもとても熱心に聞いて下さっている。

 授業は3回を終えたところだが、現在はキリスト教入門をかねて、先生が晩年に書かれた遺稿の中から、前回ここに書いたキリスト教の四つの類型についての論文を紹介している。この四つの類型は、先生が長い神学の営みの中で暖めてこられた類型だけに、噛めば噛むほど味がでてくる。学生のみなさんに丁寧に説明しているうちに、そこから学ぶことは実に多い。

 この論文で先生は、各類型のキリスト教を代表的に表現しているような小説や物語のあらすじを紹介することに大部分の頁をついやしておられる。そして、これらの類型の特徴について理論的な説明は最低限にとどえめておられる。したがって、これらの類型がどんな思想を含むのか、互いの類型の関係はどのようなものかなど、読者としては自分で考えなければならないことが無限にある。よい思考訓練になる。

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2012-03-29

キリスト教とは何か

  先日、トロウさんから野呂先生の遺稿の一部をコピーさせていただいた。その頃の先生は片方の目が全く見えず、もう片方は眼鏡をかけても視力が0.3だったから、本を読むには拡大鏡が必要だった。字を書かれる場合にも、手元を拡大鏡で映しモニターを見ながらの作業となる。そうして書かれた貴重な原稿を今回読むことができた。快くコピーさせて下さったトロウさんには本当に「ありがとう!」と言いたい。

 さて、三種類の原稿のどれも興味深かったのだが、特にキリスト教の四つの類型についての原稿は、きわめて衝撃的な内容だった。ここでそれを紹介してしまうと、後に出るだろう遺稿集のネタバレになってしまうので、むしろ遺稿集の宣伝となる程度にとどめたいと思うが、どうしてもこの遺稿について考えたことを書き留めておきたい。

 この遺稿の中で先生は、原始キリスト教から現代に至るキリスト教の多様性のうちに四つの類型を見出すことができると言われる。①はトルストイ型で、山上のキリストの愛の教えを実践するものである。②はピューリタン型で、十字架による赦しを信じて天国への道を歩む生き方。③は星の王子様型で、人間の本質は霊魂にあり、肉体が死んでも別の世界へ復活するという信仰。そして④はカタリ派型で、神と悪の二元論と輪廻転生の思想を中心とする。論文の醍醐味は、この四つの型のそれぞれについて文学作品などを例にとりながら詳しく解説していくところにあるが、それは遺稿集が出たときに楽しんでいただくことにしよう。

 ここで述べたいのは、最後に先生が、このような類型の中から一つを選ぶように読者に対して促され、そして自らもここから一つを選んでおられるということについてである。野呂師は2008年頃これを書かれたものと思われるが、少し前までの自分なら①トルストイ型を選んだが、今では③星の王子様型を選ぶとされている。これは私には大変驚きであった。なぜなら私の知っている野呂先生は、明らかに④カタリ派型に傾倒されていたからである。

 ④はキリスト教の歴史の中では異端とされてきたものであり、それに傾倒する時点ですでに正統的キリスト教から大きく外れているとふつうは見なされるだろう。しかし、野呂先生は戦争体験を通じて悪の問題を考え抜いた末、この立場に立たれたと私は理解していた。日本を代表するキリスト教神学者がそのような立場に立たれるということ自体が、私にとっては相当に驚くべきことだったが、その背後にある痛切な体験と深い思索を理解するよう努めてきた。

 ところが、その後、しばらくお会いしなかった先生が、トルストイの『戦争と平和』やユーゴーの『レ・ミゼラブル』を夢中で再読されているという話を聞いたことがあった。それが意味するところをその頃私は測りかねたのであるが、今これを読んだ上で思い返すと、亡くなられる2、3年前の先生はトルストイの思想に強く惹かれておられたわけなのであった。①はある意味単純素朴でわかりやすい立場であって、野呂師が少年の頃最初に魅了されたキリスト教はこの型であった。ただこのようなキリスト教の理解は、キリスト教を単なるヒューマニズムにしてしまうのではないかという危惧につきまとわれる。しかし、先生は長い神学的思索の末に、最後は自分の元点に回帰された。これ自体が実に含蓄のある事実である。

 ところが、さらに驚くべきことにこの文章で最後に先生が選ばれたのは、上のどちらの類型でもなく③の類型、つまりは霊魂および死と再生の信仰であるというのだ。これは決して異端というわけではなく、カトリックにもプロテスタントにも見られる立場だが、インテリの神学者たちよりはむしろ民衆の一般信徒たちの間で信じられてきたものである。しかもキリスト教が伝播していった先の土俗的な宗教性やアニミズム的な心性と容易に結びつき、現代のインテリのキリスト教学者たちなら「迷信」としかねないような少々おどろおどろしい面を持っている。しかし、子どもの頃東京の下町で信仰されていた庶民の素朴な宗教への郷愁を感じておられた先生は、1970年代の終わり頃からは日本の民衆仏教に関心を持たれるようになり、晩年にはアイルランドの宗教や、エジプトの宗教にも関心を持っておられたという。そして、亡くられる前数年に書かれたこの論文では、まさにそのような宗教性をご自分の立場として選択されたわけである。

 実はこの原稿は一旦①の立場で結論が書かれたのち、③の立場へ変更されている。それは、原稿用紙に別の原稿が継ぎ足されていることからわかる。①の立場で書かれた原稿もそのまま残されていて、どちらが本当の結論なのか厳密には決定不能と言えなくもない。常識的に見て③が結論であると思われるが、この態度の変更はかなり短い時間の間に起こったことが伺われる。こうして、③の立場は先生の神学研究の本当に最後の最後に起こった転回によって選び取られたものなのである。

 さて、このように四つの類型のうちどれを選ぶかについて、先生の立場がこうもう大きく変転するのに直面するとき、われわれはこのことをどう受け止めるべきだろうか。私は④の型を取るところに野呂神学の真骨頂があると考えてきたのだが、必ずしもそのように捉える必要はなかったのだ。二元論や輪廻転生を神学的に検討することは『神と希望』の主要な主題の一つだったし、後期野呂神学を特徴づけるものだったことは間違いないが、それは決して先生の思想がそのような形を必然的にとらねばならないということを意味してはいなかったのである。

 ただし、先生自身が選ぶ型を次々に変えてこられたということは、先生の神学思想が変わったということを意味しているのではない。むしろ、思想的な根本の立場は最初から一貫している。おそらくそれは神のアガペーの愛ということだろう。そして、神のアガペーが人間の様々な問題と関わり合うとき、どのような形で表されるのかについては多様性があってよいのである。先のキリスト教の四つの型は、そのような表現の多様性の四つの流れであって、それぞれに多様な生を生きる人々は、それぞれの多様な事情の中で自然にこれらの四つのうちのどれかを選ぶのである。

 この論文の10年ほどまえに『キリスト教の本質』という小さな本を先生は書かれているが、そこには多様なキリスト教の中で、その核になるものは「イエスによって示された愛の神への信仰」であるとされている。これはおそらく先生がキリスト教に入信してから変わらない、先生の信仰のまさに核であろう。だが、「神の愛」こそがキリスト教の核であるということは神学的に決して自明ではない。神学的にそれを言うためには、その根拠を示すという手続きを必要とする。それについてもその本の中で明確に書かれている。

   この核の捉え方は、どういう手続きによってなされるのだろうか。この手続きは自然科学における理論形成の手続きのように、同じ原因から同じ結果がいつも出てくることを前提として実験を重ね、そこからある事がらの解決のたの理論作りを行うものではない。……結局、その中心なり核なりをわれわれが決めるのは、それらの世界についての深い理解に基づいた直感的洞察によるのである。(『キリスト教の本質』松鶴亭、21-2頁)

ここで「直感的洞察」と簡単に書かれていることの含蓄は深い。はっきりしていることは、それは自然科学の実験や理論による証明のように、誰の目にも反論不可能な形で示すことの出来るものではないということである。それは、神学者自身が自分の実存的な体験の中でつかむものであり、それをキリスト教の他の様々な表現と関わらせ、比較・検討を重ねる中で徐々に確信していくしかないものなのである。そして、野呂先生がキリスト教の核をどのようにつかみ取られたかを知るには、われわれは野呂神学全体をじっくりと学ぶしかないのである。

 このようにかつての著書で書かれていたことを思い起こしながらもう一度この最晩年の論文について考えると、この論文の主旨は四つのうちどの型を選ぶかべきかを示すことではなく、むしろ四つの型があることを示すことだったことは明白である。四つの類型を説明し終わって先生は、各自の立場をこれから一つ選ぶようにと読者にすすめられるのだが、これはキリスト教と一口に言っても少なくとも四つの類型があることを自覚せよということをまずは意味するであろう。その上で自分がどの類型のキリスト教を信じるのかを決めよというのだが、これは、決めることによって他と対立せよということではないし、決めることによって自分をその立場に縛りつけよということでもない。この選択の行為を、野呂先生はとても自由なものとして捉えておられた。この自由さは、『神と希望』(1980年)以来、先生の思索の中に現れてきたものである。その「あとがき」にはこのような文章が見られる。

   かつては私もこの多様さを心のどこかで恐れていた。しかし、今はそうではない。我々は自分たちの信仰のあり方によって救われる訳ではなく、ひたすらに神の恵みによってのみ救われるのだからである。自分の側に救いの根拠があるのではなく、神の側にあるのだから、我々はのびのびと個性的に思索して、互いの思索を切磋琢磨することに楽しみを見出すべきなのである。互いの思索はことごとく相対的なものであり、誰の思索も絶対的なものではないのだし、我々は皆どうせ神の愛に救われて行くのであるから、互いの思索から学びとりつつ、自分の思索をできる限り愛に満ちた美しいものに創作すべきなのである。(『神と希望』日本基督教団出版局、477-8頁)

この自由さは、キリスト教が多様であることを認め、多様さを無理に一つにまとめようとしないという神学的態度を意味するだろうし、それは他の考えや他の教派への、ひいては他の宗教への寛容の姿勢につながるものだろう。さらに言えば、キリスト教が今後変容していくことを認めようとする態度を生み出す。『キリスト教の本質』ではこう書かれている。

    ……変化することが常態であった教会史の真相を知ってしまえば、キリスト教がこれからも変わることを恐れる必要は全くないことが分かってくる。イエスにおいて真の神の愛が啓示されたことさえしっかりと信じていれば、この喜びの使信たるキリスト教の本質を、今のわれわれが、どのような仕方で現代文化に受肉させようとも、それは全くわれわれの自由なのである。(『キリスト教の本質』23頁。

このような軽やかな姿勢を軽薄と感じる人もあるかも知れない。そんないい加減なことでいいのかということである。しかし、この発言がいい加減な態度でないことは、野呂先生の厳密この上ない著作を細部にいたるまで読んでみれば理解されるだろう。そのような精密な作業を経た上で、それらすべてを相対化するように自由が語られている。そして、この自由を支えているのは神の愛への全面的な信頼なのである。この愛が信じられない時、人は救いの確かさを求めて自分の理論を絶対化しようと躍起になる。後期野呂神学を特徴づける雰囲気は、そのような強迫観念からの解放であろう。

 さて、野呂先生によると四つの型の中から一つの型を選んでも、それと他の型が絶対に共存できないというわけではない。自分の選んだ型と矛盾しない程度に他の型を受け入れることが可能なのである。ただし、③の復活・奇蹟の信仰は②の贖罪論的な信仰とは相容れないし、またそ③の神による罪の赦しや死者の死後生存や自然の中に神の働きを見ようとする立場は④の二元論と相容れないと先生は書かれている。つまり、先生は③を選ぶことによって、あれほど共感を寄せたカタリ派的二元論を捨てられたということになる。そして、死生観をめぐっては、輪廻転生よりも死と復活の信仰を、先生は死のまぎわに取られたということであろう。先生が亡くなられてどこへ行かれたのだろうと考えていた私にとって、このことは大変大きなヒントになる。

 ところで、野呂先生は日本の民衆宗教のうちにキリスト教を接ぎ木したいと考えておられたから、「キリスト教の本質」とは何かという問題についても、キリスト教のどの部分が日本の民衆宗教にうまく接ぎ木出来るかという視点から取り組まれたに違いない。そう考えると、四つの類型のうち、最終的には第④よりも第③のものが選ばれたということは興味深い。つまり、輪廻転生よりも死後の命という信仰の方が、日本人には馴染みやすいということも関わっているのではないだろうか。しかし、この問題についてはもっと後で取り組むことにしよう。

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2012-02-29

実存論的神学の確立(6)

 第3節はフリードリッヒ・フォン・ヒューゲルを中心に論述されるが、ここでも相当な改訂がなされており、しかもフォン・ヒューゲルの思想についての野呂師の評価はこの時期に大きく変化したと言えるので、その考察は少し時間をかけて行う必要がある。ここでは今の時点で言えることを少しだけ書いておこう。

 ここに「フリードリッヒ・フォン・ヒューゲルの神学」という論文のコピーがある。これは1958年に『基督教論集』に載ったものである。この雑誌は青山学院大学文学部の紀要で、創刊は前年の1957年である。この創刊号は野呂師の英語論文 "The Theology of Friedrich von Hugel" を載せている。これは1955年提出の博士論文"Impassibilitas Dei"のPart III を元にした論文である。そして1958年の論文はこの英語論文の前半部分を邦訳したものである。

 1958年と言えば、カール・マイケルソンが日本に滞在した年である。このマイケルソンとの交流が野呂師の思想的転換の大きな要因の一つとなったことは既に述べた。しかし、当然かも知れないが、この年に出た「フリードリッヒ・フォン・ヒューゲルの神学」には、まだその転換は現れていない。

 論文の冒頭部分では、それまでに自分の神学形成に影響を与えた神学者たちが列挙されるが、まず第一はカール・バルトである。神学的思惟における啓示の中心性という点でバルトからの影響は大きいという。次に挙げられているのがエドウィン・ルイスである。ルイスからは啓示の内容の理解について影響を受けたとしている。ただ、ルイスの神観については、それが悪の問題の解決と密接に関連しているとしながらも、それに全面的には賛成できないことが述べられている。

わたしは此のようなルイスの思索が信仰の確かさを奪うことをおそれるのである。(『基督教論集』第6号1958年、1頁)

これまでにも述べてきた通り、このルイスへの疑念が実存論的神学へ踏み切ることによって解消されたのである。

 ルイスに次いで挙げられる神学者の名は、ニコラス・ベルジャーエフ、パウル・ティリッヒ、ラインホルド・ニーバーであり、人間の自由の重要性や現代における護教論が如何にあるべきかといった点を彼らから学んだという。そしてその後に挙げられるのがフォン・ヒューゲルである。次のように書かれている。

以上挙げた神学者の誰も私の神観形成に、フリードリッヒ・フォン・ヒューゲルほどに影響を与えなかったのである。(同上、2頁)

私はこの論文を最初に読んだ時、フォン・ヒューゲルにこれほどの評価がなされていることに少々驚いた。『実存論的神学』の「時と永遠」で集中的に論じられてはいるものの、後年の『神と希望』などでの言及はそれほど多くはないからである。その理由はおそらく、これが出版された直後に野呂師の思想に起こった大きな方向転換である。

 前にも述べたように実存論的神学へ大きく舵を切ることになった「実存論的なキリスト論への試み」は、翌年の1959年に書かれている。そこでは、フォン・ヒューゲルの神学の存在論的な傾向に決別することが宣言されているのだから、1958年から59年にかけての時期が野呂師の神学形成におとっていかに決定的であったかが想像できよう。英語論文の前半を訳出したこの論文の後半部分の邦訳がついに発表されなかったのもこの方向転換のためだろう。

 このようにみていくと、今検討中の「時と永遠」の第3節が相当書き換えられているのは当然であり、第2節と同様、第3節の検討も実存論的神学の確立を考える上で重要であろう。(つづく)

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実存論的神学の確立(5)

 ルイスの摂理論は、「救いの確かさ」を危うくするのではないかという疑念は、実存論的神学の立場を取ることによって解消したと言える。ではキリスト論の問題はどうなるのだろうか。「混合なく、変化なく、分割なく、分離することなき両性において」神と子は一つであるというカルケドンの立場からすれば、子が負った苦難は父なる神ご自身の苦難となってしまう。1956年にはそのような事態を避ける意味でも、「時と永遠の相違」が支持されていたのであった。

 ルイス自身もこのカルケドンの立場を堅持する。しかし同時にルイスは「時と永遠の質的差異」の立場を退け、時の延長として永遠を考える。したがって、ルイスの場合には、子なる神が体験する苦難は神の本性にまで及ぶことになってしまう。こうしてルイスは神の受苦説の立場に立つことになるのである。

 この神の本性が苦しみを含むという点が野呂師には決して受け入れられない。これは『実神』でも変わらない。では師がルイスの摂理論を受け入れ、「時と永遠の相違」の考えを退けることが出来たのはなぜか。それはキリスト論についての新たな解釈に立つことが出来たからである。この新たなキリスト論が確立された論文が、1959年の「実存論的キリスト論の一試み」である。

 この論文は恐ろしく濃密な内容を持つ論文であり、それ自体で相当に錯綜している古代教会のキリスト論争について、現代の神学者たちが行うさらに錯綜した議論を整理しながらの理論構築の作業は実にタフな仕事と言わざるを得ない。しかし、この粘り強い思索によってはじめて、実存論的な発想で神学を成り立たせることが可能であるとの確信を若き野呂芳男は得たのである。(1)で引用したように、「この論文を契機として、今までの私の立場から抜け出たと言ってよいのではないか」と書かれているとおりである。

 この論文は後に『実神』の第6章に組み込まれるが、それを読むと、このキリスト論から、復活理解、三位一体論、贖罪論が次々に展開されている。師は体系的な神学の書き方を終生されなかったが、もし野呂神学の組織だった各論が展開されるとしたら、この部分はその基礎になるであろうと思われる。そしてもちろん、『神と希望』などの後年の著作では、ここで短く展開されている各論について、さらに深い掘り下げと改訂の作業が重ねられていく。そういうわけで、実存論的神学の確立について考える上でも、またその後の野呂神学の展開について考える上でも、この1958年の論文は基本となるべきものであって、注意深く検討することが必要だが、それはもっと後で本格的に行うことにする。ここでは1956年の「時と永遠」の論文の残る第3節について検討しなければならない。(つづく)

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2012-02-27

実存論的神学の確立(4)

 今やっているようなテクストの細かい異同の確認作業は、きっと多くの人にとって退屈きわまりないだろうが、別に多くの人が読んでくれているわけではないのでかまわず続けることにする。

 前回の終わりに触れた問題だが、クルマンが「時と永遠の質的断絶」という古典的な理解を退けておきながら、神の「予定」を主張するということに対して、1956年論文は疑問を投げかけていた。神が人間の意志的な行動をあらかじめ予知したり、人間を救いにあらかじめ定めたりすることは、神が時間を超越しているからこそ可能であり、それは神が全知・全能であることを意味する。しかし、聖書の神観では、神は時間を超越してはいない。そうすると神は全知でも全能でもないことになってしまう。聖書の神観にはそのような問題があったからこそ、古典神学はギリシア思想を借りて「時と永遠の質的断絶」という議論を導入したのだ。ところがクルマンはこのギリシア的な考えを全否定するにもかかわらず、神の「予定」を言う。これは理屈として成り立たない。これが1956年の時点での野呂師のクルマンへの疑問だろう。

 さて、この第2節では、以上の問題を解決するために、プロセス神学に影響を受けた組織神学者エドウィン・ルイスの論述(Christian Manifesto, 1934)が検討される。そこでルイスは、「『永遠』を『時』の直線的な延長と考えながらも、神の時間に対する支配を、神の時間過程に対する部分的超越ということによって、生かそう」(論文23頁/『実神』337頁)としている。ルイスについて検討されるこの第2節は、『実存論的神学』へ編入される際にきわめて重要な変更がなされている。それはまさに「実存論的神学」の誕生に関わるドラマティックな変更と言ってよい。

 ルイスは神の「全能」に代えて、神の「適応性」(adequacy)という語を使って、この「時の部分的超越」を説明する。このような神観の先駆者としてウィリアム・ジェームズが挙げられているが、ジェームズはそれを将棋指しに喩えている。せっかくだから、ここでそれを引用してみよう。「初心者」が人間であり、「専門棋士」が神である。

将棋盤を前にした二人の男を仮定しよう――一人は初心者でもう一人は専門棋士である。棋士は相手を負かすつもりである。だが相手の駒の現実の動きをどれひとつ正確に予見できない。それでも彼には相手の駒のあらゆる可能な動きが分かっているし、またそれらの動きのおのおのに応じて自分自身の駒をどう動かしたら勝利の方向へみちびかれるかも、あらかじめ分かっている。したがってどんな回りくどい径路をへたあげくにせよ、初心者の王を詰めにするという予定された形で、勝利はまちがいなく棋士の手に記するのである。(『ウィリアムジェームズ著作集2:信ずる意志』福鎌達夫訳、日本教文社、1975年、233-4頁)

初心者は自由に次の手を打つことができるし、専門棋士といえども初心者が次にどんな手を打つかは知ることが出来ない。つまり、この将棋の譬えは、第一に神が「全知」ではなく、人間の行動を予め知ることはできないことを表している。しかし、そのように相手の次の手を知らなくても、専門棋士はあらゆる可能性を念頭においていて、そのつどの初心者の手に対する最善の手を打ち、最終的に必ず勝利する。ルイスの「適応性」とはそういう意味である。

 専門棋士が将棋盤の外からそのゲームを操っているのではないように、神は時間と質的に相違した永遠から人間を支配しているのではない。しかし、神はこの時間の過程の中で必ず人間を救って下さる。それは人間から神に背く自由を奪って無理矢理に自分に従わせるということではなく、人間の主体性を一切そこなうことなく、人間の勝手な行動に傷つけられながらも、最終的に確実に救いへと導くのである。

 このジェームズやルイスの発想は、終生、野呂師の摂理論の基本的な考え方になったと思う。一方で予定論のように神の圧倒的な支配を強調することによって人間の主体性を認めない立場でもなく、他方でニーチェのように人間の主体性を強調するあまり最終的には神を抹殺するのでもなく、さらにはハイデッガーの存在論のように神を人間の存在の根柢としてとらえることでこの問題を解消するのでもない。人格的な神の支配と、人間の自由な主体性の両方を、どちらも割り引かずに生かそうとする態度を、野呂師はまずこのルイスから学ばれたのである。これはわれわれが野呂師から受けついでいくべき実に貴重な神学的遺産である。

 ただ、このようなルイスの主張に対して、とくにその「神の苦難」という考え方に対して野呂師は慎重である。ルイスには「神の苦難」について、①摂理論的苦難と②本体論的苦難という考え方があるが、師は①には賛成し、②には賛成しない。つまり、人間の主体性を重視することによって、神は人間によって裏切られる痛みをどうしても経験することになる(摂理論的苦難)。しかし、そのような経験によって神自身の本性のうちに苦難が入ってきてしまった(本体論的苦難)という考えを野呂師は受け入れることが出来ない。

 この立場そのものは、『実神』でも変わらない点なのだが、1956年論文では、特にカルケドン信条のキリスト論の立場、すなわち「混合なく、変化なく、分割なく、分離することなき両性において」キリストは神と一つであるという立場を堅持しながら、時と永遠の質的差異が保たれれるべきであることが強調される点が『実神』とは異なっている。この立場からすれば、神の本性が苦しみを含むということは否定されなければならない。ルイスの摂理についての考え方は魅力的だが、それを受け入れるなら、時と永遠の質的差異を否定することになり、神の本性の内に苦しみが入ってきてしまうことを認めざるを得なくなる。そのために、1956年の時点で、野呂師はルイスの摂理論を受け入れることを躊躇されているのである。

 カルケドン信条への全面的な忠誠は、この時期の野呂師の大きな特徴である。師によれば、カルケドン信条のような古典的な考え方は、ロマン主義以降には重んじられなくなり、現代ではルイスに見られるような苦しむ神の思想の方がむしろ当然視されている。「永遠」を「時」の延長戦上に見るルイスの考えは、そのような傾向とつながりを持っている。だが、それに対して、「時と永遠の質的相違という思想に、今日顧みられるべき点が全然ないというのは一体正しいことであろうか」(1956年論文29頁)と野呂師は問う。

 「時と永遠の質的相違」は、おそらくそれがあまりに思弁的であるという理由から現代ではあまり意味のないものと考えられがちだが、この教理には実は現代的な意味があるのだと野呂師は主張する。それは「救いの確かさ」について語る上できわめて重要なのである。神が時から超越しており、時に左右されないと信じるからこそ、神による救いを確かなものと信じることが出来る。もし「時と永遠の質的相違」を放棄するなら、この確実さは失われてしまうというのである。この観点からルイスに対して次のような疑問が投げかけられる。

……我々は自らの救いの絶対的な確かさと歴史において偶然的事態に出会う神とを同時に持つことはできない。E・ルイスの神学大系の中で我々が疑問に思う点は、神が人間を救うために歴史の中において新たに起こるあらゆる事態に対処するに足る力を持っておられることと、神が種々の挫折と失望をもたれるとの主張とを一体どのようにして調和しうるかという点である。(1956年論文30頁)

以上のように、1956年論文では、神の不受苦性、カルケドン信条の正統性、救いの確かさの教理などを擁護する視点から、ルイスをはじめとする現代神学の苦しむ神という考え方に抵抗しているのである。

 ところが、1964年の『実神』では、この点についての態度が転換されている。「時と永遠の質的相違」を堅持する宗教改革者たちの「救いの確かさ」に関する議論について触れた次の箇所の改訂は微妙だが、その違いが表しているものは大きい。まずは1956年論文。

即ちキリスト教信仰がその深さにおいて要求するものは、人間の自由の領域である「時」の過程を超越せる「永遠」である。キリスト教信仰の中心教理をまもるためには「過・現・未」は神にとって同時的なものでなければならないのである。(1956年論文30頁)

この文章が『実神』では次のようになっている。

すなわち、彼らによれば、キリスト教信仰の確かさの主張によって、当然、過・現・未という時間の継続と差別とは神においては失われてしまっており、同時的でなければならないものと考えられた。(『実存論的神学』346頁)

両者とも宗教改革者たちの考えを紹介しているが、後者では文章の前後に「彼らによれば……と考えられた」がついている。つまり、1956年の時点では自身の考えにほぼ重なるものとして言及されていた「時と永遠の質的相違」に、『実神』ではもはや同意できなくなっているのである。

 しかし「時と永遠の質的相違」を否定してしまったら、あの「救いの確実さ」の教理はどうなってしまうのだろう。ここに『実神』での決定的な変化がある。第二節の終わりで、1956年論文には無かったウェスレーの義認と聖化に関する論述が挿入される。(346-8頁)。ウェスレーには、ルターら宗教改革者たちとは異なり、義認は人間と神との関係の永遠の側面であり聖化はその時間的な側面であるという理解はない。義認も聖化も徹底的に時間の中での出来事として考えられる。時間においてそのつど神に信頼する中で得られるものが義認である。こうしたウェスレーの考え方は、古典的な「時と永遠の質的相違」の考えかたでは生かせない。むしろルイスの主張した摂理論が必要となってくる。そして「救いの確かさ」について次のように言われている。

救いの確かさは、客観的な確かさではなく、決断の繰り返しの中にありつつ、神への適応性への信頼によって生じる平安なのである。それは人格的な決断の繰り返しそのものの中で体験される平安なのであって、それ以外のとこに客観的な平安がある訳ではない。ルイスの摂理観をこのように発展させたところで、義認や救の確かさの問題を考えるのが本当ではないだろうか。(『実神』343頁)

これは1956年には現れていなかった主張である。「救いの確かさ」という若き野呂師を悩ませた問題は、この転換によって解決された。「救いの確かさ」を客観的に確保することを放棄するのである。客観的な保証を確保するかわりに、神の「適応性」を信頼する。そこに本当の意味で平安がある。

 これは思わぬ解決である。新しい理屈や論理操作を導入するというのではない、むしろ神学という営みそのものに対する態度を変更すること、もっと言えば生き方を変えることによる解決とさえ言いたいくらいである。様々な哲学的・神学的問題の解決は、いつでも問題そのものの解消を含む面がある。実存論的神学の誕生を示すこの論述は、まさにそのような意味での問題の解決というものの本質的な特徴を備えているように思える。

 私はこの論述に実存論的神学の神髄を見る気がする。そしてそれがウェスレーの神学と密接に結びついているという点もきわめて重要である。『実神』の前年に、野呂師の最初の著作である『ウェスレー』(日本基督教団出版局)が出版されており、上のウェスレーに関する論述の注には、その第6章「義認と聖化」が参照箇所として挙げられている。初期の野呂師の神学的苦闘は、ウェスレー研究の深化と相互に関連しながら、実存論的神学の確立へと結実していったのである。(つづく)

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2012-02-25

実存論的神学の確立(3)

 思わぬ論文の発見によって、実存論的神学確立のプロセスがかなり見やすくなってきたが、先に言及した『実神』のもとになった諸論文の話にもどって、このプロセスそのものについてもっと詳しく調べてみよう。

 最初に書かれたのは「時と永遠」(1956)だった。これは、8年後にその主要な部分が『実神』の第7章「時と永遠」に組み込まれることになる論文である。しかし、実際に読んでみると、われわれが親しんきた『実神』の「時と永遠」とはかなり異なっている。『実神』に組み込むにあたっては、相当な加筆と修正がなされたのである。

 しかし、これは、先に述べた事情からすると当然である。前回述べたように、この論文が発表されて半年と経たないうちにカール・マイケルソンが来日し、彼との交流がきっかけとなって野呂師は実存論的な神学の方向に大きく舵を切ることになったからである。「実存論的神学」誕生以前に書かれた「時と永遠」が、「実存論的神学」の成果を世に問う著作に編入される場合には、新らたな立場から書き直されるのは自然の成り行きだろう。

 この修正の作業は実存論的神学確立に至る野呂師の思想的な格闘そのものであったはずだから、この二つの論文を比較検討することによって「実存論的方法論確立の苦悶」の様子をより生々しく知ることが出来るにちがいない。実際、「時と永遠」の改訂作業はかなり複雑で微妙である。その点に関しては、『実神』に組み込まれた論文の中でも群を抜いているように思われる。自ら「苦悶」と言われているだけの格闘を、この時期の野呂師が体験されたことがひしひしと感じられるのである。

 すぐに分かる両論文の違いは、節の構成である。1956年論文には四つの節があったが、『実神』論文では三つになっている。前者の第四節は、主として哲学と宗教との関係について述べられていたが、このテーマについては『実神』では他の章で新たな立場から詳しく扱われているためか、全て省かれている。そして、第四節の結論部分、すなわち「祝福の神」に関する論述は第三節の終わりに付け加えられている。ただし、この結論もやはり新しい立場から重要な修正を受けている。(これについては後述する)。

 さて、まず第一節の冒頭部分だが、『実神』には1956年論文にない文章が挿入されている。そこでは「時と永遠」のテーマを扱うに際して、時と無関係にその外側にあるものとしての永遠については語らないという態度表明が示されている。約8年前に扱った問題を、実存論的神学の立場からもう一度検討し直そうとする姿勢がここに現れている。

 その上で、第一節ではオスカー・クルマンのよく知られた著作『キリストと時』の永遠論が取り上げられるが、この部分については両論文ともほぼ同じ内容である。新約学者クルマンによれば、聖書にはアウグスティヌスなどの古典的神学が取っているような「時と永遠の質的相違」という考え方はない。これは聖書に書かれてあることの確認である。これに対して野呂師がやろうとするのは、その神学的な意味の検討、つまり、「時と永遠」についての聖書の理解から「神とその被造物との関係について理解する」(1956年論文20頁/『実神』334頁)ということである。

 野呂師によれば、アウグスティヌスの「時と永遠の質的相違」の背後には古典的な神観がある。それによれば、神は「時間過程のどの一点も、比喩的に言えば神から等しい距離にある」(1956年論文22頁/『実神』335頁)。とすれば、神は時間の経過の中で起こる出来事を、すべてあらかじめ知っていることになる。これが神の「予知」ということである。自然の運行ならある程度予測が可能であるとしても、ある人がどのように決断するのかをあらかじめ知ることは誰にも不可能である。神にそれが可能であるのは、神が時間を超越しているからに他ならない。神の時である「永遠」はわれわれの「時」とは質的に断絶している。

 これに対して、クルマンが明らかにした聖書の「時と永遠」についての理解によれば、永遠とはむしろ、直線的な時間を過去と未来への双方へ向けて無限に延長していったものである。そして神の永遠性とは、この無限の時間を神が支配しているということを意味している。神は、人間が生まれてくるずっと以前から存在し(先在)、その時からあらかじめ人々を救いへと選んでいる(予定)。聖書の理解では、このように無限の時を把握し支配することが神の永遠性なのである。(『キリストと時』前田護郎訳、岩波書店、1958年、54頁以下を参照)。

 さて、1956年論文ではここでクルマンに対する疑問が述べられる。

 我々は、クルマンが「時」と「永遠」との間のいかなる質的相違をも認めることを拒み、そして「永遠」を時の直線的延長としてのみ理解しながら、しかも神の時間に対する支配という考えを持ちうる、その理由を解するのに苦しむのである。……彼の永遠に対する思考よりどのようにして神の予定の概念が出てくるのかが、問題の焦点である。(23頁)

この文章は『実神』では削られている。その理由ははっきりとは分からないが、それがすでに新約聖書に何が書いてあるかという新約聖書学の領域を越えた問いであって、新約学者クルマンに問うよりも組織神学者として自分自身が答えを与えていかなければならないという姿勢を明確にしたかったのかも知れない。いずれにしても、次の第2節において取り上げられるのは、この問題である。(つづく)
 

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2012-02-22

実存論的神学の確立(2)

 入試でしばらく閉館していたR大学の図書館にしばらくぶりで出かけた。今年の秋には新しい大きな図書館が出来るので、ここは図書館としてはもう使われなくなるそうだ。一番古い部分は帯出できない辞典などの資料室になっているが、英国の古い図書館の雰囲気を残していて(多分)、そこで調べ物をするときには時が止まってしまったかのような気持ちになったりもするのだが、そこにももう二度と入れなくなってしまうのかと思うと少しさびしい。

 R大の図書館は閉架式になっていて、ほとんどの資料は地下の書庫に眠っている。カウンター横の狭い階段を下りていくと、そこは地下というよりは穴蔵に近い。ふつうの学生には入れないからとても静かで、一人になって心を静めるためにはとてもよい場所だ。しかし今日は、東京神学大学の紀要である『神学』、および新教出版が出している『福音と世界』という雑誌の1950年代のバックナンバーを捜すためにこの地下にもぐった。

 『福音と世界』からは、野呂芳男「インマヌエル」という論文の他に、「日本の神学と教会の課題」という座談会(高崎毅、大内三郎、渡辺信夫、新美宏、佐藤敏夫、佐古純一郎、野呂芳男)、「日本の神学と世界の神学」という対談(マイケルソン、野呂芳男、熊澤義宣)をコピーすることが出来た。

 『神学』の方からは、前回書いた『実神』の各章のもとになった論文のうち、未見のもの、つまり「時と永遠」(1956)、「ポール・ティリックの存在論」(1960)、それに前回は内容を確認していると書いたが調べてみると持っていなかった「話し合いの問題と神学的認識論」(1957)をコピーした。

 この雑誌の50年代のものには他にもいろいろと面白そうな論文があったが、その中にHPの書誌に出ていない野呂師の文章を発見した。「カール・マイケルソン教授のことども」(『神学』1958年冬・春季合併号、136-138頁)というエッセイだ。先生自身の覚え書きにも、R大退官の時に『キリスト教学』第32号(立教大学キリスト教学会、1990年)に載せられた論文リストにも出ていなかったが、後でよく調べると同号に野呂師が寄せた論文「回想の神学者たち」(14頁)の中にこの論文の名が出ていることに気づいた。さっそくHPにも反映させた

 読んでみると、この文章はその内容からしても、野呂神学の形成過程を見ていく上でのきわめて貴重な証言を含んでいる。たとえば次のように書かれている。

 私がブルトマンに惹かれ、多くの点について教えられながら、彼についてゆけないし、又、ついていってはならないと絶えず感ずるのは私の存在論的な傾向の故なのである。(138頁)

文章の末尾には「昭和三十三年四月記」とある。つまり1958年の春に書かれた文章である。これは米国から帰国してまだ1年と半年ほどしか経たない頃であり、『実存論的神学』出版の6年前である。ブルトマンの実存論的神学に惹かれながらも、それを根本的には是とするわけにはいかないという思いが「ついていってはならない」という自身に言い聞かせるような表現に表れている。

 この年の春、野呂師がドルー大学で親しく交流したカール・マイケルソンが家族を連れて来日し、東京神学大学で講義を担当するために半年間滞在した。ちょうど10歳年上のこの神学者を野呂師は兄のように慕っており、来日中は毎日のように顔を合わせていたいたという(『実神』「あとがき」429頁)。この来日中の若き神学者を紹介するために書かれたのがこのエッセイである。

 来日からおそらく1ヶ月と経たないうちに書かれたこの文章には、ブルトマンに接近するマイケルソンの実存論的な神学に魅了される思いと、従来の自分の立場に踏みとどまらねばならないという思いとが交錯している。野呂師によれば、マイケルソンの立場の「根本的基調」は「存在論への否定的な態度」である。両者が共通に影響を受けたパウル・ティリッヒの存在論的な傾向についても、マイケルソンは「聖書的な使信に忠実でないものとして感じ取っているように思われる」と記している。これに対して、先の引用のように野呂師自身には存在論的な傾向があって、それがマイケルソンやブルトマンに全面的にはついていけない大きな要因であると言うのである。

 ところが、この後半年にわたるマイケルソンとの交流は野呂師の態度に大きな変化をもたらすことになる。『実神』出版の翌年に書かれた「実存論的神学確立の苦悶」(『(興文』1965年12月号、2-5頁)では、この変化についてこう記されている。

……恩師であり友人でもあるこの神学者と、ほとんど毎日のように顔をあわせてわたしは通訳をしたり、彼のために日本語の神学文献を英訳に訳しつつ読んであげたりした。こんなことをしているうちに、彼との神学的対話は、わたしの心の中に決定的な神学的方向を作りあげてしまった。

どのような方向なのか。マイケルソン滞在の翌年に書かれた「実存論的なキリスト論への一試み」(『基督教の諸問題』青山学院大学基督教学会編、1959年、243-275頁)の「後記」が明瞭にそれを語ってくれている。

    私はこの論文を契機として、今までの私の立場から抜け出たと言ってよいのではないかと思う。反省してみる時に、私の今までの立場には二つの傾向が存在していたと考えられる。その一つは、この論文にあらわれているように、ブルトマンにみられるような極めて実存論的な傾向である。もう一つの傾向はフリードリッヒ・フォン・ヒューゲルによって強く影響され、それ以後私の中に生きていた神秘的存在論である。この後者がポール・ティリックの中にある神秘的存在論と共通なものを私に与えて、そして、極めて古典的な神学に私を近づけていたのである。私は今まで、以上の二つの傾向を調和させようとの努力をして来たのであるが、もはやその可能性がないと結論せざるを得なくなった。即ち神秘的存在論は聖書的な我々に決断を迫る人格的な神とどうしても調和し得ないと思うようになったのである。それ故に、私は自分の中にある実存論的な神学の傾向を更に押し進め、私の中にあった神秘的なものを、その実存論的方向によって解釈し直さなければならなくなったのである。このことが此の論文を契機として、これからの私の歩みを決定して行くであろう。

これは「実存論的神学」の誕生を告げる文章と言ってよいのではないだろうか。

 『実神』出版当時の野呂師と学問的交流があった八木誠一先生は、野呂師の追悼論文「野呂芳男氏の神学―前期を中心として」(『福音と世界』2010年9月号44頁)で、「野呂神学の基本的モチーフ」の一つとして「人格主義」を挙げておられたが、神学の基盤を神と人との人格的な応答関係に置き、存在論のうちに置くことを拒否する態度こそが、八木誠一、小田垣雅也、さらには滝沢克巳といった日本を代表する他の神学者から野呂師を明瞭に際立たせる大きな特徴であることは間違いない。『実神』の読者には自明なこの神学的態度は、しかし1958年には退けられ、1959年に始めて宣言されたものなのである。(つづく)

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