2009-10-15

人生の二重化?

 白頭庵氏がブログで書かれているのを見て、私も数年前まで幼稚園の運動会で疑問に感じていたことを思い出した。それは運動会というより撮影会であった。

 うちは子どもたちも妻も妻の母もビデオ映像に興味はなく、興味があるのは実は私だけである。だから誰からもビデオを撮ってとは頼まれないのだが、白頭庵氏のように白熱の応援をするタイプではなく、どちらかと言えば運動会は手持ちぶさたで困ることもあって、まあビデオでも撮るかという感じて撮っていたのだ。

 しかし、しだいに周りの父兄たちが撮っている姿があまりに異常なのに気づき、だんだん気持ちが萎えていってしまった。たとえば、50メートル走では、撮影する親たちがやおらコースを取り囲み、競技者の家族以外の人たちは彼らの背中しか見えなくなってしまう。これでは、たとえば通園バスが一緒のアヒル組の○○ちゃんを応援しようと思っても、自分の子以外の競技はまったく見ることが出来ない。つまり50メートル走というのは、自分の子どもが走るのを親が撮る撮影会になってしまっているのだ。親はひたすら自分の子しか見ていない。子どもの方も、自分の親だけの視線に見つめられて競技をする。

 もう一つ異様なのは、ダンスなどの出し物を二回やるという光景だ。一回目は本番で、二回目は撮影用。これは、ダンスが始まると親が撮影のために自分の子どもに殺到して演技が成り立たない、という事態を打開するために園側が考えた苦肉の策なのだ。とにかく自分の息子、娘がアップで写っているビデオさえ作れれば、運動会そのものがどうなろうと知ったことではないという、親のエゴ丸出しの有様に、さすがの私もビデオ撮影という行為に対して一気に冷めてしまった。今はビデオがこわれてしまって撮せないのを機に、現物の方ををちゃんと見るように方針転換している。もう5年くらい前の話だが、きっと今も変わってはいないだろう。

 運動会での親のビデオ熱というのは、もしかすると今味わうべきことをわざわざ記録に残して後で味わおうということだったり、もっと極端な場合にはいったんビデオにしてブラウン管(ちょっと古いか?)を通さないとリアルに感じられないということだったりするのかも知れない。そう考えると、 私自身フェティッシュな傾向のある人間なのでよく分かるのだが、それは一つの大きな倒錯なんじゃないだろうか。

 あと、ほんとにずっーとカメラを回している人がいるけど、その場合撮っている時間と同じだけの映像が残っているわけで、それを見るには運動会と同じだけの時間が必要ということになる。要するに人生を二度生きるという無駄をしていることになるのではないか。記録を残すことは人類の昔からの課題であり欲望でもあるが、記録技術が高度になりすぎて、人は人生を生きながら、同時にそれとほぼ全く同じものを記録しつづけるということが可能になりつつある。そなると、いったいそうやって人生を二重化することになんのメリットがあるんだろうという話になろう。

 人生を一つの贈与とすれば、それを再所有しようという要求は、この贈与としての性質を消去しさりたいという欲望なのかも知れない。

 ついでに言えば、写真撮影はみなある意味で盗撮かも知れないということも最近ちょっと思う。とくにデジカメで風景などを撮って、いそいそとその場を立ち去る人の姿を見るとそう思える。昔と違ってもうファインダーを覗くという姿勢は見られない。その分だけ、何か知らぬふりをして何かをかすめとっている印象が強い。かすめとったものを持ち帰って、自分のブログにでも載せようというのだろうが、どうもさもしい感じがしてしまう。もちろん、それはまさに自分自身の姿でもあるのだ。(「盗撮」などという言葉を使うと、変な広告がつきそうでコワイな)。

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2009-08-27

松本零士『帰らざる時の物語』

 MD書店はBO書店と比べるとあまり安くは売らない。しかし ときどき掘り出し物があって、先日は松本零士の『帰らざる時の物語』①②巻(秋田漫画文庫)をゲットした。昭和60年発行の第19版で、初版は昭和52年(1977年)となっている。24bit02_2 そういえばこんな頃からマンガの文庫ってあったのだなあ、と改めて気がつく。

 そう思ってネットで調べてみると、こんなサイトがあった。こちらによると、どうも各社が次々と漫画文庫をはじめたのは1976年頃のことのようである。今のように「古典」とか「名作」のコミック化がさかんになるずっと前のことだ。

 残念ながらこの『帰らざる』には作品の初出などは書いていないが、こちらのサイト
によれば、ここに収められているのは1970年代半ばの作品である。それはちょうど『銀河鉄道999』が連載されはじめる少し前のことだ。もう一つ1970年代初頭の作品が納められた『四次元世界』(小学館文庫、1995年)いうのも持っているが、この頃からすでに松本は短編の名手で、その資質が後に『999』という名作を生んだことが分かる。

 20頁足らずの分量の中で、そのたびに固有の世界像と魅力的なキャラクター(まあ、だいたい鉄郎とメーテルと下宿のおばさんといったパターンをはずれないのだが)を設定し、メリハリのあるストーリと意外な展開を用意し、しかも読後に独特のせつない余韻を残す。中学生の頃、毎週学校の帰りに『999』が載っている『少年キング』を立ち読み(ごめんなさい)していたが、週ごとの連載で毎回読み切りのストーリーを書き続けるというのは並大抵のことではなかったはずだ。その点で彼は、同時期『少年チャンピオン』に『ブラック・ジャック』を連載していた手塚治虫(こちらも立ち読みごめんなさい)に匹敵するストーリー・テーラーと言って間違いはないだろう。

 ところでこの松本の作品集で改めて目をひくのがその独特のコマ割りだ。真四角のコマはほとんどなく、多くは斜めの線で構成されている。冒頭はだいたい、頁の上から下までを縦につらぬく細長い1コマではじまる。そして、このように始まった時点で、物語は現実と幻想の境目をさまよいはじめる。われわれは手塚とはまったく異なった作品世界へと導かれていく。

 斜めのコマ割りはその後の作品でも一環しており、もはや松本零士のトレードマークのようになってしまっている。もしマンガに文体というものがあるとすれば、コマ割りはその重要な要素の一つだろう。しかし、こうした斜めのコマ割りが物語を詩的に感じさせるのはなぜなのだろう。それに対して通常の真四角のコマ割りは散文的だということになる。

 最近はマンガ評論というものもずいぶん盛んになってきているので、コマ割りの効果についてもきっと詳しく研究されているだろうが、作家がおそらくは無意識に近い技法として行っているコマ割りの作業を、もし研究者が意識化していくとすると、それはどのような説明の言葉になるのだろうか。マンガという表現にとってコマ割りは決定的に重要な要素であることは間違いないのだが、それがどのような効果をもっているのか、どんな必然性でコマは割られるべきなのか。このことを正確に言うことはなかなか難しいのではないか。

 こうした斜めのコマ割りが誰によっていつ頃からはじめられたのかは調べてみないと分からないが、少女マンガではいつからか常套手段となり、やがてはコマそのものの輪郭が消え去っていって現在に至っていると思う。だから少女マンガで育った人は、たとえば私の娘のように自然にああいうコマ割りが出来る。そうすると作品は自然に詩的な雰囲気をもつことになる。(ちなみに娘はマンガを描く。私も描くが、最近は娘の方がうまくなってきている。このままでは娘の方が先にマンガ家になって、私はそのアシスタントから出発することになるかも知れない)。

 コマは機能的に見れば、文章で言えば「そして」とか「それから」といった接続詞にあたると考えることも出来るだろう。それは基本的には物語の筋を時系列に従って次へ次へと導いていく機能を持っている。とすれば、斜めで割るという技法は、二つのコマの関係を「斜めの関係」におくということだ。この「斜めの関係」が意味するものはたぶん多義的だが、その一つは物語の時間的順序が曖昧化されるということかも知れない。

 時間的順序を示すという観点から見れば、コマの機能は、「出来事A」を示すコマと「出来事B」を示すコマを二本の線で隔てることによって、両者の前後関係を確定することである。しかし、この二本の線が斜めに引かれていると、両者の関係ははっきりとした前後とは言えなくなる。前のコマを読んでいるうちに、次のコマの一部がすでに目にはいってくるからだ。それは一種のオーバーラップのような効果を生み出す。(まあ、この同時に複数の絵が見えてしまうというのは、マンガというメディアに一般的に言える特徴でもあるのだが)。それは出来事が次々に継起してくる物理的世界ではなく、過去と将来が現在の中でかぶさり合う内面的な意識の世界を感じさせる効果を持つのではないか。

 今言ったのは縦線についてだが、横線が斜めに引かれる場合はどうなるのだろう。マンガは、右から左へと読んでいって端まで来たら右下に戻るという規則がある。するとコマを横向きに区切っていく縦線が細かい時間系列を示すのに対して、コマを縦に区切っていく横線はより大きな時間系列を示すはずである。したがって、横線を斜めにすることは上に述べたことをより大きな時系列で行うことになる。つまり、横線が斜めになっていると、作品全体が内向的な傾向を帯びたものになるのではないか。

 ちなみに松本零士のほとんどの作品は、最初から最後まで縦も横も斜めの線ばかりである。手塚の場合は、基本は垂直の線だが、時折斜めを使う。しばしば目にするのが、斜めの横線が右端から左端までをぶち抜いたコマが連続するものだ。この場合、<横線が斜め>という要素の他に、<右から左までぶちぬきの連続>という要素が加わるので複雑な説明を要するだろう。逆に、斜めの縦線が上から下までぶちぬきというパターンもあるが、この場合もいろんな効果が考えられる。いずれにせよ、手塚の場合は作品の一部でこうした技法を使って何らかの効果を出しているが、それが作品全体を覆うことはまずない。

 ところで、こんなことはたぶんマンガの技法論として基本的なことで、四方田犬彦『マンガ原論』(ちくま学芸文庫)あたりにも書いてあるのだろう。ただ、コマ割りの必然性の問題はこうした考察で簡単にすませることも出来ない。コマの機能は時間的継起を示す接続詞につきるものではないし、かりにその機能が記号論的に言い尽くされたとして、現実の作品制作において「こう割る」のではなくむしろ「こう割る」ことの必然性は説明不可能だろう。ではそれは、偶然とかその時の気分とかいう他はないのだろうか。こうなってくると話の次元が違ってきてしまうかも知れないが。

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2009-08-14

黒田硫黄「ゼノンの立つ日」

 誰もが知っているように、ここ二日ほど関東はようやく夏らしい日になった。娘がBO書店で黒田硫黄の「ゼノンの立つ日」(『ネオデビルマン(下)』講談社漫画文庫)を買ってきた。黒田硫黄には心底驚かされる。この作品は2000年のものだし、『大日本天狗党絵詞』などは1995年のオウム事件以前から書き始められている。私が彼の作品を知ったのはたぶんここ1、2年のことだから、10年以上も全く気づかなかったことになる。他にも知らないあいだにいいマンガ家が出ていて、ちょっとくやしいが基本的には幸せなこの頃だ。

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2008-11-08

スカラ座で映画を観る

 文化の日に、近くの映画館に「靖国」を観にいった。

 この映画館は、私の町K越に唯一の映画館だが 、同時にS玉で一番古い映画館でもある。この町にはもう一つホームラン劇場(仮称)という映画館があったが、Sヶ島やHJ野などに出来たショッピングセンターと一体化した新しいタイプの映画館に客をとられてついに閉鎖され、残ったスカラ座もいよいよかと思われたのだが、地元で保存運動が起こり、現在では有志の人々の出資によって再出発して今に至っている。

 近頃は路線を変えて、主としてミニシアターPhoto_3 系のものをやってくれるようになった。これまで見たい映画があっても銀座あたりまで行くには暇も金もないということで見送ってきたような映画も、歩いて4,5分ならかなり行く機会が出来るわけである。かつてのIK袋の文芸座や、今もあると思うがUR町の並木座などを思い起こさせるなつかしい雰囲気を味わうことができる貴重な映画館である。

 「靖国」は今年の春に上映中止が相次ぎ、社会問題化した話題の映画だが、そうした事件をめぐる議論について私はほとんど知らない。気になってはいたが議論をフォローできないまま今にいたってしまった。映画館にあったチラシによるとそれらの論争をまとめた本が出ているようなので、そのうち読んでみようとは思っている。いまそういう議論を全く知らないままでの率直な感想を書き留めておこう。

 取材・制作した李纓監督が靖国神社と日本の政治のありかたに批判を持っている人であることは間違いないし、それは映画を見ればはっきり分かることである。ただ、そうした批判的なメッセージを届ける手段として映画を用いるということを必ずしもこの人はしていないと思える。靖国への批判よりもむしろ批判の対象である靖国を理解しようと努めている事の方が私には目についた。

 8月15日の靖国の喧噪は見物である。実に様々な団体が、いろんな服装でやってきて、思い思いのやりかたで参拝をしていく。カメラはここまで近づけるかと思うくらい、これらの人物に密着して撮影している。右翼系のこわそうなおじさんが大きな声で号令をかけながら、カメラに右手でどけどけとやるのだが、それが「ちょっと、駄目だからね」みたいな優しい感じなのが面白い。

 神社にやってくる人々の多くは日章旗を掲げているが、中には星条旗を持った意図不明なアメリカ人もいて、サングラスをかけ手には「小泉首相に賛成です」とか書いた紙を掲げて笑顔を振りまいている。人々の反応は様々で、日章旗をもったグループが彼に握手を求めるかと思えば、「こんなもんをここにもってきちゃいかん」としかるおじさんもいる。結局はこわい顔をした人たちにかこまれて、警察につまみ出されてしまった。紙袋をもって駅へ向かう陽気なアメリカ人。

 また、おそらく拝殿の右側にある休憩所で、おばさんが二人が小泉首相の靖国参拝を話題にしているのだが、録音状態が悪くて会話内容がよく聞き取れないものの、ちまたでよく聞くよなというようなごく一般的な日本人の考えを代表しているもののように思われる。ただ、この二人が互いに話しながら、お互いの話をあまり聞いていないのが面白い。人の会話ってそういうところがある。

 もちろん、靖国神社にはこの施設のあり方に批判的な人々もやってくる。こちらは8月15日ではなかったが、高金素梅さんをはじめとする台湾の人たちが浄土真宗のお坊さんと一緒にやってきて、台湾人の合祀を取り下げるように訴えている。戦争に徴用され戦死させられた台湾人を遺族の意志を無視して勝手に合祀しているのだから、これは明らかに個人の権利を侵害する行為である。そもそも国と関係の無いはずの宗教団体が政府しか知らないはずの台湾人の戦死者の情報を知っているという点からしても大変な問題である。

 フィルムは、こうした場面を詳しい説明なしにつなぎ合わせていく。もちろん、このつなぎ合わせる行為そのものの中にも、また戦時中の日本兵による残虐行為の写真などをオーバーラップさせる手法などの中にも、作家の批判的な意図は十分こめられているわけだが、全体としての作品から感じ取られるのは単なる批判というよりも、靖国の根源にある正体の知れない何かをつきとめたいとする努力であるように思えた。

 とくにそれが感じ取られるのが、靖国神社で繰り広げられる喧噪とは別に、それらの場面のあいだに挿入されるある年老いた職人の映像である。靖国神社に奉納される刀を作りつづけている匠である。靖国には「英霊」が祀られているとされているが、そのご神体は実はそうした日本刀なのだという。この日本刀を何十年にもわたって孤独に作り続けているというのである。穏やかな人で、カメラの前で黙って坦々と仕事をしている。

 監督自身が職場に入り、真っ赤に燃える炉とその前で行われる作業をつぶさに撮影しながら、その合間に匠から話を聞く。刀や作業については多少話がはずむものの、靖国をどう考えるかについて問うと、とたんに無口になる。顔から表情が消え失せ、言葉をさがすことも諦めてしまったように、ひたすら宙を見つめたまま固まってしまう。次に何か問いかけをされるまでそのような気の重い沈黙がつづく。その繰り返しである。

 監督は言葉によってこの年老いた匠から何かを聞き出そうとする。しかし、一番知りたいことは決して匠から言葉としては出てこないのである。靖国の根深いところまで掘り下げていこうとすると、最後はこのような言葉に出来ない思いとか、語り得ない事柄といったものにぶちあたることになる。それらは理解しようとする者がそれ以上踏み込むことを拒む。そして、そうしたものは必ず神秘化され神聖化されて、不可侵のものとされてしまうに違いない。靖国へ向けられるあらゆる批判は、あの真っ赤な炉の中に溶かし込まれていってしまうようなのだ。

 しかし、語り得ない事は本当は決して神秘的なことなのではない。どんな民族にもそれぞれの語り得ないことがある。それはあたりまえの生の事実なのだ。そして他者と関わり会う場では、それぞれがそのような語り得ないものを内にいだきつつもあえて言葉を語り、他者の前に理解可能な者として自分をさらすということ、誤解を覚悟して自分を客体化することが必用である。日本人はそのような作業を、日本の戦争責任を問う他国人の前でやってきたと言えるだろうか。あの台湾人女性は語り得ない思いを持ちながら、あえて敵の前でそれを語っていた。それに対してわれわれはただ沈黙で答えるのだろうか。

 靖国の核心を捉えようとして、この日本在住の中国人監督が匠に肉薄するが、ついには分からなかったのではないか。私にはこの映画はその分からなさを強く印象づける作品だった。そして、仮にそれが中国人の監督に永久に分からないとしても、それは日本人が靖国を正当化する口実には決してならないということをも強く感じさせられたのである。

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2008-07-18

良い子たちの読書感想文

 授業は残すところあと1つとなった。夏休みだ。しかし、子どもたちも同時に夏休みに入ったので、研究三昧という具合にはなかなかいかない。

 ところで中一の娘は夏休みに入って大変喜んでいるが、読書感想文を書かなければならないのが苦痛のようである。といっても本を読むのが嫌いなのでもないし、文章を書くのが苦手なのでもない。むしろその二つは本人にとって最も好きなことなのだが、読書感想文というものについては心の底から嫌いなのだ。小学生の頃からそうだった。私はその気持ちはよくわかる気がする。

 だいたい「読書感想文」というジャンルは、大人の世界にはないものである。もちろん書評とか評論の類は大人の読み物の中のかなり大きな部分を占めている。しかし子どもたちが書かされる読書感想文は書評や評論とは違ったものであり、そこでは作品を論じたり評価するのではなく、作品によって動かされることが要求されている。つまり、本を読んで深く感動したり学んだりしなければならないのである。

 確かにある本によって魅了される経験こそが、本来の読書経験なのかも知れない。しかし、人は本を読んでもそうそう感動したり学んだりするわけではないし、まして人から感動せよと言われて出来るものでもない。ところが読書感想文という制度は、はじめからそのような経験を要求しているように思える。だから読書感想文を書くとなると感動や学びを無理矢理作り出さなければならないことになる。またそれはたぶんあるべき一定の小学生像、中学生像にかなったものでなければならない。めんどうくさくなった子どもたちは、あらすじをあらかた書いてから、「……というところが面白かったです」とか、「……にはびっくりしました」という風に適当に付け加えていく手法を取るのだろう。しかし、読書が好きでかつ文章を好きな人にとってそんな文書を書かなければならにことほど苦痛なことはないだろう。

 娘が苦悩しているので、感想文の既成の型にとらわれず、たとえば書評風にするとか、感動なんかしなかったことを書くとか、あるいは作中にその本が登場するような小説の形をとるなどの案を出して見たが、やはり学校に出さなければならないとなると、そういう冒険は出来ないようだ。「学校」という枠組みはその中にいるものにとっては絶大で、卒業してしまった者にはなかなか理解できないものがあるに違いない。いずれにしても、読書と文章を書くことが無類に好きな子どもをこれほど悩ませる読書感想文とは、一体何のためにあるのだろう。本を嫌いな子どもを作るためか?  

 元来、良い本を読んだ人は感想を述べるよりも、むしろその本に触発されて自分の考えを展開したり、新たに創作したりするものではないだろうか。だから大人の世界には感想文などはない。だったら子どもにも感想文を書かせるのをやめたらいいと思う。大人も書けないものを子どもに書かせることが間違っているのだ。                  

 ところで娘が小学校の頃、読書感想文と並んで嫌いだったのが「読書マラソン」と題する読書記録である。本を読んだらその題名と著者名と感想を書くようになっているが、その感想の欄が異常に少なく、細かい字で書いても10数文字がやっとである。娘は大量に本を読むが、それを読書記録につけるのが嫌いで、さらに10数文字で感想を書くのがもっと嫌いだった。それでもしかたなく書いているのを横からのぞいてみると、感想の欄はすべて「おもしろかった」であった。

 読書感想文も読書マラソンも、読書離れを防ぐには全く逆効果ではないだろうか。それより物語そのものを書くことのほうが子どもたちは数倍楽しいだろうし、基本的にそういうものの方が得意でもあろう。また、必要性という点から言えば、作文や読書感想文なんかより、論説文の練習をもっとした方がいいだろう。その場合、子どもはきっと何を主張すべきかが分からないだろうし、へたをすると主張すべき事をまたねつ造することになるに違いないから、何を主張すべきかには重点を置かずその主張をいかに文章で正確に表現し論証するかという点を訓練したらよいと思う。

 今気づいたんだけど、この記事はpensie_log氏の記事「良い子たちのレポート」と関連があるに違いない。こういう感想文を書かされた子たちが、あんなレポートを書くようになるのではないか。

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2008-06-14

町の活字中毒者たち

 しつこいようだが、またタダ本をゲットした。

 市立図書館へちょっと調べものをしに行ったら、たまたま除籍図書リサイクル市の初日だった。開始30分前で、すでに3,4人ならんでいるので後で寄ってみようと目的をすませているうちに、いつも静かな図書館の入り口あたりがなんだか騒がしくなってきた。市に集まって来る人たちだった。主婦や高齢者を中心に次々に人がやってきて、長蛇の列になった。

 会場へ入ると大変な熱気で、人がひしめきあって本を漁っている。みんな目が血走っており、よくドラマや漫画などで見るバーゲンセールの様相である。K越にもこんなに活字中毒者がいるのかと感慨を覚えた。

お一人様10冊限りだが、10冊というと両手でもてる限界に近い。しかし、みんな両手に山のように本を抱えながら、まだ何かあるんじゃないかと目を皿のようにして探している。そのありさまは、まさに「あさましい」という言葉がぴったりくる。私はといえば、もうすでに先日十分にあさましく振る舞って一定の収穫を得ているので、今日はみなさんほどあさましくならなず、ちょっと余裕を見せながら周りを冷静に見回し、それからしっかり10冊ゲットして帰ってきた。

・H・ジンサー『ねずみ・しらみ・文明』みすず書房
・ボーム『量子論』みすず書房
・フーコー『狂気の歴史』新潮社
・J・A・リヴィングストン『凶暴なる霊長類』法政大学出版局
・松本健一(聞き手)『埴谷雄高は最後にこう語った』毎日新聞社
・吉川英治『親鸞』(上)角川文庫
・吉川英治『親鸞』(下)角川文庫
・渡辺照宏『お経の話』岩波新書
・村上春樹『スプートニクの恋人』講談社
・村上春樹『国境の南、太陽の西』講談社

117_1764mono  市民図書館だから現代小説やハウツー本の類が主だが、中には何でこんなのが?と思うようなものもあって、もっとじっくり探せば面白かったかも知れないが、とにかく人が多くて、熱くて、また重かったので、早々に切り上げて帰ってきた。

 それにしてもこの数日私は本ばかり漁っていたことになる。後は読むだけなのだが、これがホントは一番大変なのかも知れない。すでに私の部屋にはこれまでにゲットして読まれないままの本が山ほどたまっている。それに比べて娘は『国境の南、太陽の西』をあっと言う間に読んでしまった。明日は自分も行ってみるそうだ。私もこれくらい早く本が読めるといいのだけれど。

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2008-06-10

青空市騒動顛末記

 あっと言う間に一週間が過ぎてしまった。それは多分にも青空市に振り回されたということがあるかも知れない。先週R大講師室に置いてきた本を持ち帰った。相変わらず重い。こう重いと寄り道をする気も起きない。まっすぐ家へ帰ってくる。今回の収穫物は以下の通り。

・『波多野精一全集』第1巻、岩波書店
・『波多野精一全集』第2巻、岩波書店
・『波多野精一全集』第3巻、岩波書店
・『波多野精一全集』第4巻、岩波書店
・『波多野精一全集』第5巻、岩波書店
・『波多野精一全集』第6巻、岩波書店
・『石原謙著作集』第6巻、岩波書店
・『石原謙著作集』第10巻、岩波書店
・『シュヴァイツァー著作集』(「バッハ」上)第12巻、白水社
・『シュヴァイツァー著作集』(「バッハ」下)第14巻、白水社
・『トレルチ著作集』第1巻、ヨルダン社
・カール・バルト『教会教義学』和解論I/3、新教出版社
・カール・バルト『教会教義学』和解論I/4、新教出版社
・カール・バルト『教会教義学』和解論II/1、新教出版社
・カール・バルト『教会教義学』和解論II/3、新教出版社
・『呪ないと祭り』講座日本の古代信仰3、学生社版

Photo  今回は『波多野精一全集』が目玉で、中身は古い活字体なので読みにくいが、宗教思想史的な内容が大変興味深い。ただ一番読みたかった「象徴的神学」が抜けているのは残念「象徴的神学」は有賀鉄太郎でした( ´。`;)  シュヴァイツァーの「バッハ」は上下2巻本が手に入ったと思っていのだが、帰ってからよく見ると上中下の3巻本で、中が抜けていることが分かった。残念。

 バルトの『教会教義学』の一部も手に入れた。今回ゲットしたのは第IV巻「和解論」のうち、I/2、I/4、II/1、II/3の四冊で、「和解論」の約半分くらいにあたる。見事にとびとびになっているので中途半端だが、タダだから文句は言えない。

 私が生まれる前の話だが、『教会教義学』はこの「和解論」から邦訳が始まったはずである。今回手に入れた「和解論」I/3は1960年発行とある。(値段は900円。1968年発行のII/3は倍の1800円だから、この時代物価が急激に上がったことが見て取れる)。1960年の時点ではまだバルトが健在で、原著のKDもまだ書き続けらるはずだったので、先行きの見えない中で翻訳出版が進められていったのだろうが、結局この膨大な本をほぼお二人で全て訳してしまったのだから頭がさがる。さすがのバルトもびっくりであろう。

 そういえば2005年に邦訳が出たブルトマン『ヨハネ福音書』の翻訳者にも心底脱帽である。8年がかりの訳稿がほぼ出来上がった1994年に訳者は火事でこれを焼失してしまう。しかし、それから再び翻訳作業をやり直し、9年後にこれを完成させたというのだ。ギリシャヤ語と大量の細かい注を含むこの大著の内容を知る人なら、それが並大抵のことではないことがすぐに分かるだろう。自分の成し遂げた業に対するこの潔さ、すぐに一から作業をやりはじめる将来に開かれた態度というものに、人生を終末論的に生きよというブルトマン神学のエッセンスを見る人は私だけではないだろう。

 青空市について書いていて意外な結末になったが、これがこの一週間にあったことだ。

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2008-06-06

三度青空市へ行き、超ど級のお宝発見

 前日バックに入りきらずにあきらめた本が気になり、昨日また青空市へ行った。T葉県の大学で夕方の授業を終え帰りの電車に乗ると、いつもはたっぷり1時間半読書に浸るところをI袋で途中下車してR大学へ向かう。

 途中激しい雨が振り出してやばいと思ったがすぐに止んでしまう。学生が去ってがらんとしたR大8号館のロビーは、もう8時だというのに灯りが煌々ととついている。中に入ると、まだ本は山ほど残っている。が、本を物色している人の姿はもう見あたらず、掃除のおばさんたちだけがこれから仕事を始めようと元気に行ったり来たりしている。その声がロビーの高い天井ににこだまする。アカペラの練習をしている学生たちのハーモニーがどこからか聞こえている。リード・ボーカルが高音になると音をはずす。しばらくするとまた同じ曲を繰り返す。高音になるとまた音をはずす。

 私はあきらめた数冊の本がまだあるかどうか確認しようと見渡した。特に岩波の哲学講座のシリーズを探そうとしたが、一見してすぐに誰かが持っていったことが分かった。その他、目をつけていた本はほとんど持ち去られていた。白頭庵氏が去って「哲学」が消えたこの大学にも、まだ哲学をする残りの者たちがいるのだと思った。

 昨日あったはずの本が無いのに対して、昨日無かった本がさらに追加されている。一度に出さず小出しにするとは当局も憎いことをするものだ。しかも、追加された本の多くは神学関係の洋書だ。やれやれ、また今日も大量の本を運ぶはめになりそうだ。それにしても、明日この市は終わることになっているが、残ったこれらの膨大な書物は本当に廃棄されてしまうのだろうか。友愛書房とかに連絡したら引き取りに来るのではないのだろうか。

 などと考えていると、ふと一冊の本が目に止まる。濃紺のきっちりした装丁に見覚えがあった。「まさか」と思って手に取る。手になじむこの感覚は間違いない。背表紙を見る。金文字で「実存論的神学」と書いてある。ついに出会えた!

 考えてみればありえない話ではなかった。大福先生の『実存論的神学』(創文社、1964年)は、R大学に数冊あるはずだった。貴重本を容赦なく切り捨てる今回の大粛正(?)を目の当たりにしてきたのだから、数あるうちの1冊くらい廃棄に回されることも十分に考えられはずだったのである。しかし、現実には大量の本の山の中にこの本があるということをまったく予想していなかった。だから、しばらく唖然としてしまった。

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大量の本のタイトルをいちいち確認していく作業にややぐったりしていたので、この超ど級のお宝を前にして、近くのチェアーに少しづつ積み上げていたその他の本は一瞬どうでもよくなってしまった。『実存論的神学』を手に取ると、しばらく休憩することにした。それにしてもきれいな本だ。私の生まれる前年に発行されているのだから、もう43年経っているのに、とてもそうは思えない。中を調べると、1箇所うすい鉛筆で印が入っている他は、 傍線や書き込みは全くない。確かR大に数冊あるうちの何冊かは、心ない読者によって傍線を、それもボールペンで引かれていたと記憶している。何でそっちを残してこの美本の方を捨てるのだろう。

 裏表紙の見返しを見ると「友愛書房」のシールがはってある。ということはR大が古書店で購入して蔵書に加えたものかも知れない。その下の方には前の所有者のネームと購入日が入っている。日付は1967年となっている。ちょっと遅れて購入したのかなと思って表紙の見返しを見ると、別の名前と日付が入っている。こちらは1964年7月となっているから、出版されておよそ1ヶ月で購入した最初の読者がいたことになる。すると二人目の読者が古書店で購入して、その後にR大に寄贈したのか? いずれにしろ四十余年の年月を幾人かの人たちの手を経て、ついに持つべき人(私)のところへ届けられたわけである。

 さて、この1冊だけでもういいやという気分を納め、中断した作業を再開する。結局持ち帰ることの出来たのは以下の15冊だ。

・野呂芳男『実存論的神学』創文社、1964年
・渡辺善太『旧約聖書の由来』1929年
・フェルヂナン・ド・ソシュール『言語学原論』岩波書店, 1967年
・J. M. Robinson & J. B. Cobb Jr., Theology as History, Harper & Row, 1967年
・S, Neill & T. Wright, The Interoretation of the New Testament, Oxford UP., 1988
・W. Pannenberg, Was ist der Mensch? ,Vandenhoeck & Ruprecht, 1962
・Paul Tillich, Systematic Theology, Vol.1, The University of Chicago Press, 1951
・Friedrich Gogarten, Die Wirklichkeit des Glauben, Freidrich Vorwerk Verlag, 1957
・Friedrich Gogarten, Christ the Crisis, SCM Press, 1970
・John Macquarrie, Contemporary Religious Thinkers, Happer & Row, 1968
・Heinrich Ott, Gott, Kreuz-Verlag, 1971
・Joseph Fletcher, Situation Ethics, SCM Press, 1966
・H. Richard Niebuhr, The Responsible Self, Harper & Row, 1963.
・Oscar Cullmann, Vorträge und Aufsätze, J. C. B. Mohr, 1966
・Hreinrich Ott, Wirklichkeit und Glaube, Zweiter Bnd, 1969

106_0660   他にも、たとえばAlbert RitschlのDie christliche Lehre von der Rechtfertigung und Versohnungの三巻本が新品同様の状態で廃棄を待っていたので、これは持ち帰りたかったが、どうにも入りきらない。講師室も今日はもう閉まっている。諦めることにした。中を見るとひげ文字でどうにも読む気が起こらない、というよりこんな分厚い本をひげ文字のドイツ語で読める気がしない。持ち帰っても一生読まないに違いないから、まあいいことにした。Cullmannの本は太くて重いのでやめることにしたはずなのだが、帰って確認するとどういうわけか鞄に入っていた。それだったらかわりにRitschlにしとくべきだったか? いやいや、やっぱりひげ文字は持ち帰ってもしかたがないよ。と未だに心の中で問答が続いている。

 帰りの電車ではMK大から借りてきた橋爪大三郎の『仏教の言説戦略』(勁草書房)を読む。「言語ゲームとしての宗教」という理解についてはいつか決着をつけなくてはならいのだが、「言語ゲーム」という概念自体が難解なのと、それが持っているある種の真理性をどう評価するかについてなかなか考えがまとまらない。今回授業で橋爪さんの別の本を使ったら、この本を参照と書いてあったので借りた。よく知られた本なのにこれまで読まなかったのはある意味不思議だ。別に今日この本を借りなくてもよかったかなとふと考える。借りなければRitschlが入ったかも……いや、もうやめにしよう。

 これで獲得した本の数は45冊になる。しかし、まだ講師室に置いてきた本が10冊以上あるはずだ。もう1週間、市をのばしてくれれば100冊はいったのに。残念。でもそんなたくさん持ち帰っても、欲望とは果てしないものだから、ここにある本全てを持ち帰りたくなるに違いない。しかも、置き場所がなくてかなり困ることになるのは目に見えている。青空市が終わってくれてほっとしているというのが本音かも知れない。

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2008-06-04

大漁、そして書誌修正

 朝一番の授業をすませて青空市へ行く。昨日めぼしいものは持ち帰ったが、まだいくつか心残りのものがあって、それを二、三冊持ち帰るくらいの気持ちでいた。ところが、昨日と同じ場所に並んでいる本が増えている。おやと思って見ていると、あるわあるわ私の専門に関わる本がどっさり並んでいる。学生の頃お世話になったK科読書室に並んでいた古い貴重な本がこれでもかというくらい並んでいる。物色しているうちに、2、3冊などということでは済まないことがはっきりしてきた。

 とは言え、現実には昨日と同様、私物が入ったカンケンバックと携帯用の手提があるばかりだ。厳選の上、それらを本で満たしところで、そうだ二階にも少しあったよなと思って上がってみた。二階は一見すると昨日と同じかに見えたがそれは間違いで、昨日なかった本がかなりある。おそらく古本と古本の間にできたすきまに、新たな古本(形容矛盾?)を埋め込んでいるのだろう。昨日はなかったはずのマニア唾涎もの(?)の貴重本がうようよ。

 これは大変なことになったと思った。もっとでっかいリュックを持ってくればよかったという話ではない。いっそ車で来ればよかったと思った。しかたがないので、とりあえずこれらの本を隅のベンチに重ねて置き、カンケンバックと手提げで隠しておいて、購買部へ行って大学の名前の入った紙袋を買ってきた(¥200)。かばんに入らないものをすべてこれに詰め込み講師室へ。背中にパンパンになったリュック、両手に重そうな袋二つを下げてキャンパスを歩く様子は大変見苦しい(あさましい?)ものだったに違いない。

 最初はこのままで家まで帰ろうと思ったが、半端ではない重さだし、雨もパラパラしてきたので、結局講師室の隅に置かせてもらうことにした。来週取りに来ることにしよう。さて、ゲットした本は今回はすべて和書。多すぎてめんどくさいので、発行年は省略。

・H・ブラウン、H・コンツェルマン他『イエスの時代』教文館
・E・ユンゲル『パウロとイエス』新教出版社
・トロクメ『使徒行伝と歴史』新教出版社
・クレーマー『宣教の神学』新教出版社
・W・ショットロフ『いと小さき者の神』新教出版社
・W・ホーダン『転期に立つ神学』新教出版社
・J・フレッチャー『状況倫理』新教出版社
・佐藤敏夫『近代の神学』新教出版社
・滝沢克己『現代の事としての宗教』法蔵館
・J・A・T・ロビンソン『神への誠実』日本基督教団出版局
・中沢洽樹『苦難の僕』新教出版社
・中沢洽樹『第二イザヤ研究』新教出版社
・E・モルトマン=ヴェンデル『乳と密の流れる国』新教出版社
・オットー・ヴェーバー『カール・バルト教会教義学概説』明玄書房
・B・M・メツガー『新約聖書の本文研究』聖文舎
・山本和『救済史の神学』創文社
・石原謙『石原謙著作集』第2巻、岩波書店
・石原謙『石原謙著作集』第3巻、岩波書店
・石原謙『石原謙著作集』第4巻、岩波書店
・石原謙『石原謙著作集』第5巻、岩波書店
・ルター『ルター篇』キリスト教古典叢書、新教出版社
・クワイン『ことばと対象』勁草書房

080604_154644_ed_3 哲学の本はクワインだけであとはすべて神学書だ。こんなに廃棄しちゃって大丈夫なのだろうか。他に岩波の哲学講座のシリーズもあったのだがさすがに断念した。神学の本と哲学の本があったら、結局神学の本を選んでしまうあたり、やはり私は神学が好きなんだろう。

 さて、しかしこれはまだゲットした本の半分である。他に紙袋に入れた十数冊がまだある。その中にはシュヴァイツ ァーのバッハ本とか波多野精一の著作集なども入っている。それらはすでに講師室に確保したとして、さらに他にも断腸の思いで持ち帰らなかった本がある。明日帰りにでもよってみるか。でも、これやってると切りがないような気がする。金曜日で終わってくれるので助かる。

 こんなことがあったので、またも書誌調査を忘れるところだったが、荷物を講師室に置いてほっとしたら、やるべきことを思い出した。大福先生の論文が入っているはずの巻はやはりなく、その前後の巻には大福先生の論文はなかった。ここで少なくともこの論文が1966年に発行というのは誤りであることは分かったわけだ。にしても、1965年のはどうしちゃったんだろう。何とか手に入れなければ。

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古本発掘

 雨の中、かなり早めに大学へ出掛けると、廃棄図書の青空市をやっていた。今日が第一日目のようだ。朝一番なので、まだ誰にも荒らされておらず、結構掘り出し物があった。

 今日持ち帰った本は以下のとおり。

・Friedrich Gogarten, Jesus Christus Wende Der Welt, 2. Auflage, J.C.B.Mohr, 1967.
・Ernst Fuchs, Zur Frage nach dem historischen Jesusu, 2. Auflage, J.C.B.Mohr, 1965.
・Ernst Fuchs, Glaube und Erfahrung, J.C.B.Mohr, 1965.
・Martin Buber, Ich und Du, Verlag Lambert Achneider, 1958.
・John Macquarrie, Principles of Christian Theology, SCM Press Ltd, 1966.
・Roman Jakobson, Essais de linguistique générale,  Les  Editions de Minuit, 1963.
・スターン『文化的絶望の政治』三峰書房、1988年
・『信条集』後編、新教出版社、1982年

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 なかなかの収穫だ。ゴーガルテンやフックスの本はアマゾンの古本でまだ比較的安く手に入るようだが、送料など入れると結局は相当かかってしまう。なんと言ってもタダなのは嬉しい。しかし、これだけの本が「廃棄」の印を押されているのは切ない。どうも2冊以上あるものは、1冊だけ残して廃棄しているらしい。

 ずいぶん重くなったが、白頭庵氏にすすめられて買ったフェルラーベンのカンケンバックはすばらしい。見た目は小さいのに、かなり入る。入りきらない本は、携帯していたナイロンの手提げにつめこみ、それでも余ったものは自分のメールボックスに入れ、雨の中濡れないように今日は早々に引き上げた。

 明日もまだやっているので、今日持ち帰るのを断念した本を持って帰ろう。渡辺善太、関根正夫、浅野順一といった人たちの古い旧約聖書概論の類がいくつかあった。あと、アンドレ・パロ『ニネヴェとバビロン』(みすず書房)という聖書考古学の本の間にはさんであった名刺は、なんと私の所属する教会を創始した宣教師のものだった。たぶん30年くらい前のものだろう。こうなると、この本も持ち帰りたくなってしまう。

 そうそう、前回の青空市の時には『追憶の波多野精一先生』玉川大学出版部をゲットしたのだった。これはいつかpensie_log氏が言及しておられた本だ。この青空市、今後どんなものが出てくるのだろう。2冊ある本って結構あるんだけど、どんどん廃棄してくんないかなあ。さっき言ったことと矛盾するけど。

 というわけで、早々に引き上げたため、大福先生の論文の所在を確認することが出来なかった。これも明日の課題だ。(あ、もう今日になってしまった)。

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2008-05-31

日本経済新聞を読んで独学者の魂について学ぶ

 愛読している毎日新聞をわけあってしばらく休み、4月から日本経済新聞を取っている。この新聞を取ったのはこれで二回目だ。どうぜ短期間なのだから、経済という視点から世界を眺めてみるのもよかろうというつもりだったが、やっぱり駄目。最初はものめづらしかった紙面も、数日すると無意味な記号の羅列にしか見えなくなってきた。自然と新聞を読まなくなる。おかげで世間で今何が主として話題になっているのかさえ分からなくなってきた。

 またテレビ欄が中程に掲載されているため、番組を確認するのにいちいち中を確認しなければならなず、子どもにも不評だ。私の友人はこれを読み続けて経済通になったが、私にはそんな日はまずこないだろう。経済は世界を動かす重要なファクターだと思うが、この視点からのみ世界を見ていくのは、少なくとも私にはとうてい無理だ。こうやってニッケイに挫折していく人って多いんだろうな。私もその仲間か……( ´ `;) 

 ところで毎日新聞を休むタイミングを完全に誤ったなと悔やまれるのが、将棋の名人戦。昔から毎日が主催しており(今年から朝日と共催)、対戦の翌日に完全な棋譜が載る。ところがニッケイにはそんなものに割くことのできるスペースはない。ネットでも速報が流されているが、これは有料のコンテンツで、買った負けた以上のことはお金を払わないと分からない。息子との遊びをきっかけに将棋がちょっとしたマイブームになっていて、最高峰の将棋がどういうものか知りたいと思うのだが、以上のようなわけで見事に名人戦のちょうど手前にその情報を知りうる媒体を自ら手放してしまった。ニッケイの内容の中で私にも興味がもてる数少ないコンテンツだったのに……。まったくタイミングが悪すぎた。

 でもどうしても棋譜が欲しい。仕方がないから駅で新聞を買うはめになった。朝日という選択肢もあったが、結局は毎日を購入。ああ、なつかしいこの穏やかな紙面。人間の事柄が書いてある。名人戦は1局が2日に渡って行われそれが7局つづくわけだから、全部で14部買うことになる。ああ、早く毎日新聞にもどりたい。

 日経のいいところも少しはあって、最後の頁にテレビ欄のかわりに置かれている文化欄がなかなか充実していること。(毎日の文化欄もいいけど)。「私の履歴書」に1ヶ月にわたって谷川健一氏のエッセイが連載されていたのを興味深く読んだ。民俗学者といってもアカデミズムの中で活躍した方ではなく、かといってジャーナリストというのでもなく、むしろアートや文芸に近いところで活動されてきた方という印象を持った。(ただし、それは学問性に劣るということでは全くない)。若い頃は雑誌『太陽』を企画しヒットさせた辣腕の編集者であったが、やがて大病を患ったのを期にこの道に入っていった。

 今日はその最終回なのだが、「独学者の魂」ということを書いておられた。「大日本地名辞書」を書いた吉田東伍は十三歳で中学部を退校し、学歴を問われると「図書館卒」と答えたという。南方熊楠も大学予備校だし、宮本常一も師範学校卒だそうだ。別に学校を出てないから独学というのではなく、柳田国男、折口信夫、白川静の場合は大学を一応は出てはいたが、「世間のありふれた賞賛には目もくれず、光栄ある孤立の道を選ぶことをためらわなかった」。

 谷川氏は、現在の民俗学者には「旅」と「歌」が欠けていると嘆く。学校勤めが忙しくてそんな暇がないからだ。民俗学にかかわらず、今大学の先生はみな忙しくなっている。この傾向は今後もっと進むに違いない。学者のあいだから「旅」や「歌」が消え、「独学」が消え、やがて「学問」が消えていくのではないか。そんなことを考えさせられた。まあ、それ以前のレベルの私などが言えることではないけれども。

 ところで名人戦の棋譜を並べてみたが、やっぱり分からない。どうしてここでこの手あちらであの手が出てくるのか。多分何十手も先まで読むことが出来なければ分かるはずもないのだろう。名人戦は羽生が王手をかけた。次回の第5局に勝つと永世名人の資格を得る。私はといえば、経済も将棋も結局は分からないわけで、やはり自分のすべきことをしようと思う。

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2008-05-04

実状に合わない憲法は廃止すべきか?

 憲法について道路交通法との類比で考えてみたい。

 以前、自転車が横暴だという話をトロウさんが書かれていた。たしかにそういう自転車が最近は大変目に付く。昨日もひかれかけた。ただ自転車には専用の道路がなく、車道に出れば大変な危険にさらされるし、歩道に入れば邪魔者扱いされる。気の毒な面もある。むしろ一番横暴なのはなんと言っても自動車だと私は思う。

 たとえば徒歩で横断歩道を渡ろうと思って道ばたに立つ。前を自動車が通り過ぎる。次々に通り過ぎる。私は自動車がすべて通り過ぎるまで待たなくてはならない。これは今日ごく当たり前の風景であり、歩行者は誰も文句も言わず車が途絶えるのを待っている。文句を言っているのは私のような一部の偏屈者のおやじくらいのものだろう。

 横断歩道を渡ろうとしている歩行者がある場合、自動車はすみやかに停止して道を譲らなければならない……。そう自動車教習所で習った記憶がある。この教えを守っているドライバーがはたして一人でもいるのだろうか? 私の経験では、そんな車は100台に1台あるかないかだ。ほぼ全ての車は横断歩道を渡ろうとしている人の鼻先を平然と通り過ぎて行く。私は腹が立つから、ときどき自分の体を張って車の前に飛び出すことがある。(困ったおやじだ)。車は驚いたように止まって私を見る。驚くなよ。自動車学校で習っただろうが、と私は思う。

 もちろん私もドライバーの側になることがあるので、停車しない車の言い分も分かる。ある程度スピードを出していると、歩行者に気づいても急には停止でない。後から車がきている場合には、急ブレーキはかえって危ない。正直なところ私も止まれないことが多い。では、横断歩道で止まらない車が多いのは仕方がないことなのだろうか。前々から気になっていたので、調べてみた。 「道路交通法」に次のようにある。

第三十八条  車両等は、横断歩道又は自転車横断帯に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。(下線引用者)

つまり、「急には止まれない」という言い訳はできないのだ。止まれないような速度で走っている時点ですでに規則に反しているのだから。車は横断歩道が近づいたらスピードを時速10キロくらいに落として、注意しながらそろーりと横断歩道に近づく。そして、人がいれば停止線の手前で余裕を持って止まる。これがあるべき道路交通の姿なのだ!

 まあそいうことなんだけど、そんなことを守っている人は多分一人もいない。そんな走りかたをしていたら、たちまち後ろからクラクションをならされてしまうだろう。つまり、車社会の到来によって実状が変わってしまったのだ。実状に合わせて人々の意識も変わり、誰も本来自動車が横断歩道の前ではスピードを緩めるべきだという常識を失ってしまったのだ。

 ではそんな実状にあわない道路交通法は改正すべきか? ここが重要なのだが、決してそうではないと私は思う。たとえ実状にあっていなくても、こういう絵に描いた餅のようなすばらしい法律は残さなければならない。あくまで実状の方が間違っているのだということを忘れないためにだ。

 横断歩道を渡ろうとしている人がいるのに、そこを通り過ぎる車はやはり悪いのだ。ごめんなさいという思いで通り過ぎるのと、当然だという思いで通り過ぎるのとでは全然違う。ごめんなさいという思いがあえば、こんな現状を変えなければならないという問題意識が受け継がれていき、いつか現状を変えることが出来る日が来るかも知れない。現状にあわせて法律を変えてしまえば、その時点でそのようなチャンスは永遠に無くなってしまう。

 ある種の法は上の道路交通法のような機能をはたしているのではないだろうか。憲法とはその種の法である。憲法とまさにそういう機能を果たすことにこそその本来のつとめがあるはずである。平和憲法が実状にあっていないのは事実だが、だから憲法を「改正」すべきだというのは本末転倒だ。あくまで現実を改正することを考えるべきだ。もちろん現実は複雑であって、そう簡単に変えられない。しかし、そのことと現実のままでよいということは全く別の話である。

 憲法が有名無実化しているというのも間違いだ。たとえば、この道路交通法38条は実状にあってはいないかも知れないが、事故が生じた場合には実際的な効力を発揮する。横断歩道を通過しようとしている人が、そこを通過する車にひかれた場合、100%車の方が悪いことになるそうだ。憲法だって同じだろう。自衛隊の海外派遣や首相の靖国参拝に対して少なくとも批判することが出来るのは憲法が実際に存在するからである。憲法がなければそした批判は間違いなく弾圧される。「国旗・国歌法」をなんとくなく成立させてしまった失敗を二度と繰り返してはならない。現憲法を死守すべきだ。

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2008-04-29

駒落ちどころか、とうとう負けてしまって、これからが面白い息子との将棋

 息子との将棋のために考案したハンディキャップの話を書いたのは1年前のことだが、最近は駒落ちなどしていてはとうてい勝てなくなっていた。そしてとうとう今日はハンディなしで真剣に負けてしまった。私の美濃囲いに対して息子が穴熊に囲うという膠着した展開になったが、穴熊は崩しても崩しても再生してしまって、ついにこちらが力つきてしまった。息子に負けるのは、嬉しいような哀しいような………。

 これまで息子の興味に合わせて趣味を変えてきた。トーマス→電車→ウルトラマン→昆虫→野球と来て、現在は将棋に熱中している。そこで急に思い出したのが、つのだじろう氏の『5五の龍』というマンガだ。これは私が子どもの頃、『少年キング』に連載されているのを毎週楽しみに読んでいた(立ち読み)作品だ。『ヒカルの碁』の先駆けのような作品で、プロの棋士をめざす少年・少女たちの生活が実際に即して描かれている。

 ネットの古本でかき集めて3巻まで読んだが、やっぱり今でも面白い。細かい棋譜が出ているので、私のような初心者には大変勉強になる。主人公たちの人間ドラマもなかなか凄まじいものがあって、2巻で主人公が、3巻でライバルの穴熊くんが自殺を試み、穴熊君は本当に死んでしまう。文庫版のあとがきによると羽生善治氏も読んでいたようだ。私などは当時、棋譜はめんどくさいのでとばして読んでいたが、そこが羽生さんと私の分かれ道になったようだ。(いや、それ以前の問題か……(^ ^; )。

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2008-04-18

14番目のダライラマ

 突然だけれども、Pensiero さんや豆大福さんにならって、中国のチベットに対する暴力的な対応に抗議の意をあらわしておきたい。もちろん、これまでの長い間のチベットへの圧制に対してもである。

 ただ、欧米諸国や日本が中国を一方的に非難するのにも違和感を覚える。これらの国々はかつて同じ事を中国に対して行ってきたのだから。非常勤講師仲間の先生が最近訳されたダライラマに関する本の解説に次のように書かれている。

本書を通して、チベットがイギリスをはじめとするヨーロッパ列強のアジア侵略と支配の中で、どのように翻弄され、さらにはこの犠牲者とも言える中国によって、チベットがどのようにして侵略され、ついには最大の犠牲者となるかが明らかとなろう。
(グレン・H・ムリン『14人のダライラマ――その生涯と思想(下)』田崎國彦、渡邉郁子、クンチョッック・シタル訳、下、春秋社、1996年、562頁)

チベット問題はこの二重の抑圧という構図の中で見なければならないと思う。もちろんこの本でも書かれているように、中国がこれまでチベットに対してしてきたこと、そして現在行っていることは強く非難されるべきである。ただ、中国国内では欧米諸国で起こる聖火妨害に対して強い反発が生まれているとも伝えられている。その根源には、中華思想やナショナリズムもあるだろうが、欧米や日本ががかつて行ってきた中国への侵略に対する怒りがあるのではないかと思う。お前らには言われたくないということである。

 中国以外の国も無垢であるわけではないのだ。たとえば日本人が中国のチベット政策を批判するなら、中国に対する戦争責任の問題をもっとはっきりさせなければならない。それをしないで中国を責めることはできない。欧米のどこかの国の首脳のように、北京オリンピックへのボイコットをほのめかして中国への敵対心を煽るような態度は、私にはどうしても欺瞞的に思えてしまう。ましてや田中宇氏のメールマガジンによれば、そもそもラサ暴動自体が、中国を窮地に陥れるために英米の諜報機関が意図的に誘発したものではないかという疑いさえあるという。何が真実かは分からないが、いずれにしても権力国家同士のパワーゲームに乗せられたくないものだ。

 こんな絶望感ただよう事態の中で、ダライ・ラマ14世があくまでも非暴力を訴え、北京オリンピックの開催を望む声明を出し続けていることに感銘を受ける。暴力に対して別の暴力で答えることが常態となっている世界にあって、このようなメッセージを発し続けていることに敬服の念を禁じ得ない。このようなメッセージに対して応答すべきなのは、なにもチベット人だけではないだろう。

 『14人のダライラマ』はとても長大な本で、まだ最後の14世の章しか読んでいないのだけれども、これまで必ずしも紹介されてこなかった歴代のダライラマをめぐる裏舞台が詳しく描かれており、訳者によって詳細な注が付加されているので、チベット史を学ぶには大変貴重な本になるではないかと思う。この本にいくつか紹介されているダライラマの言葉の一つを最後に引用しておきたい。亡命生活40年の後に発せられた重い言葉である。

この仕事を平和的な手段を通してやり遂げようとすれば、何十年、恐らくはさらに何世代もかかり得るでしょう。私たちは、断固たる態度で、しかし辛抱強くあらねばなりません。もし私たちがこの仕事に成功すれば、私たちは、本当に世界の文化に貢献できるのです。つまり、もし力のないチベットが〝非暴力の手段だけ〟で、圧倒的な力を誇る共産主義中国に勝利し得たならば、人々は、非暴力の威力を知ることができるのですから。それは他の国にとってモデルとしての役目を果たし、さらには他の国々を勇気づけて、彼らにも〝非暴力の手段〟を採用させることができるのです。仮に私たちが暴力を用いて勝利したとしても、私たちの手に入るすべては、ただの一片の土地にすぎないのです。そんなことをしては、私たちが欣求しあこがれるチベットは、永遠に失われてしまうでしょう。(同上、下、428頁)

あのマルティン・ルーサー・キングの言葉を彷彿させる。今、このような言葉にだけ希望を託すことが出来る。

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2008-02-21

月夜の濱邊

 詩はあまり読まない方だ。しかし、中原中也は若い頃よく読んだ。よく口ずさんだというべきか。たとえば一人で一日中勉強をしていると、なぜかこんな歌が心にしみる。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが

   月に向つてそれは抛れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

小六の娘がこれを選んだ。卒業前にクラス全員で詩を読む会が催されることになり、何の詩を読むのかみんなで決めるので家にある詩集をもってこいということだったらしい。翌日実際に詩集を持ってきたのは娘だけで、それが「中原中也詩集」(角川文庫)と「宮沢賢治詩集」(岩波文庫)だった。その中で何にするかとクラスメートたちから聞かれて選んだのがこの「月夜の濱邊」であった。

 わが娘ながらよくぞ選んだ。小学校を卒業する子どもたちが声を合わせて朗読する時、その言葉が「月夜の濱邊」であることを想像すると、この世を生きていることもちょっとばかり楽しくなってくる。

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2008-02-19

寒さの夜には湯たんぽを

 遂に、すべての採点作業が終わった。寒い部屋での作業にあたってはしばしば指先がこおった。そんな寒い夜になると人は暖かさを求める。 「鍋」を連呼していた人もいたが、私の今の気分としては鍋よりも湯たんぽだ。

 先日の毎日新聞によると世間でも湯たんぽが売れているとのこと228_2880_5だが、 私は今回湯たんぽがわりに写真のようなものを使った。中にお湯を入れて手で握ったりポケットに入れたりして暖をとる。これまではよく卓上の電気スタンドの電球を握ったりしていたものだが、この自家製湯たんぽの登場以来そんな必要もなくなった。これ一つで、これまで夜間に体をこわばらせてやっていだ作業も、ずいぶんとリラックスしてすすめることができた。

 これは最近わけあって勉学に励んでいる妻が開発したもので、妻は雑誌かなにかで見たようだ。ただペットボトルにお湯を入れて握るだけの話だが、多少の試行錯誤があったのでせっかくだから紹介しておこう。

 まずオレンジ色のキャップ(暖かい飲み物用)のペットボトルを用意する。 350mlの タイプがベスト。つぎにポットで湯を沸かすが、湯を沸かすにあたっては、ガスを使ってやかんで沸かすよりも、電気ポットがおすすめ。うちの電気ポットは保温などの機能がついておらず、ひたすら早く沸かすことに全力をそそいでくれるので、あっというまに沸く。そしてこのお湯を注意深くペットボトルに注ぎ込む。

 これだけだが、いくつか注意点がある。まず、

①使用するペットボトルは、あったかい飲み物用のものでなければならない。冷たい飲み物のものを妻が試みたが、お湯を入れるとふにゃふにゃになってしまった。それから、

②ペットボトルの口の部分は広いものがよい。狭いものはお湯を注ぐときにこぼれやすく危険。ただし、逆に広い口の場合はその分蓋がはずれやすいという欠点もあって、無意識にさわっていて蓋がとれそうになったことが何度かあった。なにぶん熱湯が入っていわけなので、この点にだけはくれぐれも注意が必要。もう一つ、

③ペットボトルを手で持ったとき、凹凸の感じがなめらかなものを選ぶべし。中には凹凸が激しくて、とがった部分しか手に触れないもののある。以上のことを鑑みて選ぶなら、カルピスのホットレモンが今のところ最高である。(ただしカルピスのホットレモンでもいくつかの種類があるので注意)。

 なお、沸騰したお湯をそのまま入れると、熱すぎて持つことも出来ない。私は出来るだけ長くもたせたいのでハンカチでまいたりして使っているが、妻は水で水温を調節しているようだ。沸騰した状態からはじめれば、さめてしまうまで2時間近く使える。

 省エネのために温度を低く設定し、風量も最小に設定することが奨められているが、全くもってこれまでの暖房の使い方は一般に無駄が多かったと思う。(夏の冷房もそう)。これだと必要最低限のエネルギーで最良の効果が得られているのではないかと思うが、実際に電力などの計算をしたらどうなるか分からない。

 雪の降る夜に、お湯の入ったペットボトルを両方のポケットに入れて散歩にでかけるのも悪くない。手元と足さえ冷たくなければ、相当寒くても楽しめるものだ。露天風呂の感覚と少し似ているかも知れない。

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2007-07-22

夏――みたび岩崎勝平

 息子を連れてまた美術館に行った。なにせ近いのでいくらでも行ける。夕方で閉館20分前だったがかまわず入場(拝観料200円)、閉館まで「夏」の前にいた。「夏」は実は2枚一組で、先日紹介した絵の他に、やはり浴衣を着た女性二人が夕暮れの草原で絡み合っている絵がある。どちらの絵も空に複雑に雲が出ているため、光の具合が複雑で、その光と影の交錯が、しかしマネやルノアールなどの印象派の画家たちとは全く違った、他ではあまり見ることのない不思議な雰囲気を作り出している。

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 岩崎は1930年代に大作をいくつか描いているが、おそらくマチスの「ダンス」や「音楽」に影響を受け、大画面に複数の人物を配置する構図に取りつかれていたようである。しかし、他の作品が比較的動きの少ない人物たちを静物画のように描いているのに対して、「夏」の二作は二人の人物の運動を描いている。大画面の中で複数の人物を配置するというモチーフは同じだが、二人の人物の均衡が激しい運動を貫きながら実現しているところが「夏」の特徴である。こうして見ると、「夏」という二つの作品だけが、岩崎が生涯描いた絵の中で突出しているように思える。

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 しかし、それにしても何故わたしはこの作品にこれほどひきつけられるのだろう? ここに描かれているのは、人物ではなく人物の動きであり、この動きの中に現れているものだ。それは光とか風とか空気のようなものに近いが、そうではなく、こうした動きの中を瞬間通り過ぎていく何かだ。スピリット? しかし、それは個人が受ける霊感のようなものではなく、複数の人物のうちに意図せずして起こる出来事のようなものだ。結局、円陣を組む女達に現れたのと同じようなものを、私はこの絵に見ているのかも知れない。

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変なおじさん――ふたたび岩崎勝平

 給料をもらったので、美術館に岩崎勝平の画集を買いに行った。岩崎について書かれた本もあったので見ていると、この画家は戦前に大変注目される作品を描きながらどういうわけか画壇から疎まれ、世に出るというところまではいかなかったようだ。だからこれだけすごい作品を描いているのにあまり知られていないのだろう。

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 戦後はこの町でぶらぶらしながらスケッチの類をたくさん残したものの、本格的な作品を描かないまま50代で亡くなった。とくに女性を多く描いているが、町できれいな女性を見つけると、絵を描かせてくれと自宅までついていったという。今なら完全にストーカーだが、当時もこの町では主に迷惑おじさんとして知られていたらしい。

 その辺で見かける変なおじさんが、実は偉い人だったといった例はよくある。昔新聞配達をしていたころ、店にふらっと白髪でやせぎすのなおじさんが入ってきた。度のきついメガネをかけ、話し方がひじょうにせわしない感じだった。「ぼくが載っている新聞が欲しい」と言うので、「そんな新聞はない」と思いながらも、ちょうど到着したばかりの夕刊を一部渡した。すると、その場で書評欄を広げて、「ほら僕の書いた本が一位になっている」とその週売れた本のランキングを示した。『韓国の悲劇』という本だった。「ほんとかよおっさん」と店員一同は思ったが、ずっと後でそれが小室直樹というカリスマ的な社会学者であることを知った。ご近所だったのだ。本が売れたことについてはかなり自慢げだったが、オレは偉いんだという態度は全くなかった。

 画家とか学者といった人種は、社会的な立場を離れればみんな変なおじさんなのかも知れない。私もしばしば昼間からあり得ないような場所を歩いていたりすることがあるが、いままでは変なお兄さんのつもりだったから気にしなかった。しかし、気が付けば私ももう変なおじさんの予備軍、いや変なおじさんそのものの年になってしまっている。私の場合、実は偉い人だったというオチがなく、本当に変なおじさんだったということになりそうだが……。そういえば、山で遭難したまま哲学者の言葉について瞑想している人や、道なき道を尋ねて崖を登ったり下りたりしている人など、このブログに関わりのある人は変なおじさんやお兄さんが多い。また、きわめつけは、知らない人からは「仏像研究家」だと思われているキリスト教神学者、私の恩師である。

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2007-07-17

円陣を組む女たち――岩崎勝平

 近所の野球場で高校野球をやっていたので、息子と二人で見に行ったら、ちょうど終了した後だった。しかたがないので、すぐ目の前の美術館へ。するとそこに異様な絵が。私はすぐに古井由吉の『円陣を組む女たち』を思い起こした。いつまでも見ていたかったが、夕方近かく時間が迫っていたので、そういうわけにはいかない。せめて模写をして帰ろうと思ったが筆記用具がない。そこで頭の中にその構図をたたき込み、家で再現しようとした。それがこれだ。

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 しかし、何かが違う。絵は和服を着ていた。しかしそういうことではなく、体の形のうち何かが違う。画家の名前も忘れてしまったのでネットで調べるのは容易ではない。画像の検索というのはさすがにgoogleでも出来ない。何やかやしているうちに、ようやく出てきた。岩崎勝平(かつひら)の「夏」という作品であった。画集をデジカメでとった画像もあった。そこで今度はその画像を模写してみた。

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 違いはズバリ足だった。上では両者の右足がガニ股になっているが、下の着物の女性二人はどれだけ力をこめて引っ張っていても、両足が内側にむいている。それが緊張とバランスの中に異様な優雅さを与えている。私の上の想像図では、単なる女子高生の綱引きになってしまっている。

 しかし、綱引きでないとすれば、この絵は何をしているところだろうか。「円陣を組む女たち」は、引き合いっこ(正式名称は不明)の遊びをしてたわけだが、この絵も一応は何かをしているところなのだと思う。左の女が右の女を引き留めているのか、それとも振り回しているのか、あるいは両者の左足を軸にして二人は回転しているのか。模写ではいまいちダイナミックさが出ていないが、画集の絵でもまだ足りない。本物はもっと大きくてど迫力なのである。

 岩崎勝平という人物、川端康成に神様絵描きと言われたと言う。たしかに何か神がかったようなすごみがある。我が町の美術館が所蔵しているそうだから、これから何度でも見ることができる。いましばらくは模写を続けよう。

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2007-05-15

ないものはない

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 前から気になっていた看板だが、商品があるのかないのか決定不可能な文章である。

①当店には存在するすべてのものがあり、当店に無い商品などこの世にはございません。
②当店には、この世に存在するすべてのものがあるわけではありませんから、当店に無い商品をお求めになられてもいかんともすることができません。

しかし、よく考えてみると実は可能な意味がもう一つあることに気づく。

③「ないもの」は、当然のことながら無いのであって、存在するのではない。

 ③はまるで哲学者パルメニデスの命題のようである。③は②と一見同じように見えるが、②が「この店には無い商品もある」ことを示唆しているのに対して、③では「無い商品があるという言い方は間違い」であることを示唆しているいるから、実際には両者は対立している。

 ちなみにこの店は質屋であるが、これが質屋の類の決まり文句なのか、それとももっと深い意図があるのかどうか私は知らない。

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2007-05-09

駒落ちにかわる究極のハンディキャップで、これは面白い息子との将棋――Ⅱ

 さて、いよいよ第二戦。今度は私が先手だ。王を囲おうと思って金をあげた瞬間に息子の歩が二つ進む。「あ、やばい」と思って、角道を挙げると、次の瞬間には角の前の歩をとられた。角は逃げたものの、そのあと桂馬、銀ととられ、そしてその銀で王手!=負け。考えてみれば、王手は何も飛車や角で遠隔からする必要はないので、王の鼻先に銀をおけばすむわけだ。われながら、こんなことに気づかないとは。

 というわけで、このハンディだと相手に持ち駒を持たせた時点で負けになることが分かった。勝とうと思った私が馬鹿だった。逆に相手がこのハンディを負てくれれば、私でも羽生さんに勝てる。(と思う)。

 いずれにしても、息子との将棋にこのハンディは使えない。そこで新しい案を考えた。2手はきついから、1.5手にするのだ。実際には2手打った後は1手というように交互に打つ。これなら、何とかなるかも知れない。

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駒落ちにかわる究極のハンディキャップで、これは面白い息子との将棋

 ふつう実力差のある者同志が将棋を指す場合には、ハンディキャップとして飛車を抜いたり角を抜いたりする。これを駒落ちと言う。(などと偉そうに言うような将棋通ではないが)。小学3年の息子と指す場合、飛車、角、桂馬、香車を全て抜いても、なお余裕で私が勝ってしまう。これまで3年間で1敗しかしていない。(大人げない?)

 ところが昨日ふと新しいハンディキャップを思いついた。それは私が一手指すごとに、息子が二手指せるというものだ。「これならいい勝負になるかも知れない」などと、軽い気持ちでやってみると、冗談じゃない。いつものように飛車の前の歩が上がってきたなと思っていると、あっというまに角をとられてしまった。そうして角が相手の持ち駒になると、次にこの角で王手をされ、それで早くも試合終了である。5分とかからなかった。

 二手一度に指すということは、単に相手に二倍有利であるというようなことではなかった。ハンディは累乗される。ちょうど、10倍の加速装置をつけたサイボーグ009と戦っているようなかんじだ。手がちょっと動いたなと思ったら、次の瞬間にはもう殴り飛ばされている。第一、ゲームとしての将棋を構成する上で重要な「王手」というものがすでに意味をなさなくなっている。この場合、王手とはすなわち王を取ることを意味してしまうからだ。

 こんなことは将棋をよく知るひとなら、あたりまえのことなのかも知れない。しかし、私には新鮮な事実だった。そして、この究極のハンディキャップマッチに気づいたおかげで、これまでいささか退屈だった息子との将棋が逆に大変スリリングなものと化した。何とかして勝てないものか? 原理的に無理なのか? 不可能を可能にするような、アッというような手はないのか?……というわけだ。とりあえず、次回は私が先手でやってみることにしよう。

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2007-04-11

コピー屋の人生哲学

 前回、熱を出したことを書いてそのままにしていたら、いろんな人から大丈夫かと聞かれた。熱を出しているときは暇なのでついつい更新してしまうが、治ると忙しくなってついつい後回しにしてしまう。もう一週間以上更新してないのか……。気づかなかった。

 おかげさまで熱は治ったのだが、それと同時に新学期に突入してしまった。これからまた講義にあけくれる毎日がはじまる。べつにあけくれる必要はなく、適度に講義をし適度に自分の勉強をし適度に休めばいいのだが、私の場合、器用な人間ではないので、講義がはじまるとそちらにのめりこんでしまって別のことができなくなってしまう。今年はそういうわけには行かないぞ、と思ってはいる。しかし、それは毎年思っていることでもある。

 ところで、学校の脇の路地にあったコピー屋が無くなってしまった。先日、新学期前に学校に行ったときに寄ってみると、コピー機はすべて取り払われ、連絡先の電話番号が記された小さな紙だけが貼ってあった。とうとうこの時が来たか、という思いで私はそれを見つめていた。

 いつからその店があったのかは分からないが、少なくとも私が大学に入った時にはすでにあったと思うから、20年以上お世話になってきたことになる。最初は1枚7円くらいだったのが少し値上がりして1枚8円となり、それからはずっとそのままである。1枚10円が当たり前の時代にあってかなり安い。とくに大量コピーする場合には、この2円の違いは大変なものである。

 狭いスペースに10台くらいのコピー機が置いてあり、地味な、しかしやたらと元気のいいおねえさんが一人できりもりしていた。この方が実に素晴らしい仕事をしていた。大量のコピーをしなければならないときには、このおねえさんに頼むと代わりに作業をやっておいてくれる。それを嫌な顔一つせず、むしろすすんで引きうけてくれるので本当にに助かったものだ。われわれが使う本には絶版になって入手困難な本が多い。そういう本を5,6冊図書館で借りてきて、そのままこの女性に渡すと、元気よく「いつまで? いまちょっと他のやってるから、夕方まで出来ないけど……」などとおっしゃる。こちらは、一週間くらはかかるだろうと思っていたのである。数時間で5、6冊の本をコピーすることがいかに大変であるかは、2、3冊くらいならやったことがある私には想像できる。とにかく黙々とやるしかない仕事なのである。

 このおねえさんは、私が気づいた時にはすでにその店にいたから、失礼だけれども、もうおねえさんと呼ばれるような年ではないだろう。彼女は、なぜかくも長い間、こんな地味で大変な仕事を続けることが出来たのだろう。こういうコピー屋にとって、コピー作業は本来ならやらなくてもよい仕事ではないだろうか。コピーしたければ各自でやればいいのである。少なくとも彼女が断っても問題はないような気がする。まあ会社の方から、やるようにと言われていたのかも知れないが、それにしても彼女の引きうけ方は、決して会社から言われたから仕方なくやってますというような消極的なものではなかった。いつ行っても即座に「いつまで?」と元気に聴く。そして、読みかけの文庫本を伏せて立ち上がり、すぐに空いているコピー機に向かうのである。そういう態度を20年間、首尾一貫してとることができた背後には、何らかの人生哲学なり、生きていく上での方針があったに違いない。

 彼女がとってくれたおびただしいコピーの束が、250枚まで綴じられる私の自慢のホッチキスによって製本されて、今でも本棚のかなりの部分を占めている。しかし、彼女がいなくなってしまった以上、もうそういう形でコピーを利用することは難しくなるだろう。何か非常に今大きな喪失感を私は味わっている。これからあのコピー屋なしでやっていかなければならないと思うとなんだが心細くなる。しかし、そのことよりも今は、長い間私のささやかな勉強を支えてくれたこのコピー屋とそのおねえさんに、心からありがとうを言いたい。

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2007-04-02

熱にうなされながら「キリスト教学」について思う

 扁桃腺がさらに悪化し、とうとうまた医者に行くはめになった。前回医者に行ってからまだ一月と少ししか経っていない。一体、いつからこんなに軟弱になってしまったのだろう。ともかく、手に入れたロキソニンを飲んだ。しかし、その効果にも限度があって、37度以下には熱が下がらず、仕方なくハードな仕事は一時中断。本当は小説でも読んで過ごしたいところなのだが、新学期を間近に控え、気がせいてなかなかその気になれない。結局、ひたすら受動的に他人の論文などを読んで過ごしている。

 先の記事にトロウ氏が寄せてくださったコメントを読んで、学問領域の線引きということについて思いめぐらした。これまで自分の専門領域を「宗教哲学」としてきたが、最近はむしろ素直に「組織神学」とすべきではないかと考えているところである。ところでそれらの周辺領域を指す概念として「キリスト教学」がある。たとえば私が所属しているのは「日本基督教学会」だし、私が卒業したのは「キリスト教学科」である。しかし、この「キリスト教学」という概念の内実が何なのかということは、いまもってよく分らない。「日本基督教学会」の機関誌が『日本の神学』であり、私の出身大学の「キリスト教学科」の大学院が「組織神学専攻」であることも、事態の曖昧さをあらわしているかもしれない。

 今日届いたばかりの雑誌に、この「キリスト教学」という概念に関する大変有益な論文が載っていた。(久保田浩「『キリスト教学』という狭間、そしてその可能性」(『キリスト教学』第48号、立教キリスト教学会、2006年、103-129頁)「キリスト教学」とは何かを理念的に定義するのではなく、「キリスト教学」という概念を成立させてきた明治以降の日本の学問制度の社会的・歴史的文脈を探りながら、「『キリスト教学』概念を巡る言説空間」(104頁)を分析し、「キリスト教学」という概念が、「神学」、「宗教学」といった概念との関係の中でいかに認識されてきたかを緻密に考察した論文である。

 これを読んで、まずは「キリスト教学」という概念が持っている便宜的な性格を改めて感じると同時に、「キリスト教学」に限らず、様々な学問的区分がもともと19世紀西洋という特殊な時空からもたらされた輸入品であることを再認識した。

 著者は、「キリスト教学」の概念を「神学」と「宗教学」という二つの概念を絶えず引き合いに出しながら考察するが、「神学」と「宗教学」の「狭間」に「キリスト教学」の「可能性」があるという立場をとらない。(120頁)というのも、「宗教学」そのものが「現在に至るまでも『キリスト教学』と同様『怪しい』学問であり続けて」(122頁)おり、「『キリスト教学』は、確立したディシプリンとしての『宗教学』と『神学』との『狭間』にあるとは決して言えない」(123頁)からである。

 日本の学問制度が19世紀における西洋的学問理解の輸入であり、その内実のうちに「特殊ヨーロッパ的な社会・政治・文化・宗教的情況の自己肯定の論理」(124頁)を宿している。そして、「20世紀後半以降そうした19世紀的な近代性の原理そのものに疑いの眼差しが向けられるようになっているのが現在」(124頁)であってみれば、今後の日本の学問の在り方を考える上では、従来とは根本的に異なった境界線の引き方を模索する必要があるのではないかというのが著者の考えである。そして「キリスト教学」が置かれている「狭間」ということの意味を、改めて次のように規定する。

「キリスト教学」というものは、一方で、西洋近代の産物である学問の自明性を出発点とする立場と、他方でそれを西洋近代の自己正当化の論理であるとして糾弾する、西洋近代の学問に対する根本的批判との『狭間』にあって、自己形成を図っていく可能性がある。(126頁)

著者はとくに、「キリスト教が社会の自明の所与ではなかった、そして現在でもそうではない日本社会」というわれわれのコンテクストが重要な要素となることを示唆しているが、これは自分の領域を「宗教哲学」と規定するにしろ「神学」と規定するにしろ、われわれが背負わざるを得ない課題なのだろう。

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2007-03-21

神学的見地から

 トロウ氏のホリエモンに関する記事について考えていて、長くなってしまったので、自分のブログの記事にしてトラックバックをとばすことにする。(ちなみに言い遅れたが、私のブログはトラックバックを受け付けていない。理由はろくでもないスパムがうっとうしいからだ。しかし、他人のブログにはトラックバックさせてもらう)。

 ホリエモンに実刑判決が下ったが、彼が関わっているのは、インターネットの発達などによって開かれた新たな経済活動の領域である。どこまでがアリなのか誰もはっきりとは言えない面も確かにあるに違いない。だから、実刑判決は厳しいのではないかという見方もあるだろうし、本人はそこが不満なのだろう。

 しかし、誰もが頭のかたすみで「もしかするとそういうのはアリかな」と考えながらも躊躇していたことを、彼はどんどんやっていったのであり、だからこそ時代の寵児みたいに持ち上げられたのだ。それを見ていた社会が、これはちょっと行き過ぎではないかと判断すれば、社会は彼をスケープ・ゴートにして社会の方向を修正するということは、社会力学的にはあるのだと思う。ホリエモンもそれくらいわかっているはずだ。リスクを承知でその分を儲けてきたのだから、結果は当然負うべきであって、いまさら「慎重に/中途半端に」やってきた人たちに対して愚痴をこぼすのはお門違いではないだろうか。

 しかし、それとは別に、われわれにとっては神学的な見地から、ホリエモンのやったことの是非を問う必要もあるではないか。その場合、たとえば自社株を買って値段を釣り上げるといった手法の是非にとどまらず、そもそも株式市場のような実体性の薄い営みによってわれわれの社会が右往左往させらることの是非も問われなければならないだろうし、極端な話、「市場経済」とか「資本主義」とか「高度消費社会」が神学的に見て良いのか悪いのかといったことについても考えなければならない。たとえば、イスラム神学では利息は悪だという。また、宮沢賢治の例の「ベジタリアン大祭」では他の生き物を食うというシステムについての神学的議論が交わされている。われわれが他の生命を取り込まなければ生きていけない生命体であるとするなら、この罪は人間が必然的に抱えざるを得ない運命ということになるだろう。埴谷雄高『死霊』の「最後の審判」では、この問題があらゆる宇宙の終局という究極の状況設定の中で問われる。

 ところで、自由主義経済にはたしかに様々な問題があるが、それに対する有力な反論は、「それは必要悪」だということである。たしかに今の経済システムでは、第二のホリエモンが出てくる可能性がある。株の暴落によって自殺者も出るかも知れない。しかし、そういう危険を抱えつつも、イスラム原理主義が牛耳る社会や、かつてのソビエトのような厳しい統制社会よりはましだ……。そういう反論である。自由主義経済システムのお陰をこうむって生きている私たちには、この反論を否定することは難しいように思う。しかし、こうした「言い訳」にあぐらをかいて、「これでいいのだ」と居直ってしまえば、それはホリエモンとかわらなくなる。「悪いことはわかってるけど、みんなやってるじゃないか……」と。

 そこで神学の役割ということを考える。一つは、神学は現実にただなんとなく流されるのではなく、まず原理的に何がいいか悪いかを考えなければならないということ。それは現実の世界をどう作り変えて行くべきかの方向を示さなければならない。しかし、第二に、その原理が現実とのせめぎ合いでどのように実現されるか、あるいはされないか。そういうところまでしっかりと考えていかなければならないだろう。これはアガペーという至上の理念が、人々の実際の相対的な行動を上からひっぱるという、野呂芳男『実存論的神学と倫理』(創文社、1970年、207頁以下)で紹介されているニーバーの倫理学から影響を受けた考えであるが、戦争の問題、靖国の問題などを考える場合にも重要になってくるように思うので、これからもっと考えを深めていきたいと思う。

 さて、ホリエモンの場合、そういう上からひっぱってくれるものが彼にはおそらくなにも存在しないため、その行動は、見かけは新しくても何一つ世界を本当に変えていく原動力にはならない。

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2007-02-28

ハラワタ、煮えくりかえる

 公立小学校の入学式で「君が代」の伴奏を拒否した女性音楽教員が戒告処分を受けたことを不服とし、処分取り消しを求めた裁判で、最高裁は訴えを退ける判決をした。ラーメン屋のテレビでこのニュースを聞いたが、おかげでせっかくの日本一の味も全くわからないまま、気が付いたら食べ終わってしまっていた。しかも、このニュースを聞きながら、ラーメン屋のおやじが、あったりまえだというような反応をしていたのが実に残念だった。

 私は必ずしも、天皇制や国歌・国旗に賛成する人たちの意見を全くのナンセンスだとは思わないが、天皇制や国歌・国旗に反対する少数の人々に対して、あほじゃないかこいつらはという態度を取り、日本人が日本の国を愛するのは当然だろうというような、自分だけは賢いぞといわんばかりのしたり顔をする奴らが本当に大嫌いである。「保守」と呼ばれる人々にはこのタイプが多い。そして腹が立ったのは、最高裁による判決そのものが、そういう私の大嫌いな態度にお墨付きを与えるような内容だったことである。

 判決文の内容をかみくだいてまとめると次のようになるだろう。①「君が代」を伴奏せよとの職務命令は、「君が代は過去の日本のアジア侵略と結びついている」とするこの教員の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではない。②この状況でピアノ伴奏をひきうけたからと言って、それがその教員が「君が代」に賛成するような思想を持っていることを外部に表明することにはなならない。また、「君が代」斉唱は公立小学校で広く行われているものであって、それは教師や児童に特定の思想を強制するものではない。③地方公務員法によれば、公務員は全体の奉仕者としての公共の利益のために勤務しなければならない。「君が代」の伴奏をすることは、そのような義務の一つだ。④したがって、「君が代」伴奏の職務命令は、憲法19条の「思想及び良心の自由」を侵すものではない。

 判決そのものにももちろん不服だが、このような脆弱な理由しか説明されていなことに非常に腹が立った。こんなのは、要するに上に述べたような類の人たちの意見をそのままなぞっているに過ぎない。わたしは判決文しか読んでいないから、今の時点でこの判決の勝ち敗けそのものについてどうこう言うことは出来ない。言いたいのは、①から③の脆弱な理屈についてである。

 まず①に対して。問題は、「君が代」の伴奏を強制されることによって教員の「歴史観・世界観」が「否定」されるなどということではない。そんなものが否定されたら、それこそ大変なことであって、そんなことをする権利が校長にも国家にもないことはあたりまえのことだ。問われるべきは、自分の思想・信条に反する行動を強制されることの是非である。もし私がその音楽教員だった場合を考えてみよう。私もやはり自分の思想・信条にもとづいて伴奏はしたくないと考えるだろう。もし伴奏を強制されたとしたら、伴奏をすべきではないのに伴奏をしている自分の矛盾に苦しむだろう。校長の職務命令は教員にこのような苦痛を与えるのである。こうした苦痛を重く見るか軽くみるかは、その人がどれだけ誠実に人生を生きているかによって異なる。

 次に③について。公務員法によって、公務員は「全体の奉仕者」としての務めのためにある程度思想・良心の自由を制限されると規定されているのだとすれば、その思想・良心の自由を制限させてでも貫徹すべき公務員として務めとは何かをはっきりさせなければならないはずである。この音楽教師に、そうまでして「君が代」の伴奏をさせなければならないほど、「君が代」斉唱ないしそのピアノ伴奏は「全体」にとって重要なことなのだろうか。それは一部の人だけにとってきわめて重要かも知れないが、ほとんどの国民にとってはどうでもよいことなのではないだろうか。教育には、もっと命をかけてやらなければならないことがあるのではないだろうか。

 最後に②について。ピアノで「君が代」を弾いたくらいで、自分の思想・信条に反することにはならないと言うのか! こういう考えは、儀礼を単なる便宜的な、国民掌握の手段としてしか考えていない為政者のものであったとしても、本当に学校教育を大切に思い、学校行事の一つ一つに心をこめている人のものではない。とくに、「広くおこなわれている」からそれに従えばいいだろうという考えが、本当に、心の底から、徹底的に気にくわない。それは戦前の精神そのものではないのだろうか。国歌・国旗がいかに特定の信条を押しつけるものであるかということは、押しつけている側の人間には永久に分からないのだろう。

 なお、4名の裁判官のうち、一名が補足意見を、一名が反対意見を述べており、それが判決文に付記されている。そこでは、私の考えたようなことに近いことも述べられている。そのような意見がありながら、どうしてこの判決になったのか、裁判に疎い私にはさっぱりわからない。とにかく実に残念である。いずれにせよ、決定的な判決からはほど遠いもののように思える。今後いくつも行われるはずの裁判には期待したい。

 あんまり腹が立ったので、まだ十分に考えがまとまらないまま書いた。今日はとりあえずこのくらいにしておこう。

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2007-02-24

原初的心性――プンク・マンチャとぶたぶたくん

 ナンバー546からの突然の電話でふと我に返ると、すでに三ヶ月ほどの時が過ぎていた。早く何か書かないと、ここは廃墟と化してしまう。いやもうすでにそうなりつつある。こういうときは自分が体験した迷宮について書いてみるのが一番だ。子どもの頃の読書体験がその一つだ。大人になって自分の子に本を読み聞かせる中で、どこかを迷いめぐっているような体験が甦ってくることがある。そのあたりのことを書くことからリハビリをはじめよう。

 本の読み聞かせはよくやってきたと思う。主に妻がやっていた次期もあるし、私のほうがよくやっていた次期もある。現在はもっぱら私だ。やらなければならないと思ってやっているのではなく、子どもと本を読むことが単に楽しいし、また声に出してゆっくりと文章を読むことはたいへんに心地よい。絵本を読み聞かせながら、かつて自分が読んだ本と再び出会うこともたびたびあった。その中で、これこそ今の自分を形成したのではないかと思える本が二冊ある。ひとつは『プンク・マインチャ』(福音館書店)だ。これは「こどものとも」傑作集の一つとして復刊されたもので、もとは1968年、つまり私が3歳のときに出た本だ。今見ると、ネパール民謡、大塚勇三再話となっているが、何といっても秋野亥左牟(あきのいさむ)の絵が強烈な印象を与え、そのほの暗い幻想的なイメージは、もはやそれほど本を読まなくなった活発な少年時代を通じても私のどこかに残り、現在に至るまで私の人格の一部をなしてきたとさえ言える。

 もう一つは『ぶたぶたくんのおかいもの』(福音館書店)で、これもかつて「こどものとも」で読んだ本を復刻版で見つけたものだ。こちらは1970年初版だから、5歳の時に出たことになる。絵と文を両方書いている土方久功(ひじかたひさかつ)は、アフリカや南洋の文化に表現の活路を求めた芸術家で、『ぶたぶたくん』の独特の風変わりな絵柄がそのような作者の傾向に由来するのだということは、最近になって初めて分かったことだ。私はぶたぶたくんが買う「かおパン」に子どもの頃ひきつけられたし、今もひきつけられるが、それはわけを知ってしまえばたしかにミクロネシアの島々に伝わるお面なのである。それにぶたぶたくんたちが「あるきあるき」歌う歌も、何やら呪術めいて頭に残るものである。

 おそらく私は毎月「こどものとも」をとってもらっていたか、頻繁に買ってもらって読み聞かせられていたに違いない。しかし、そんな数ある物語の中でとくにこの二つが今も私の手元にあるというのは面白い。どちらも実は原初的な文化とのつながりをその絵柄や物語のうちに隠し持っていて、わたしは意識せずそこに惹き付けられてしまっていたのだからである。

 大人になってから再読した童話を、ついでにもう二つ付け加えておこう。松谷みよ子「スカイの金メダル」(松谷みよ子全集、第1巻、1977年、講談社)と、だれもが知っている中川李枝子『いやいやえん』(福音館書店)の中の「山のぼり」という章だ。前者は、終業式が終わったばかりの男の子がからすの世界に迷い込む、カフカの『城』のような迷宮の物語で、子をもつようになってから、どうしても再読したくなって市立図書館を探し、松谷みよ子全集の中にこの短編を見いだした。久しぶりに読んでも、幻滅することなく面白く読むことが出来た。この全集には他にも不思議な話がいくつもつまっているが、それらのお話を目の前にしたときの「いったい何なのだろう、これは」という幼い頃の自分の当惑のようなものが、同じ本を前にしてまざまざと甦るのを感じた。

 後者は、幼稚園の入学説明会で、初めて出会った先生に読んでもらい、とてつもなく怖かったのをおぼえている。いま読めばどうということはないが、当時四つの山のうち一つの山だけが黒く描いてある大村百合子の挿絵に、わけのわからない恐怖を抱いたものである。この本は道徳的な教訓めいたものをもちろん含んでいるのだが、しかし、続く「いやいやえん」の章も含め、逸脱によって生じる負の出来事の描き方に思わず引き込まれてしまう魅力がある。いやいやえんは二度と行きたくないところではあるが、確かに何か魅力をたたえた場所でもあるのだ。

 忙しい日常生活は、子どもの頃のこんな幻想的な読書体験をすっかり忘れさせる。しかし、子どもに絵本を読み聞かせることで、忘却の彼方にあったものが再び甦ってくる。そのたびに、子どもの頃に読んだこのような本の世界に届くような思索をしなければならないと漠然と考えるが、まだその方策は見つからないままである。

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2006-11-02

教育の目的

 教科の履修不足の問題について、今朝の毎日新聞は、学習指導要領が求める「幅広い基礎的教養」と生徒や学校が求める「入試に対応する学力」の乖離がその原因だと論じている。いわば建て前と本音は違うということだろう。

 「二つの学力」のうち、前者はより漠然とした広い目的をめざしているのに対して、後者は目先の目的に焦点をしぼっている。しかし、いずれも何かの役に立つものとして学力を考えている点では同じである。学習、研究、教育の目的は、何かに役に立つ能力を身につけることなのだろうか。

 先日ふと読んだ本の中で、シモーヌ・ヴェイユはこう書いていた。

今日では、だれもそれを知っていないように見えるのだが、注意力の形成こそ、学習の真の目的であり、ほとんど唯一の関心の的である。(『神を待ち望む』田辺保・杉山毅訳、勁草書房、85頁)

ここで注意力は祈りと深い関係にある。注意は様々なものに向けられるが、その最も高い目標は神である。祈りとは「たましいにとって可能なかぎりの注意力をつくして、神の方へ向かっていくことである」。学習、学問研究、教育の目的は、そのような注意力の形成だと彼女は言うのである。祈りをもって学問をやる――というよりも、祈りへと導かれるように学問をやるということだろう。

 ヴェイユはこうも書いている。

神を愛する中学生、大学生なら、「わたしは数学が好きだ」とか、「わたしはフランス語が好きだ」とか、「わたしはギリシア語好きだ」とかいうようなことは、決して口にしてはならない。学生たちは、そういうもののすべてが好きになれるようにしなければならない。なぜなら、それらはどれもこれも、いったん神の方へ向けられるならば、まさに祈りの本質そのものとなる注意力を育て上げてくれるものだからである。(同上、86頁)

勉強というものをこのようにとらえている教育者が、今の日本にいるのだろうか。われわれ研究者でさえ、研究という作業をもっと相対的なものとしてとらてしまっているのではなだろうか。ヴェイユのようなとらえ方は、ある意味ストイックで、修道僧のようである。だが、逆の意味では、こういうとらえ方をすればどんな地味な研究であっても、また語学修得のような単調な作業であっても、楽しんでおこなうことができるのかも知れない。

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2006-10-28

北海道

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 来週は秋休みの大学が多く、授業が一コマだけとなる。ただし、残念なことに、教職のための残り四科目分の試験が迫っている。博論を仕上げるとしたら、この4,5日が勝負である。……と考えると、とたんに気が重くなってきた。そこで、今日はちょっと息抜きに過去に思いを思いを馳せたい。

 木曜の夜は遅くなるため、きまって家のそばのラーメン屋で日本一の味噌ラーメンを食べる。 店の名ははっきりしないが、表にぶらさがっているでっかい赤ちょうちんに書かれている「北海道ラーメン」というのがそのまま店の名であるらしい。観光客で賑わう通りに面したなかなかの立地条件にもかかわらず、夜しかやらない、日曜日にはやらない、という変わった営業方針のため、客はいつもそこそこで、並んだりなんかしたことはこれまで一度もない。しかし、その味は完璧であり、「それ以上うまいラーメンを考えることができない」という味である。すでに10年近く食べ続けているが飽きるということがない。

 昨夜は、その「北海道ラーメン」で日本一の味噌ラーメンを食べながら、北海道日本ハムが日本一になろうとする様子を見ていた。同時に、「札幌ドーム」なるものをはじめてしげしげと見ることが出来た。私が札幌にいた頃には、もちろんこんなものは無かった。私の所属していた教会の伝道所が羊ヶ丘を越えた向こうにあったが、どうも札幌ドームはあのあたりのただっ広い平原のどこかにあるらしい。

 ひんぱんに映し出される観客の様子を見ると、いかにも札幌の人たちだ。変わっていない。選手達のヘルメットには「北海道新聞」、ユニフォームには「ホクレン」の文字が見える。当然のことながら「たくぎん」の文字がどこにも見えないのは少しさびしいが、そのかわりにセンター後方のバックスクリーン付近には、私が半年だけ在籍した「札幌学院大学」の広告がある。新庄が宙にまうのを感慨深く見守りながら、同時になつかしさがこみあげてきた。

 つい先日も、仙台のドクターKから、札幌での学会で発表したという話をうかがったばかりだ。同じ学会でも札幌で開かれるとなると、楽しさ百倍であろう。なんでも、ひのもと先生の講演料で、ジンギスカンが食い放題だったらしい。ラーメンもいいが、ジンギスカンも食べたいななどと思いながら、帰りにセブンイレブンに寄ると、さだまさしの「ああーあーあーあーあ」という声が聞こえてきた。「北の国から」のテーマだ。最近よく聴くな、リバイバルでもしてるのかな、と思ったら、北海道セールをやっていた。

 どうも連日、「北海道」づいている。そこで私も、北海道を自転車で旅したことを思い出した。あれは、大学4年の卒論を控えた秋のことだった。釧路から摩周湖を通り、知床半島を渡って釧路へ帰ってくるという道東一周の旅だ。公園や橋の下や無人駅が週泊場所だった。その旅の途中、摩周湖から湖と反対側の眺望を描いたのが上の絵である。向こう側に見えているのが屈斜路湖だろう。我ながらなかなかよく描けている。博士論文が終わったら、絵でも描きに出かけたいものだ。北海道はちょっと無理だけれども。

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2006-10-17

10年を客体化する

 秋も深まった。博士論文の締め切りが11月末日に迫っている。予備論文を出したのが1996年の1月。深夜、生まれてまもなくの娘をカゴに入れて寝かしつけながら、ひたすらキーボードを叩いていたことを思い出す。よく泣く子で、あやすのが大変だったが、その娘も小学校5年生になって、決して泣かない気の強い女に育った。その間、実に10年以上が経過したことになる。

 予備論文を出した時点では、博士論文を出すことなど考えていなかった。数年前から、やはり一つのステップを刻むという意味で、出しておくべきだろうと思い、まとめはじめた。しかし、毎年出す出すと言いながら、なかなかまとまらなかった。それはやはり欲があって、自分の理想とするところになかなか到達しなかったからだろう。

 40になって、理想を捨てたわけではないが、自分の実力に忠実になろうという気持ちになってきた。これ以上どれだけ引き延ばしても満足のいくものが書けるわけではないだろうし、また何かまとまった大きなものを書いてしまわないと、いつまでだっても次に進めないということもある。今年はとにかく「出す」ということを最優先課題にして進めてきた。後期に入って何故かやたらと忙しく、ちょっと絶望的になりかけていたのだが、先週あたりから作業がスイスイと進み始め、何んとか先が見えてきたようである。今年は本当に出せそうな気がしてきた。

 内容は、半分が予備論文の文章を引き継いだもので、残りがその後書いたものである。先だっての発表の内容も少し入れるつもりである。同じ人間の文章とは言え、10年もの時間の開きのある文章を一つにするのはかなりの無理がある。しかし、一昨年だったか、根本的に一から書きおろそうと試みて見事に失敗している。だから、今はもうそういう根本的な直しはせず、不完全ではあっても出来る限り良いものにする努力をしているところである。ラインホルト・ニーバーのあの祈りが脳裏を横切る。現実の自分を受け入れるということが今回の執筆の課題である。この10年間遅々として進まなかった自らの研究の歩みをそのまま記すつもりで、書き切ろうと思っている。

 そんなわけで、今は全体の流れを整えながら文章を校180_8057正しているところである。約30万字弱、1頁900字で計算すると、300頁をやや越えるくらいの分量である。たいした分量でもないが、読んで下さる方々のことを考えるとやはり少し気の毒になる。博士論文はエンターテイメントとは対極にあるものと普通は考えられているが、読者を飽きさせない工夫もある程度は必要だろう。出来るだけ文章を絞って、回りくどくないようにしようと思っている。ただ、基本的に回りくどい人間なので限界があるとは思うが。

 ともかく、これは自分の10年を客体化する作業となりそうである。客体化してみると、何と貧弱な10年だったのだろう、ということになるに違いない。鏡に映った自分を見るような、録音された自分の声を聴くような、何とも恥ずかしいものがある。しかし、これが「仕事」というものなのだから仕方がない。人生の折り返し地点に立ち、しっかりと自分というものを見つめることが必要だろう。

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2006-08-23

宗論

 風邪で仕事が出来ず、読書もかったるい。かと言って寝てばかりいるのは苦痛なので、先週はずいぶん落語のCDを聴いて過ごした。

 私はなんと言っても志ん生が好きである。録音が残っているものはおそらくほとんどが年をとってからのものだと思うが、そのしゃべり口はどうやっても他人には真似できない独特のものだ。息子の志ん朝も素晴らしいが、親父ほど長生き出来なかったので声が若々しく、志ん生のような味は出なかった。私の聴いた「噺」で、志ん生風の味を利かしたしゃべりをしたのは、落語家ではないが小林秀雄である。もともと、小林の講演テープを聴いてその名人ぶりに魅了され、その調子が志ん生のものだとどこかで読んだことが落語を聞き始めるきっかけだった。小林の評論の独特の文体も実は落語のべらんめえ調なのだとあって、なるほどと思った覚えがある。

 ところで、今度いろいろ聴いていて、古典落語には宗教がらみのネタというものが少なくないことに気づいた。たとえば寺の生臭坊主が、相手の宗旨にあわせて「なんまいだぶ」と「なんみょうほうれんげきょう」を使い分けるといったネタはよく聴く。前者が陰気で、後者は明るく元気であるというのは、当時の日常感覚にとって常識だったのだろう。

 最近、NHKのあるこども番組で「寿限無」が取りあげられたことで、あの長い名前を覚えるのが子どもの間ではやっていることは、子を持つ親たちには知られていることである。私の子どもも全部暗記しているが、実は私自身も小学生の頃、なぜか全く自主的にこれを暗記していため、今でもちゃんと全文言えるのである。もっと他のことを覚えろよと思うが、「寿限無」が流行りはじめたとき子どもたちの前で暗唱して見せたら尊敬されたので、全くの無駄ではなかったわけである。

 ところで、あのはなしも今振り返ってみると、宗教がらみのネタである。子どもの名前をつけあぐねた夫婦が、旦那寺のお坊さんに相談に行くところから話ははじまるが、お坊さんがまず最初に思いつくのが「寿限無」という言葉である。それは『無量寿経』の中にある言葉で、「量り知れない寿命」という意味だと説明されている。次の「五劫の擦り切れ」がなかなかすごい。天人が三千年に一度大岩を羽衣でさらりと撫でているうちにその大岩が擦り切れて無くなってしまうのが「一劫」で、それが五回繰り返すくらいの長い時間を意味するのだと言う。「海砂利、水魚」は数え切れない海の砂と魚たち、「水行末、雲来末、風来末」は水、雲、風が行きつく先が果てしないということ……。こういった具合に説明しながら進められていくはなしは、まるで宗教講話のようである。しかし、結局どの名前も捨てがたいということで、ええい、全部くっつけっちまえ、というところが当時の庶民の感覚を表していて面白い。

 多くが仏教に由来する宗教ネタの中で、キリスト教に由来するものがあることを初めて知った。これは先日実習に行った高校の聖書科の先生に教えてもらったのだが、「宗論」というネタである。私が聴いたのは、柳家小三治のもので、何度聞いても面白いので、家族に聴かせたら大爆笑となった。おそらく時は明治、ある商家の若旦那がキリスト教に凝ってしまい、集会所に入り浸って店に顔を出さないのを大旦那が叱りつけというはなしである。この中で、京都あたりからやってきた何とか言う宣教師の話を聞きに行って帰ってきたばかりの若旦那の描写や、その若旦那のことが理解できず、「我が家にはご先祖様の時代から、浄土真宗というありがたーい教えがあるのに、どうして、それを信じてくれないのか、それをあたしあ言うんだよ」と小言を言う大旦那の描写は、その頃、キリスト教徒がどんな人間として見られていたかをよく物語っている気がする。というのは、この雰囲気は、私が子供時代にも、私が育ったような田舎ではまだ残っていたから、なんとなく想像できるのである。

 最後は、対立する親子を使用人が仲裁して、「宗論(宗教論争)は、どちら負けても釈迦の恥」と言って諭すという結末である。この仲裁に対して、大旦那は「いいことを言ってくれる」と納得するが、若旦那の反応は語られないままである。このへんもまた明治の人たちの宗教感覚をよく表している。この仲裁に使われた川柳は、もともと釈迦門下である仏教諸派の対立に対して言わるものであろう。キリスト教という外来の宗教まで同じ感覚の中に解かし込もうとする使用人や大旦那と、ここには描かれていないがおそらくそういう感覚に「そうじゃないんだけどな」と感じているだろう気真面目なクリスチャンの若旦那のギャップが、日本社会で牧師の息子として子供時代を過ごした私のほろ苦い思い出と重なっていろいろと考えさせられた。 

 どれも罪のない庶民の笑い話である。宗教に必死でしがみつくのではなく、むしろ必死な信心を笑い飛ばして、洒脱・軽妙に生きている江戸、明治の人々の生活のありかたがそこに見え隠れしていて楽しい。しかし、そうした態度が少し間違うと、真剣な宗教信仰を「邪教」として排除するお上の政策に取り込まれ、たとえば天皇崇拝のようなものへと変化させられていく。そういう後の歴史を知る者にとっては、脳天気に笑ってばかりはいられないのである。

 先日の小泉首相の靖国参拝も夏風邪に苦しみながらテレビで見ていたのだが、国民の約半分が参拝に賛成だそうである。全国民が靖国参拝を強いられた戦前の歴史を聞き知る者にとって、これは信じ難いいことである。私は靖国の問題は政治問題であると同時に、あるいはそれ以前に、日本人の宗教意識の問題なのだと思っている。首相が靖国に参拝しても問題を感じないような意識とは、落語のネタにも描かれたような庶民の意識ともおそらく無関係ではないのであって、それ自体は笑い話になるような罪の無いものなのだとしても、それが近代国家建設の中で為政者たちの都合のよいように訓致されていったところに戦前の天皇崇拝があった。そのことを考えると、「宗論」のような落語も素直に笑えなくなってしまうのである。

 靖国の問題はいずれ研究会でも議論したいと思っているが、今は遅れている研究発表の準備である。

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2006-08-19

薬のはたらき

 夏風邪である。ここ数年、風邪と言えばパターンは同じで、扁桃腺の腫れとそれにともなう熱である。咳、くしゃみ、鼻水といった風邪らしい症状はほとんどない。こんなのは「風邪」ではなく、要するに疲労に過ぎないのではないかとも思うのだが、病院へ行けばやはり「風邪」と診断される。「風邪」って一体何なのだろう?

 ところで私は昔は風邪をひいても病院に行かなかった。熱でだるくて死にそうな時に、病院に行って待っているのが馬鹿らしかったからだ。家でひたすら寝ているのが一番の治療法だった。しかし、ある時を境に、風邪をひいたなと思ったら病院へ行くようになった。それは病院でくれる薬があまりによく効くことが分かったからだ。それにくられべれば市販の薬なんて無に等しい。薬というものがこんなに効くものだと知らなかった。 ロキソニン。これさえあれば、どんな高熱も怖くない。人によるのだそうだが、私の場合、39度の熱が1時間後には平熱にまでさがる。(逆に怖いか?)。

 しかし、今ちょうどお盆の時期で、いつもの医院がちょうど1週間の休みだった。悪いときに風邪になったものだ。まあ今回は37度台の微熱ということもあり、何とかなるだろうと思った。その自信はどこから来るかと言えば、前回のロキソニンが手元に残っていたからである。しかし、それは1日で尽きてしまった。そこで妻の手持ちのロキソニンや、ロキソニンとほぼ同じ成分の何とかという薬などを、様々な手を使って(犯罪は犯してません)かき集め、今日まで何とかやってきた。しかし、それもついに尽きてしまった。

 仕方ないので、いつもロキソニンと一緒にもらっている PL錠を今夜は飲んでいる。ところが、これが実に眠くなる薬で、先ほどもついついウトウトしてしまった。ロキソニンと比べる と効きががやや遅いようである。それにしても、これらは症状を抑えるだけの薬である。重要なのは病原菌を根本から絶つということなのだが、そのために必要なメイアクト錠が、今回は決定的に不足していた。最初の一日で尽きてしまって、その後の補充も出来なかったのである。そういうわけなので、もう5目になるのに夏風邪はまだ治らない。

 最後に一つ付け加えておけば、これらの優良な薬たちは、胃にはかなりの負担を与えるようである。薬は飲みたい、でもお腹が痛くなるのはイヤ、という方が多いのではないか。そんな方のためにはこれ。ゼルベックス細粒!胃の粘膜を修復する薬である。

 お約束の研究発表が出来ないかわりに、今回はたいへん不健康な記事になってしまった。ここは、ドラッグ系のブログではないので、あしからず。(こんな記事を書くと、次回はきっと薬の宣伝がつくのでしょうね。楽しみ!)

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2006-06-21

実習終わる

 一番最後に自分の担任のクラスで授業をし、最後のホームルームで生徒たちから花束と色紙をもらい、こうしてわたしの実習は幕を閉じた。連日夜中の1時、2時に寝て朝5時半に起きるという生活だったが、全てを終えて帰ってくると疲れがどっと押し寄せてきた。体重も2、3キロ減った。思いもかけず過酷な実習だった。

 実習での一番大きな課題は、高校生向きの授業が出来るかどうかであった。私の口から自然に出る言葉は抽象的で高校生には分かりにくい。また私が作る授業案はテーマが高校生の必要に対応していない。これらを直すのにかなりの日数を要した。7,8回の授業を行なったが、満足いく授業が出来たのは最後の2回だけだった。

 もう一つの課題は、50分という時間であった。10年間の大学講師の経験によって、私の体内時計は90分にセットされてしまっているので、50分で終わるように話をすることがなかなか出来なかった。話が脱線することは高校の先生でも当然あるわけだが、彼らはすぐに本題にもどってくる。しかし、私はもどってくるのに10分くらいかかってしまう。ところがその10分が高校の授業では命取りとなる。

 まあ、実習での経験を書き出すときりがないので、とりあえずはここまで。後は徐々に書いていきたい。今後高校の教師になれるかどうかは分からないが、この経験は現在の大学の講師としての仕事にも少なからず影響を与えるに違いない。今日、さっそく大学での講義を済ませたが、かなり簡潔に話すことができたと思う。(簡潔ならいいというわけではないが)大学の授業の質を高くしたいなら、へんなアンケートなんかやってないで、大学の教師の高校での実習を義務づけたらどうだろう。大学の教師は研究のプロだが、教えるのはどうも素人だ。ところが高校の教師は教えるプロだ。学ぶ点はたくさんあるに違いない。もっとも大学の授業が高校の授業に似ることがよいことかどうかは分からない。ある意味で素人くさい講義こそが本来は大学の醍醐味である気もする。このあたりのことも、おいおい考えていきたいと思う。

 ところで、実習の最終日に、私を指導してくれたY先生(実は私の大学院の後輩)と一緒に、日比野さんのおられる「新しき村」に行ってきた。日比野さんは仕事中であったにもかかわらず、村を案内してくださり、ふつうに行ったのではわからないところまで見ることが出来た。村の理想と村の現実とが交錯する現場を垣間見ることで、日比野さんの苦労を少しだけ理解することが出来たように思う。10年ぶりくらいにお会いした日比野さんは、労働のためか身体ががっちりとされ、年はとられたが大変健康そうに見えた。身体を動かして働いて、空いた時間には論文を書かれるのであろう。その生活は理想的に見える。しかし、日比野さんはそれでは駄目なのだと言われる。そういう村の生活が、純粋に自給自足に基づくものではなく、結局は経済的に村の外の世界に依拠したものであるからだ。ではその外の世界に暮らし、完全にその世界に埋没してしまっている私などはどうなるのだろう? そういうことを考えさせずにはおれない見学であった。

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2006-06-10

奮闘中

現在、教育実習の真っ最中である。高校の授業がいかに大学と異なるかを、いやと言うほど思い知らされた。ここで学んだことは、多分大学の授業をやる上でも役に立つと思う。実習についてはいろいろ書きたいが、連日教案づくりで寝不足であり、次の教案づくりにも忙しく、ちょっとしばらくは詳しい報告を書く余裕がない。とにかく今日はひさしぶりにゆっくり寝ることにする。

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2006-05-27

主の祈り

 再来週から2週間、教育実習を受けることになっており、先日、実習校での打ち合わせに出かけた。時間ぎりぎりになって会場に駆け込むと、そこは「会社説明会」の雰囲気。黒いスーツに身をかためた若い男女が20人ほど、ビシッとして座っておられる。私だけが茶色のスーツ。しかも先週講義に着ていったやつだから、何となくよれよれ。それでも100円ショップのネクタイをしめていって本当によかった。

 私が実習するのは「高校の宗教」で、指導教諭は大学院時代の後輩なので、多少は気が楽なのだが、なにせ公立高校出身なので高校で聖書を勉強する雰囲気というものがなかなか想像できない。大学の授業とは様々な点で違うと思うが、どう違うかやってみないとわからない。

 スケジュールを見ると、なぜか試験期間や体育祭と重なっており、授業はあまりやらなくてよさそうだ。授業2種類とチャペル講話を一つ考えておくように言われた。そのうちの一つのテーマは「主の祈り」と決められた。うーん、難しい。へたにやると、単なるお説教になってしまいそうだ。みなさん、何かよいアドバイスがあれば教えてください。

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2006-05-05

Presentation とDiscourse

 今年は授業でPower Point を使っている。実は昨年度、何人かの先生の大学の授業を聴く機会があり、視覚的なプレゼンテーションの効果を実感したからだ。聴く側に立ってみると、延々とおしゃべりが続くのはやはりかなりしんどい。とくに教養課程などのように、受講者が必ずしも授業テーマに主体的に興味があるわけではない場合はそうである。視覚的なものがあるのとないのとでは確かにかなり違うと感じた。思想系の授業にこうしたものを使うのにはいろいろと問題点はあるだろうが、一度試してみるのも良いだろう。

 ただ、作ってみての実感は、大変疲れるということだ。昨年試みにHTMLで作ってみたのだが、それと比べると確かに数倍楽ではあるが、それでも授業内容を凝縮して、わかりやすい単純な文にまとめ、飽きさせないように図や写真を入れるといった作業をやっていると、あっという間に時間が過ぎていく。授業内容というよりも、プレゼンの方に手間がかかるというのは、良いことなのか悪いことなのか。私はもともと漫画家になりたかったぐらいだから、人の反応を考えながらするこうした作業は嫌いではないが、哲学の教師にとって有意義な作業であるとは思えない。

 プレゼンを作るときに働いている思考は、文章を作っている場合のそれとは異なった性質のもののようである。だから、時間をかけて作っても、作っている本人に残るものがあまりない。よいプレゼン資料ができ、それで実際によいパフォーマンスができたとしても、そのことによって新たな課題が見つかったり、思考がさらに深められると言うことがどうも少ない気がする。授業が終わったとき残るのは、かなりの疲労と、人々を飽きさせずに終えられたという多少の満足であって、どうみても哲学的な満足感ではない。

 もともとチャート式とか図式化というのは嫌いではなかった。しかし、参考書類に色つきのきれいな図でまとめてくれているものは、全く頭に入らなかったし、見る気もしなかった。他人が作ったチャートは、それを読み解く方が難しいのではないだろうか。むしろ文章で語られているのを読む方が断然頭に入った。チャートは、教官の授業を聴きながら、自分で作ってはじめて意味のあるものと思っていた。ところが今の大半の学生にとっては、はじめからチャート式の方がわかりやすいようなのである。おそらく思考形式がそうれに馴れているのだろう。ただ、学生がチャート式で分ったとしても、その分かったことが使い物になるかどうかは別問題だろう。たとえば、それを自分の言葉の中で語ることが出来るだろうか、あるいは、それに触発されて、新たな思考を発展させていくことができるだろうか。

 スーザン・ランガーが人間の表現のありかたを「論弁的」(discoursive)な形式と「現示的」(presentational)形式とに分けたことは、思考形式にも言えるに違いない。論弁形式は人類の思考の可能性を大きく開いたと言える。哲学もまたそうした可能性の一つであったから、言葉を語ることがなければ哲学的思考は間違いなく成り立たないだろう。ただし、言葉によって失われるものもあるだろう。現示形式によって開かれる次元を忘れてはならない。有意義に考えるには、どちらも必要であり、両者をうまく関わらせながら進めていくことが出来れば、よい授業ができるのかも知れない。Power pointも適度に使うのがよいのだろう。

 ただそのためには、黒板とスクリーンが二者択一でしか使えない今のタイプの教室は文字通り「使えない」。スクリーンを使いつつも、黒板にメモ程度のことを書きながらdiscourse を語っていくというスタイルを、この教室では取ることができなからだ。

 話がややそれた。そろそろ来週のプレゼンを用意しなけくてはなどと考えていると、思考の二つの形式の関係といった問題がちょっと頭に浮かんだのである。

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