2013-10-07

書庫

現在、野呂先生の遺品を整理中。その大半は本とこけしである。本と本の間などに、著名な神学者たちからの手紙や、先生の学生(中にはすでに著名な学者の方々)の論文なども保存されている。

しかし、私にとってもっとも興味深いのは、先生のノートやメモ類だ。先生は論文や講義を構想される際、不要になった原稿用紙などを10センチ四方くらいに切って、その裏に着想などのメモを書き付け、後からそれを一つの筋にまとめていかれたようである。これらを見ていると、野呂先生の頭の中をのぞき込んでいるようだ。

Img_4449b

かつて小説家の埴谷雄高氏も似たようなことをされていたのを、NHKのドキュメントで見たことがある。和菓子の空き箱のよううなものに、メモを書きつけた紙片がいっぱいため込まれていた。これらをいろいろに組み合わせながら、氏は『死霊』を執筆された。昔は、創造的な学者や作家の多くがこうしたやりかたをしていたのだろう。

これらをシステム化したのがカードやルーズ・リーフだろう。梅棹忠夫『知的生産の技術』には、京大式カードなるものが紹介されていたはずだ(手元に本がないので未確認)。やがて、ワープロ、パソコンの登場によって、そうしたものも廃れていった。しかし、野呂先生のこのメモ類を見ていると、ワープロ、パソコンでは代替しきれていない何かがここにはあるのではないかと思えてくる。

こうしたメモ類を、今はゆっくり見ている余裕はない。明日は引っ越しだ。

| | コメント (0)

2013-07-30

アッキーニャ

30日以上ブログを更新していないと罰としてここにアッキーニャの広告が入るようになった。けっしてアッキーニャがきらいなわけではないが、「浴衣の見返り美人は誰かニャ」というフレーズがここにずっとあるのもさすがにどうかなと思う。仕方ない、1年数ヶ月ぶりに更新することにした。

更新して上を見ると、やっぱり広告が。うーん。 (- -;)

| | コメント (0)

2010-02-25

ナショナリズムよ、さようなら

 女子フィギュアのSPで、浅田真央の完璧な演技のあとキム・ヨナがそれを上回る演技をするのを見ていると、この二人は本当にすごいと思い、どっちが金でもいいんじゃないか、互いに讃え合えばよいではないかという気持ちになってくる。

 しかし、そうはいかない。日本人は真央ちゃんの、韓国人は「国民の妹」の金でなければ納得しない。いつもふと空しくなるのは、真央ちゃんが金をとっても喜ぶのは日本人だけで、韓国人はただひたすら残念に思い、不満にさえ感じるだろうということだ。各国のとった「金」は、結局その国の人たちだけを満足させる。

 オリンピックをここまで熱くさせている原動力はナショナリズムという感情に違いないのだが、それをよくよく反省してみると、これほど空しい感情はない。それは結局はエゴイズムの感情に行きつく。それは、自分は何とすばらしいんだと満足して喜んでいるのは自分だけでであるという根源的にさみしい感情だ。

 ナショナリズムなどではなく、二人のパフォーマンスが到達しているものにこそ賞賛を送るべきなのだが、いつのまにかそのような賞賛が暗い欲望に変質していってしまうのは残念だ。どちらが金をとっても、とれなかった方は怨恨をたくわえることになる。

 それを避けるにはどんな結果がよいかを考えてみた。まずキム・ヨナが最高の演技をし、次に真央ちゃんがそれを越える演技をして総合得点でそれに並び、みんなが「二つの金メダル」と思ったのもつかの間、次のジョアニー・ロシェットが世界最高得点をたたき出し、カナダの人たちは感涙にくれる。最後は、キム・ヨナと真生ちゃんがロシェットを両方から祝福し、みんなで世界平和を誓う‥‥というのはどうだろう。どうも小学生が考えたシナリオのようだ。

| | コメント (0)

2010-02-15

遅れの原因は雪。仁川空港は一面モノトーンの世界。日本へ帰るなり、ダウンし、まる二日寝ている。このままだと全てが幻のように思えてしまいそうだ。

| | コメント (0)

2010-02-12

テルアビブ

今日エルサレムの嘆きの壁へ行ったら、ちょうど成人式で、大変興味深かった。さて帰国という時になって大韓航空が遅れ、現在テルアピブ付近の宿で足止めを食っている。それにしてもケータイで写真がうまく送れないのが残念。

| | コメント (0)

2010-02-05

死海

死海のほとりに来ています。今日はマサダを見てきました。明日はクムランへ行きます。荒野にはめずらしく雨が降ったり止んだりの天候です。今朝は一瞬虹が出ていました。ケータイで投稿するのは慣れてないのでうまくいきますかどうか・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009-12-18

中学生に哲学を!

 「学級崩壊」とか「学校崩壊」が言われたのは十年前のことだ。今そういう言葉が使われないのは、ただそれが常態化しているだけかも知れない。私は小中学校の現場を見ているわけではないので分からないが、子どもの話を聞いているとそんな気がする。

 学校が崩壊していくのは当然だ。社会は多様化していくのに学校はいつまでも画一的な教育をしているからだ。では、今のやりかたと違ったどんな学校のプランがありうるのかと言えば、あまりいい案もなく、とりあえず今のままやるしかないんじゃんというところだろう。

 ただ一つ言えることがあるとしたら、今の学校に必要なのは哲学だということだ。パソコンのけいことか英会話なんか必要ない。やりたい奴は金をはらってやるだろう。そんな暇があったら哲学を勉強させろ。それは哲学史を勉強させろということではない。哲学的な問いについて考える場をもうけろということだ。

 たとえばクラスで話し合いがもたれたとする。一部の男子がうるさくて話し合いにならない。先生が「なぜうるさくするのか」と注意すると、「人間の本能でうるさくするのだ」と口答えする。男子が言いそうなつまらない口答えだ。ところがある女の子が立ち上がって、「本能のまま行動するのは動物のすることで、かわいそうな奴だ」と言ったら、その場はシーンとしてしまった。

 この女の子は私の娘なのだが、私がカントの話をしていたのを覚えて使ったのだ。男子の言ったことは「本能」という言葉の使用を間違っている。娘はそこをついたわけだ。

 娘はうるさい男子に授業を妨害されて、いつも怒っているが、かつてうるさかった男子である私はあまりその男子を責めることもできない。ただ、自分の経験もふまえていえば、中学生の男子に必要なのは哲学だ。彼らは自分の中から出てくる制御不能なエネルギーにとまどっている。そして、わけもわからないで様々な行動をしている。どちらかと言えば何かにまきこまれている感じにちがいない。彼らは彼らなりにそれらのわけのわからないものを何とか理解したいと考えているはずだ。しかし、それに対して中学校であてがわれている言葉は、あいもかわらぬきれいごとの羅列だ。もはやそんな言葉は教師自身さえ信じていない。大人の社会では紋切り型も必要な場合があるが、中学生にとっては百害あって一利なしだ。教師も生徒もだれも信じていない言葉が宙にういたままさまよっている。

 そこで必要とされているのは、事態をありのまま見てじかに言葉にすることだ。つまり哲学の言葉が必要とされている。余計な配慮なしにいろんな疑問をあけすけに議論してみることが必要だ。今自分はどういう心と身体の状態にあり、学校で何をしようとしているのか。社会とはどのようなもので、どんな理不尽さをかかえこみながら成立しているものなのか。戦争はなぜ起こり、そこでどんな悲惨が生まれているのか。悲惨であると誰もが思いながらも、決して戦争がなくならないのはなぜか。誰もがいじめは悪いと分かっているのに、どうして誰もがいじめに加担してしまうのだろう。本当にやるべきことは何で、世間でいわれている何が本当なのか。

 それに大人がうまい答えを与えるということではない。実は大人も分かっていないそのような問いを中学生といっしょに考えてみたらどうかと思うのだ。

| | コメント (0)

2009-11-25

死霊

 Sが亡くなってから6年が経った。彼のいない世界をもう6年も生きてしまった。6年前の11月25日の朝に奥さんが起こしにいくと、寝床の中で冷たくなっていたという。突然の死だった。

 彼とは高校時代からのつきあいだったが、一番よく会っていたのは、互いが大学生の頃だった。私の下宿していた I 袋本町の安アパートには電話はなく、しかも全住人共有の玄関には鍵をかけることになっていたので、友人が外から訪ねてきても本人には分からない。友人はいったん隣の大家さんに声をかけ、大家さんが庭ごしに「桶川くーん、友達よ」と呼んでくれるわけである。Sはそんな不便な私のアパートを、あきもせずたびたび訪れてくれた。本人がいるかいないかは訪問してみるまで分からない。おそらく、わたしが不在のため空しく帰っていったことも何度もあったに違いない。だが、それは私がSのアパートを訪ねる場合も同じことだった。

 そんなわけで、彼はわたしの都合などとは全く無関係に突然やってきて、わたしの部屋で数時間をすごし、そして帰っていった。一升瓶を抱えてやってきて一晩でそれをあけ、翌朝気づくと姿が見えず、「確か昨日Sが来たっけな……」といったことも何度かあった。彼のつまみはきまってポテトチップスで、それだけで十分というような様子だった。

 彼は重そうなバッグをかかえてやってくると、いつも床にあぐらをかいて座る。その座り方は武士のように背筋をピンとのばし、顎を引き、やや上目づかいにじっとこちらを見つめるといった形で、他に現代人でそのような座り方をする人を見たことがないようなものだった。

 彼と私のあいだにかわされた会話の雰囲気を一言で言えば、それは沈黙……だったと思う。もちろん、彼は決して無口な人間ではなく、時には饒舌とも言えるくらいよくしゃべることもあった。何か関心のある出来事があった場合には、興奮して一人でしゃべっていることもあった。しかし、にもかかわらず、会話を支配する全体的な雰囲気はやはり沈黙だったと思う。

 どんなにぎやかな会話にも、はなしの途切れる瞬間がある。通常の日常会話では、こうした一瞬の途切れは機転の利いた誰かによる次の一言ですぐに新しい会話の流れへと導かれていく。だが、Sと私の場合には、両者に会話の途切れをどうにかしようといった配慮が一切欠けており、途切れてしまえばしまったで、そのまま放っておいてもいっこうにかまわないというような共通了解があった。ある時など、彼がやってきた時にちょうど寝起きだった私が何もしゃべらず、彼もまた特に話題を持ってきたわけではないので何もしゃべらず、そうして30分くらい互いに黙っていて、その後彼が「じゃ」と言って帰っていったというようなこともあった。このような他人との関係は、それまでに他には決してなかったものだったし、これからもまずありえないものだろうと思う。

 たしか上京して2年目の大晦日、Sにとっては上京して3年目の大晦日ということになるが、わたしは下宿で一人年の暮れを迎えようとしていた。が、突然思い立って、自転車で北へと向かう小旅行に出ることにした。旅先で年を越そうというわけである。夜中中走って高崎まで行って新年を迎え、それからそのまま帰ってくるという大雑把な計画を立てると、すぐに自転車にまたがった。

 北へ向かう道の最初の数キロにちょうどSの下宿がある。彼は新聞配達をしていたので、元旦には新聞を配らなければならない。私の気まぐれ旅行につきあうわけにはいかないのは分かっていた。しかし、出発前になぜか彼に会っておきたくなって彼のところに寄った。

 彼の部屋もまたうす暗く雑然としており、そこかしこに書物が平積みになっていて、その合間をぬって一升瓶やビールの空き瓶が置かれていた。わたしのくだらない計画を話すと、彼は微笑み、ではきみは自転車の上で年を越すことになるのだから年越しそばも食えないだろう、ここで食べて行き給え。と言って、カップうどんをご馳走してくれた。その時、彼は冷蔵庫から取り出した鶏肉のかけらと長ネギをカップ麺の中に入れ、そこに熱湯を注いだものを出してくれた。それまでそんな食べ方をしたことがなかったので、そんな湯をかけただけの生の肉を食って大丈夫かとちょっと心配したが、食べてみるとすっかりゆだっていて意外にも美味く、底冷えのする夕方には大変暖かい食事となった。これから寒く心細い旅をはじめようという私にとっては、思わぬ温みのある見送りだった。帰りにもまた彼のところに寄って、旅の報告をしたものだ。黙ってネギとカシワを入れる時の彼の妙な手つきが今も瞼の奥から去ろうとしない。

 彼はいろいろ独特の趣味を持っていて、たとえば自転車は彼の影響で始めたものだし、彼の影響で聞き始めた音楽もいくつかある。山崎ハコなどは彼が教えてくれなかったら聴くチャンスはなかっただろう。しかし、彼が教えてくれたものの中で今も不動の魅力をたたえているのが埴谷雄高の『死霊』だった。彼がこの難解きわまりない本を一体どう理解していたのかは不明だが、ともかくもこの『死霊』の主人公たちの雰囲気は、まさに一対一で向かい合っているときの彼の雰囲気だった。この本は私にとって未だに難しくて理解が難しい本なのだが、しかしその魅力をうち消すことが決して出来ない本でもある。他ならぬSから紹介されたということが、この本の魅力を特別のものにしているかも知れない。

 葬儀の折り、彼の息子さんの姿を遠くからはじめて見た。Sを華奢にして美しくしたようなその姿を見て、彼のような一種独特の孤独な男の命が、このかわいい男の子に着実に手渡されていることを感じて、非常に不思議に思った。その姿は悲愴でもあったが、また救いでもあった。彼が死後どこへ行ったかは、彼がどのような信仰を持っていたか分からないので何とも言えない。しかし、私としては彼が『死霊』に出てくる人物たちのように、nowhere, nobodyの場所で、どこでもないがどこででもあるような場所で、不思議なその雰囲気のまま永遠にとどまっていてくれればと願う。

| | コメント (2)

2009-10-15

人生の二重化?

 白頭庵氏がブログで書かれているのを見て、私も数年前まで幼稚園の運動会で疑問に感じていたことを思い出した。それは運動会というより撮影会であった。

 うちは子どもたちも妻も妻の母もビデオ映像に興味はなく、興味があるのは実は私だけである。だから誰からもビデオを撮ってとは頼まれないのだが、白頭庵氏のように白熱の応援をするタイプではなく、どちらかと言えば運動会は手持ちぶさたで困ることもあって、まあビデオでも撮るかという感じて撮っていたのだ。

 しかし、しだいに周りの父兄たちが撮っている姿があまりに異常なのに気づき、だんだん気持ちが萎えていってしまった。たとえば、50メートル走では、撮影する親たちがやおらコースを取り囲み、競技者の家族以外の人たちは彼らの背中しか見えなくなってしまう。これでは、たとえば通園バスが一緒のアヒル組の○○ちゃんを応援しようと思っても、自分の子以外の競技はまったく見ることが出来ない。つまり50メートル走というのは、自分の子どもが走るのを親が撮る撮影会になってしまっているのだ。親はひたすら自分の子しか見ていない。子どもの方も、自分の親だけの視線に見つめられて競技をする。

 もう一つ異様なのは、ダンスなどの出し物を二回やるという光景だ。一回目は本番で、二回目は撮影用。これは、ダンスが始まると親が撮影のために自分の子どもに殺到して演技が成り立たない、という事態を打開するために園側が考えた苦肉の策なのだ。とにかく自分の息子、娘がアップで写っているビデオさえ作れれば、運動会そのものがどうなろうと知ったことではないという、親のエゴ丸出しの有様に、さすがの私もビデオ撮影という行為に対して一気に冷めてしまった。今はビデオがこわれてしまって撮せないのを機に、現物の方ををちゃんと見るように方針転換している。もう5年くらい前の話だが、きっと今も変わってはいないだろう。

 運動会での親のビデオ熱というのは、もしかすると今味わうべきことをわざわざ記録に残して後で味わおうということだったり、もっと極端な場合にはいったんビデオにしてブラウン管(ちょっと古いか?)を通さないとリアルに感じられないということだったりするのかも知れない。そう考えると、 私自身フェティッシュな傾向のある人間なのでよく分かるのだが、それは一つの大きな倒錯なんじゃないだろうか。

 あと、ほんとにずっーとカメラを回している人がいるけど、その場合撮っている時間と同じだけの映像が残っているわけで、それを見るには運動会と同じだけの時間が必要ということになる。要するに人生を二度生きるという無駄をしていることになるのではないか。記録を残すことは人類の昔からの課題であり欲望でもあるが、記録技術が高度になりすぎて、人は人生を生きながら、同時にそれとほぼ全く同じものを記録しつづけるということが可能になりつつある。そなると、いったいそうやって人生を二重化することになんのメリットがあるんだろうという話になろう。

 人生を一つの贈与とすれば、それを再所有しようという要求は、この贈与としての性質を消去しさりたいという欲望なのかも知れない。

 ついでに言えば、写真撮影はみなある意味で盗撮かも知れないということも最近ちょっと思う。とくにデジカメで風景などを撮って、いそいそとその場を立ち去る人の姿を見るとそう思える。昔と違ってもうファインダーを覗くという姿勢は見られない。その分だけ、何か知らぬふりをして何かをかすめとっている印象が強い。かすめとったものを持ち帰って、自分のブログにでも載せようというのだろうが、どうもさもしい感じがしてしまう。もちろん、それはまさに自分自身の姿でもあるのだ。(「盗撮」などという言葉を使うと、変な広告がつきそうでコワイな)。

| | コメント (2)

2008-11-08

スカラ座で映画を観る

 文化の日に、近くの映画館に「靖国」を観にいった。

 この映画館は、私の町K越に唯一の映画館だが 、同時にS玉で一番古い映画館でもある。この町にはもう一つホームラン劇場(仮称)という映画館があったが、Sヶ島やHJ野などに出来たショッピングセンターと一体化した新しいタイプの映画館に客をとられてついに閉鎖され、残ったスカラ座もいよいよかと思われたのだが、地元で保存運動が起こり、現在では有志の人々の出資によって再出発して今に至っている。

 近頃は路線を変えて、主としてミニシアターPhoto_3 系のものをやってくれるようになった。これまで見たい映画があっても銀座あたりまで行くには暇も金もないということで見送ってきたような映画も、歩いて4,5分ならかなり行く機会が出来るわけである。かつてのIK袋の文芸座や、今もあると思うがUR町の並木座などを思い起こさせるなつかしい雰囲気を味わうことができる貴重な映画館である。

 「靖国」は今年の春に上映中止が相次ぎ、社会問題化した話題の映画だが、そうした事件をめぐる議論について私はほとんど知らない。気になってはいたが議論をフォローできないまま今にいたってしまった。映画館にあったチラシによるとそれらの論争をまとめた本が出ているようなので、そのうち読んでみようとは思っている。いまそういう議論を全く知らないままでの率直な感想を書き留めておこう。

 取材・制作した李纓監督が靖国神社と日本の政治のありかたに批判を持っている人であることは間違いないし、それは映画を見ればはっきり分かることである。ただ、そうした批判的なメッセージを届ける手段として映画を用いるということを必ずしもこの人はしていないと思える。靖国への批判よりもむしろ批判の対象である靖国を理解しようと努めている事の方が私には目についた。

 8月15日の靖国の喧噪は見物である。実に様々な団体が、いろんな服装でやってきて、思い思いのやりかたで参拝をしていく。カメラはここまで近づけるかと思うくらい、これらの人物に密着して撮影している。右翼系のこわそうなおじさんが大きな声で号令をかけながら、カメラに右手でどけどけとやるのだが、それが「ちょっと、駄目だからね」みたいな優しい感じなのが面白い。

 神社にやってくる人々の多くは日章旗を掲げているが、中には星条旗を持った意図不明なアメリカ人もいて、サングラスをかけ手には「小泉首相に賛成です」とか書いた紙を掲げて笑顔を振りまいている。人々の反応は様々で、日章旗をもったグループが彼に握手を求めるかと思えば、「こんなもんをここにもってきちゃいかん」としかるおじさんもいる。結局はこわい顔をした人たちにかこまれて、警察につまみ出されてしまった。紙袋をもって駅へ向かう陽気なアメリカ人。

 また、おそらく拝殿の右側にある休憩所で、おばさんが二人が小泉首相の靖国参拝を話題にしているのだが、録音状態が悪くて会話内容がよく聞き取れないものの、ちまたでよく聞くよなというようなごく一般的な日本人の考えを代表しているもののように思われる。ただ、この二人が互いに話しながら、お互いの話をあまり聞いていないのが面白い。人の会話ってそういうところがある。

 もちろん、靖国神社にはこの施設のあり方に批判的な人々もやってくる。こちらは8月15日ではなかったが、高金素梅さんをはじめとする台湾の人たちが浄土真宗のお坊さんと一緒にやってきて、台湾人の合祀を取り下げるように訴えている。戦争に徴用され戦死させられた台湾人を遺族の意志を無視して勝手に合祀しているのだから、これは明らかに個人の権利を侵害する行為である。そもそも国と関係の無いはずの宗教団体が政府しか知らないはずの台湾人の戦死者の情報を知っているという点からしても大変な問題である。

 フィルムは、こうした場面を詳しい説明なしにつなぎ合わせていく。もちろん、このつなぎ合わせる行為そのものの中にも、また戦時中の日本兵による残虐行為の写真などをオーバーラップさせる手法などの中にも、作家の批判的な意図は十分こめられているわけだが、全体としての作品から感じ取られるのは単なる批判というよりも、靖国の根源にある正体の知れない何かをつきとめたいとする努力であるように思えた。

 とくにそれが感じ取られるのが、靖国神社で繰り広げられる喧噪とは別に、それらの場面のあいだに挿入されるある年老いた職人の映像である。靖国神社に奉納される刀を作りつづけている匠である。靖国には「英霊」が祀られているとされているが、そのご神体は実はそうした日本刀なのだという。この日本刀を何十年にもわたって孤独に作り続けているというのである。穏やかな人で、カメラの前で黙って坦々と仕事をしている。

 監督自身が職場に入り、真っ赤に燃える炉とその前で行われる作業をつぶさに撮影しながら、その合間に匠から話を聞く。刀や作業については多少話がはずむものの、靖国をどう考えるかについて問うと、とたんに無口になる。顔から表情が消え失せ、言葉をさがすことも諦めてしまったように、ひたすら宙を見つめたまま固まってしまう。次に何か問いかけをされるまでそのような気の重い沈黙がつづく。その繰り返しである。

 監督は言葉によってこの年老いた匠から何かを聞き出そうとする。しかし、一番知りたいことは決して匠から言葉としては出てこないのである。靖国の根深いところまで掘り下げていこうとすると、最後はこのような言葉に出来ない思いとか、語り得ない事柄といったものにぶちあたることになる。それらは理解しようとする者がそれ以上踏み込むことを拒む。そして、そうしたものは必ず神秘化され神聖化されて、不可侵のものとされてしまうに違いない。靖国へ向けられるあらゆる批判は、あの真っ赤な炉の中に溶かし込まれていってしまうようなのだ。

 しかし、語り得ない事は本当は決して神秘的なことなのではない。どんな民族にもそれぞれの語り得ないことがある。それはあたりまえの生の事実なのだ。そして他者と関わり会う場では、それぞれがそのような語り得ないものを内にいだきつつもあえて言葉を語り、他者の前に理解可能な者として自分をさらすということ、誤解を覚悟して自分を客体化することが必用である。日本人はそのような作業を、日本の戦争責任を問う他国人の前でやってきたと言えるだろうか。あの台湾人女性は語り得ない思いを持ちながら、あえて敵の前でそれを語っていた。それに対してわれわれはただ沈黙で答えるのだろうか。

 靖国の核心を捉えようとして、この日本在住の中国人監督が匠に肉薄するが、ついには分からなかったのではないか。私にはこの映画はその分からなさを強く印象づける作品だった。そして、仮にそれが中国人の監督に永久に分からないとしても、それは日本人が靖国を正当化する口実には決してならないということをも強く感じさせられたのである。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧